敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
***


 窓際のカーテンを引いて窓の外を見下ろすと、一台の馬車が坂道をのぼってくるのが見えた。漆黒の馬車には、金糸で刺繍された鷹の紋章の旗がひるがえっている。

 高貴な客が訪ねてきたのだろうか。まさか、と思いながら眺めていると、玄関前に停まった馬車から見知った男が降りてくる。

「モランシエ侯爵様だわ」

 ティナはドレスの裾をつまんで持ち上げると、すぐさま部屋を出て階段を駆け降りた。

 エントランスホールには、客人を出迎えるため、メイドたちが一列に並んでいる。その中にマギーの姿を見つけると、彼女もまたティナに気づいて足早に駆け寄ってくる。

「ティナ様、どうなさいましたか?」
「侯爵閣下のお姿をお見かけして、ごあいさつを。ラスフォード様は?」
「ラス様はじきにお見えになるかと。ティナ様はどうぞ、お部屋でお待ちください。……さ、こちらへ」

 マギーがそっとティナの手を取り、エントランスの奥へと誘おうとした、そのときだった。扉が開き、執事のライモンドに先導されて、ゲレールがホールへ姿を現す。

 メイドたちは一斉に頭を下げる。たちまち空気が張り詰め、場が静まり返る。堂々たる体躯に深紅のマントをまとったゲレールは威厳に満ち、穏やかでありながら、周囲を圧する存在感があった。

 ティナはマギーを下がらせ、前へと進み出る。

「おお、これは。カリスト公爵令嬢自らのお出迎えとは、光栄の極みですな」

 ゲレールの声は朗々としていた。和平会談のときとは違う、晴れやかさがある。だが、その鋭いまなざしは真っ直ぐで、ティナを値踏みするように見据えていた。

「モランシエ侯爵閣下、お久しぶりでございます。このたびは、手厚い保護に感謝申し上げます」

 ティナは胸元で手を重ね、小さく一礼する。その姿を見て、ゲレールは満足げにうなずいた。

「お美しいだけでなく、聡明でもあられる。うわさに違わぬご令嬢だ。……では、しかるべき場所で話をいたしましょう。案内していただけますかな?」
「はい」

 ティナは先立って歩き出す。屋敷の造りは覚えていた。女主人のように先導することに戸惑いはあったが、ライモンドもマギーも何も言わずに、静かにあとに続いた。

 赤い絨毯の敷かれた廊下を進んでいくと、ゲレールがふと歩調をゆるめ、横に並ぶようにして尋ねてくる。

「ここでの暮らしには、もう慣れましたかな?」

 ティナは控えめに微笑み、うなずいた。

「……はい。皆さま、よくしてくださいます」
「それは何より」

 ゲレールの顔にやわらかな笑みが浮かぶ。その表情に少し安心しつつも、完全に歓迎されているのかどうか、不安はぬぐいきれなかった。

 さらに廊下を進んでいくと、不意に角からラスが姿を現し、ティナは胸をなで下ろす。

「閣下に、ティナ……?」

 驚いた様子のラスが、軽く頭を下げて歩み寄ってくる。堂々とした足取りと、落ち着いた声に、ますますティナはほっとした。

「ラスフォード、急かしてすまなかったな。おまえの屋敷を訪ねるのも久しぶりでな」
「お迎えできて光栄です、閣下。こちらへどうぞ」

 ラスは一歩前に出て、ゲレールの進行方向を示すように手を伸ばす。彼はティナに気づかう目線を送ったが、帯同を許すように追い返したりせず、そのまま、応接間へと向かった。

 ライモンドが扉を開くと、淡い青の絨毯が敷かれた落ち着いた空間が広がった。窓際には陽光が差し込み、白いカーテンがゆるやかに揺れている。三人掛けのソファーと、肘掛け椅子がひとつ、そして低い丸テーブル。花瓶には香り高い花が飾られ、静かで温かな雰囲気が漂っていた。

「どうぞ、こちらに」

 ラスの言葉にうながされ、ゲレールが肘掛け椅子に腰を下ろす。ティナは向かいにあるソファーに座るラスの隣へと静かに腰かける。

 ゲレールは並ぶふたりを交互に眺めて目を細めると、マギーが差し出すグラスの水をひとくち飲み、口を開いた。

「さて、突然の訪問を許されよ。今日は、大事な話があってきたのだ。フロレンティーナ・カリスト嬢の処遇についてな」
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