敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
***


 セレバルの王都ダルハインへと向かう馬車の中、ティナは隣に座るラスの横顔を見上げていた。

 先ほどから一切口をきかない。怒っているのかもしれない。しかし、彼はティナの申し出を拒まなかった。侯爵家に立ち寄って、ゲレールを訪ねたあと、数人の騎士団員を連れて関所を越えた。ゲレールが反対したのかどうかもわからない。

 ティナは小さなため息をついて、窓の外へと視線を向けた。そこには、ルヴェランへ初めてやってきたときとはまったく違う光景が広がっていた。青々とした樹々の根元に、黄色や赤の花々が、まるでドレスに散りばめられた宝石のように咲いている。

 セレバルでは見たことのない景色に、ティナは心が落ち着くのを感じている。もし、ふたたびルヴェランへ戻れる日が来るなら、もう二度とセレバルへは帰らないだろう。

「ティナ、聞いてくれ。俺にそれを告げたのは、ゲレール侯だった」

 突然、ラスが口を開くから、ティナは驚いて振り返った。

「それ……とは、なんですか?」

 わかっているだろう、とばかりに彼は小さく苦笑する。

「ゲレール侯は俺に似た男をセレバルの王宮で見かけたと言っていた。もしかして、父親ではないかと」

 ティナは宮殿へあまり出かけたことがなく、ヴェルナード国王をよく知らない。カリスト邸に飾られた若き国王の肖像画で知っているだけだ。むしろ、だからこそタペストリーに描かれた男が、国王に似ていると気づけた。しかし、ラスに似ているかと問われると、よくわからない。実際に会ったものだけがわかる雰囲気……だろうか。

「そこで、ゲレールはうわさを耳にしたらしい。いつも国王が従えているふたりの少年は、王の子だと」
「ふたりの少年というのは、ユリウス王太子と……」
「ああ、ルシアン・ラビエールだ。ゲレール侯はすぐに調べた。真相を知るのは、実に簡単だったらしい。ルシアンの生まれた侯爵家には娘が三人いた。そのうちのひとり、三女のナタリーが国王の子を身ごもったといううわさは有名だったらしくてな」
「では、ラスフォード様のこともお調べに?」
「ああ、貴族の間では、下賤の踊り子が産み落とした息子は異国にいると笑い話になっていたそうだ」
「……それでは、お父さまもすべてをご存知だったのかもしれませんね」

 だから、レオニスはティナがラスのもとにいると知っても、無理にセレバルへ連れ戻さなかったのではないか。無関心だからと思っていたが、そうではなく──。

「カリスト公だけでなく、臣下たちも知っていて口出しはできなかっただろうな。ルシアン・ラビエールも、あの若さで宰相補佐になったのだから、納得のいく話だ」

 ラスの唇は皮肉げに歪んだ。セレバルの平民出身の自身が、ルヴェランの誇り高き騎士団長に昇り詰めたのは、努力ではなく、その体に流れるセレバル王家の血があったからこそと、苦しんだことがあったのかもしれない。

「モランシエ侯爵様はセレバルへ向かうことをなんと?」
「……必ずや戻ることを信じている、と。ゲレール侯は俺が何者であろうと、これまでの功績を認めてくれている人だ」

 ふっとラスのまなざしが緩むから、ティナもほっとして彼の手に触れる。

「良い方に出会えたのですね」
「ああ。ルヴェランへ来てから、良いことばかりだ」

 ラスはティナの手を握り返すと、そっと顔を近づけてくる。首をかしげると、唇がそっと重なった。そのまま太い腕に抱きしめられて、耳たぶに熱い息がかかる。

「あなたのような高貴な人の目に映ることすら許されなかった俺が、こうして触れられるなんて……どうかしてしまいそうだ」

 ティナはひどくびっくりした。彼がこのように甘えてくるなんて想像もしていなかったからだ。背中に腕を回す。大きな体を守るように抱きしめるのは戸惑いもあったが、抱きしめずにはいられなかった。

「何をおっしゃるのですか。あなたは聖ルヴェラン騎士団長様としてセレバルへ行くのです。何も、不安はありませんよ」

 にっこりとほほえむと、ラスは癒されたように笑み、セレバルの国境を越えたと知るやいなや、厳しい表情を見せた。

 ダルハインの宮殿に到着すると、連絡を受けていた兵士に出迎えられた。表向き、婚約が決まったセレスに祝辞を述べにきたティナと、彼女の護衛として付き従うラスは、丁重な扱いを受けた。

 応接室の扉が開くと、ソファーに腰掛けていたユリウスがゆるやかに立ち上がる。

 まだ少年のようなあどけなさを残すユリウスの後ろには、セレスが寄り添っている。ティナは胸にそっと手をあて安堵する。彼女はあいかわらず美しく、カタリーナが心配するような国難に負けず、幸せそうに見えた。

「お初にお目にかかります、ユリウス王太子殿下。このたびは、妹であるセレスタイン・カリストとのご婚約、おめでとうございます。セレバルへの入国が許され、大変うれしく思っております」

 ラスが用意してくれた煌びやかなドレスをつまみ、一礼する。ユリウスは満足そうにうなずいた。

「フロレンティーナ嬢におかれては、我が父により心労を与え、苦労をかけた。お会いできて光栄です。本日はささやかな食事会をご用意しています。どうぞ、楽しまれてください」
「寛大なるご歓迎、感謝申し上げます」

 ティナが深く頭をさげ、ユリウスの視線がラスへと移ったとき、応接室の扉が勢いよく開かれた。

「フロレンティーナ嬢が来ていると聞いて、まさかとは思ったが……、敵国の将軍までっ。これはどういうことか、王太子殿下っ」

 現れたのは、ルシアンだった。鋭い琥珀の瞳がティナとラスをにらみつける。

「私がお招きしたのです」

 ユリウスはうっすらと冷笑するようでいて、一見穏やかな笑みを浮かべる。
 
「招く……ですと? この者が国外追放になった身であることは、もはや、ご存知ないとは言わせませんぞっ」
「カリスト公に頼んで、彼女をルヴェランから呼び戻そうとした事実はなかったことにされたのですか?」

 冷ややかにユリウスが問うと、ルシアンはグッと息をつめた。そして、ほんの数秒、歯ぎしりをしたかと思うと、急に笑みを浮かべてティナへと近づく。

 ティナはぎゅっと体に力が入るのを感じた。ラスの屋敷にメイドを送り込み、暗殺を企てたのはおそらく、ルシアン。証拠がないだけに、ラスもティナを守ることだけに徹してきたが、いまだに油断はできなかった。

 ラスもまた、全身で警戒心を表すのをティナは背中に感じたが、恐れを押し殺し、ルシアンの興味を自身に惹きつけるように一礼した。

「王太子殿下より入国を許され、ご挨拶をしていたところです。こうして、ラビエール閣下にふたたび、お目にかかれる日が来るとは」
「ああ、私もですよ。ヴェルナード前国王陛下の判断は間違っていました。お詫びしますよ。この際ですから、私の願いを受け入れてくださいますかな?」
「願い……ですか?」

 ルシアンはティナへと手を差し伸べる。

「私と正式に婚姻を結び、我がセレバル王国を私とともに治めていただきたいのですよ」
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