敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
オブリの質屋は、貧民街近くに構える石造りの店だった。なりふりかまわず、店に駆け込むと、カウンターで宝石を磨いていたオブリが、のんびりと顔をあげた。しかし、傷だらけのラスを見るなり、彼は血相を変えてカウンターを飛び出してきた。
「どうしたんだ、ラス! 誰にやられたっ」
「母さんが死んだ」
「なんだって……、エリシャが?」
オブリはすぐに店を出ようとしたが、ラスはグッと腕を突き出し、その手のひらを開いた。
「それは?」
「貴族の娘からもらった。これで、金を貸してくれよ。俺はセレバルから出ていく」
ラスの血で汚れた手のひらにあるそれをオブリは凝視し、その鎖を持ち上げた。丸くて小さな金色のコインが目の前にぶら下がる。ようやくラスは、少女から奪ったそれがメダルだと知った。
「ラス……、これが何か知ってるのか?」
「知らない。変わった目の色のやつがくれたんだ。これで、ケガを治せばいいとでも思ったんだろ? こんなケガ、放っておいても治るのにさ」
「変わった目色……。じゃあ、やっぱりこれは、本物なのか?」
オブリは目の色を変えてメダルを眺めると、本棚から羊皮紙の束を取り出し、勢いよくめくった。
「おんなじだ……」
ぼう然とつぶやくオブリに興味が湧き、彼の手もとをのぞき込んだ。広げられた羊皮紙には、メダルに描かれた人物とまったく同じ図柄が載っていた。
「これは?」
「おまえ、とんでもないもん手に入れたな。これは、セルヴァランの王族、モンレヴァルしか持たないサン・アルジャン金貨だ。変わった目色は……、ほら、こんな色じゃなかったか?」
引き出しをゴソゴソとあさったオブリは、淡い色をしたアメジストを見せてきた。
「ああ、それ。珍しい色だった。髪の毛は月の色をしてた」
「間違いない。そいつは、カリスト公爵の娘だ」
「こう……しゃく?」
「国王の次に……いやぁ、その次ぐらいにえらいやつだよ。そこの令嬢、フロレンティーナ嬢はモンレヴァルなんだ。とんでもねぇ、代物だ。これ一枚で、屋敷がいくつも建つだろう」
オブリがそわそわと浮き足だつほどの金貨を、あの少女が簡単に手放した理由はわからなかった。しかし、そんなことはラスにとってどうでもよかった。
「そんなにすごいもんなら、俺に金を貸してくれ。母さんの埋葬もできるだろ?」
「エリシャ……そうだ。エリシャを見に行かなきゃいけねぇ。ラス、おまえは?」
「このままセレバルを出ていく。立派な剣士になって、必ず母さんを迎えに来るから」
「本気なんだな」
そう言うオブリも、真剣なまなざしをしていた。貧民街でこのまま生きていくのは難しい。彼もそれはわかっていたのだろう。
「ああ、俺はいく。当分、困らないだけの金をくれ」
オブリは少し考え込んだあと、ラスを店の奥へ連れていった。裏口にある桶にためた水で布を濡らし、全身に飛び散る血をぬぐうと、血で汚れた服を脱がし、真新しい革の服を着せた。そして、ずっしりと重たい布袋を革のカバンに入れ、肩にかけてくれた。
「いま、店にある金を全部持たせてやる。……それと、おまえにはこの剣がいいだろう。小ぶりだが、なかなか斬れる。いいか、ラス、おまえは強い。幸運もある。絶対死ぬんじゃねぇぞ」
オブリが両手で差し出す剣を、ラスはしっかりと握りしめた。ふしぎと、手のひらにしっくりとおさまった。まるで、自分の中に流れる剣士の血がたぎるようだった。
ラスはそのまま裏口から外へ飛び出した。あてはない。だが、今さらだ。唯一の肉親を失ったいま、ラスに怖いものはなかった。
南へ下れば、船に乗れることは知っていた。街道を走り出したそのとき、黒い影が横から飛び出してきた。それが外套だと気づいたときには突き飛ばされ、地面に倒れ込んでいた。
「一部始終、見てたぜ?」
こちらを見下ろす黒い目だけが、フードの中でぎらついている。
「誰だっ」
「名乗るほどのもんじゃねぇ。その金、寄越しな」
フードの男がいきなり、革カバンをつかんだ。
「何するんだっ」
ラスは思い切り、外套からはみ出る男の腕に噛みついた。
「うわっ、いてぇ。何すんだ、このガキっ」
男は暴れたが、ラスは離れなかった。腕を食いちぎってやってもかまわない。そのぐらい、必死に食らいついた。そうして男ともみ合っていると、後ろから複数の足音と怒号が聞こえた。
「いたぞっ! つかまえろっ!」
「くっそ。……おいっ、おまえ、離れろ。俺と一緒に捕まりたくなかったら、今すぐな」
ラスはようやく男から離れると、革カバンをぎゅっと抱き寄せた。ちらりと振り返ると、数人の衛兵が駆けてくるのが見えた。
「あんた、何やったんだ」
すごむと、男は舌打ちをし、ラスの脇をいきなり抱え込んだ。
「何するんだっ」
「俺はおまえの金に用がある。一緒に逃げるぜ。異国へ行きたいんだろ?」
男はにやりと笑うと、ラスを抱えたまま走り出し、街道の角を曲がると階段を飛び降り、さらに細い路地を走り抜けたかと思うと、ふたたび、何食わぬ顔で王宮の見える広場へ戻ってきた。
あっという間に追手をまいた男は、前方の門を指差し、フードを外した。長い黒髪を一つに束ねた、海賊みたいな男だった。
「おい、ガキ。名前は?」
「あんたは?」
「チッ、生意気なガキだ。俺様はバルド。盗みを働いたんだが、ちょっとヘマしてな」
バルドと名乗った男は悪びれなく笑うと、関所の前でぴたりと足を止めた。
「ルヴェランへ逃げるぜ。ちょっとだけ、その金を貸せ」
「何するんだよ」
「あの門兵に渡すんだよ。関所さえ通り抜けられれば、ルヴェランの王都ミュルセールまでの定期馬車に乗れるはずだ」
「ルヴェランへ行ってどうすんだよ」
「さぁな。ひまつぶしにおまえに付き合ってやってもいいぜ。その大金がありゃ、当分遊んで暮らせるぜ」
ラスはあきれたが、ルヴェランへ渡るのは興味があった。まさか、ミュルセールへ着くなり、孤児院に放り込まれるとは想像もしていなかったが──あの薄紫の瞳を持つ少女がくれた、生き延びるためのチャンスだ。バルドは信用できないと直感は働いていたが、今は賭けてみようと思った。
あの娘とは、もう二度と会えないかもしれない。しかし、ルヴェランでもっとも強い剣士になれば、もしかしたら、母と父が出会ったように、身分に違いがあっても、もう一度会えるかもしれない。その思いが、ラスを駆り立てた。
フロレンティーナ・カリスト。ラスはその少女の名を胸に刻み、バルドにひと握りの金を差し出した。
「どうしたんだ、ラス! 誰にやられたっ」
「母さんが死んだ」
「なんだって……、エリシャが?」
オブリはすぐに店を出ようとしたが、ラスはグッと腕を突き出し、その手のひらを開いた。
「それは?」
「貴族の娘からもらった。これで、金を貸してくれよ。俺はセレバルから出ていく」
ラスの血で汚れた手のひらにあるそれをオブリは凝視し、その鎖を持ち上げた。丸くて小さな金色のコインが目の前にぶら下がる。ようやくラスは、少女から奪ったそれがメダルだと知った。
「ラス……、これが何か知ってるのか?」
「知らない。変わった目の色のやつがくれたんだ。これで、ケガを治せばいいとでも思ったんだろ? こんなケガ、放っておいても治るのにさ」
「変わった目色……。じゃあ、やっぱりこれは、本物なのか?」
オブリは目の色を変えてメダルを眺めると、本棚から羊皮紙の束を取り出し、勢いよくめくった。
「おんなじだ……」
ぼう然とつぶやくオブリに興味が湧き、彼の手もとをのぞき込んだ。広げられた羊皮紙には、メダルに描かれた人物とまったく同じ図柄が載っていた。
「これは?」
「おまえ、とんでもないもん手に入れたな。これは、セルヴァランの王族、モンレヴァルしか持たないサン・アルジャン金貨だ。変わった目色は……、ほら、こんな色じゃなかったか?」
引き出しをゴソゴソとあさったオブリは、淡い色をしたアメジストを見せてきた。
「ああ、それ。珍しい色だった。髪の毛は月の色をしてた」
「間違いない。そいつは、カリスト公爵の娘だ」
「こう……しゃく?」
「国王の次に……いやぁ、その次ぐらいにえらいやつだよ。そこの令嬢、フロレンティーナ嬢はモンレヴァルなんだ。とんでもねぇ、代物だ。これ一枚で、屋敷がいくつも建つだろう」
オブリがそわそわと浮き足だつほどの金貨を、あの少女が簡単に手放した理由はわからなかった。しかし、そんなことはラスにとってどうでもよかった。
「そんなにすごいもんなら、俺に金を貸してくれ。母さんの埋葬もできるだろ?」
「エリシャ……そうだ。エリシャを見に行かなきゃいけねぇ。ラス、おまえは?」
「このままセレバルを出ていく。立派な剣士になって、必ず母さんを迎えに来るから」
「本気なんだな」
そう言うオブリも、真剣なまなざしをしていた。貧民街でこのまま生きていくのは難しい。彼もそれはわかっていたのだろう。
「ああ、俺はいく。当分、困らないだけの金をくれ」
オブリは少し考え込んだあと、ラスを店の奥へ連れていった。裏口にある桶にためた水で布を濡らし、全身に飛び散る血をぬぐうと、血で汚れた服を脱がし、真新しい革の服を着せた。そして、ずっしりと重たい布袋を革のカバンに入れ、肩にかけてくれた。
「いま、店にある金を全部持たせてやる。……それと、おまえにはこの剣がいいだろう。小ぶりだが、なかなか斬れる。いいか、ラス、おまえは強い。幸運もある。絶対死ぬんじゃねぇぞ」
オブリが両手で差し出す剣を、ラスはしっかりと握りしめた。ふしぎと、手のひらにしっくりとおさまった。まるで、自分の中に流れる剣士の血がたぎるようだった。
ラスはそのまま裏口から外へ飛び出した。あてはない。だが、今さらだ。唯一の肉親を失ったいま、ラスに怖いものはなかった。
南へ下れば、船に乗れることは知っていた。街道を走り出したそのとき、黒い影が横から飛び出してきた。それが外套だと気づいたときには突き飛ばされ、地面に倒れ込んでいた。
「一部始終、見てたぜ?」
こちらを見下ろす黒い目だけが、フードの中でぎらついている。
「誰だっ」
「名乗るほどのもんじゃねぇ。その金、寄越しな」
フードの男がいきなり、革カバンをつかんだ。
「何するんだっ」
ラスは思い切り、外套からはみ出る男の腕に噛みついた。
「うわっ、いてぇ。何すんだ、このガキっ」
男は暴れたが、ラスは離れなかった。腕を食いちぎってやってもかまわない。そのぐらい、必死に食らいついた。そうして男ともみ合っていると、後ろから複数の足音と怒号が聞こえた。
「いたぞっ! つかまえろっ!」
「くっそ。……おいっ、おまえ、離れろ。俺と一緒に捕まりたくなかったら、今すぐな」
ラスはようやく男から離れると、革カバンをぎゅっと抱き寄せた。ちらりと振り返ると、数人の衛兵が駆けてくるのが見えた。
「あんた、何やったんだ」
すごむと、男は舌打ちをし、ラスの脇をいきなり抱え込んだ。
「何するんだっ」
「俺はおまえの金に用がある。一緒に逃げるぜ。異国へ行きたいんだろ?」
男はにやりと笑うと、ラスを抱えたまま走り出し、街道の角を曲がると階段を飛び降り、さらに細い路地を走り抜けたかと思うと、ふたたび、何食わぬ顔で王宮の見える広場へ戻ってきた。
あっという間に追手をまいた男は、前方の門を指差し、フードを外した。長い黒髪を一つに束ねた、海賊みたいな男だった。
「おい、ガキ。名前は?」
「あんたは?」
「チッ、生意気なガキだ。俺様はバルド。盗みを働いたんだが、ちょっとヘマしてな」
バルドと名乗った男は悪びれなく笑うと、関所の前でぴたりと足を止めた。
「ルヴェランへ逃げるぜ。ちょっとだけ、その金を貸せ」
「何するんだよ」
「あの門兵に渡すんだよ。関所さえ通り抜けられれば、ルヴェランの王都ミュルセールまでの定期馬車に乗れるはずだ」
「ルヴェランへ行ってどうすんだよ」
「さぁな。ひまつぶしにおまえに付き合ってやってもいいぜ。その大金がありゃ、当分遊んで暮らせるぜ」
ラスはあきれたが、ルヴェランへ渡るのは興味があった。まさか、ミュルセールへ着くなり、孤児院に放り込まれるとは想像もしていなかったが──あの薄紫の瞳を持つ少女がくれた、生き延びるためのチャンスだ。バルドは信用できないと直感は働いていたが、今は賭けてみようと思った。
あの娘とは、もう二度と会えないかもしれない。しかし、ルヴェランでもっとも強い剣士になれば、もしかしたら、母と父が出会ったように、身分に違いがあっても、もう一度会えるかもしれない。その思いが、ラスを駆り立てた。
フロレンティーナ・カリスト。ラスはその少女の名を胸に刻み、バルドにひと握りの金を差し出した。