敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
ティナはごくりとつばを飲み込んだ。室内のすべての目が自身に向けられている。これほど緊張し、恐怖を感じたことは今までに一度もなかった。
間違っていたかもしれない。黙ってお飾りとして座っていれば、ルシアンの怒りを買い、父の忠誠が疑われることもなかった。いつものように、「折り合いがつかない」と嘆く和平交渉が、淡々と終わるはずだった。
「どうぞ、おっしゃってください。我々はセレバルとの友好を願っています」
ティナはハッとした。ラスがやんわりと、優しい声音で言ったからだ。敵国のはずなのに、この場にいる誰よりもティナの言葉を待ってくれていると思わせる態度に驚いた。
「も……、申し上げます。民が、民が何を望んでいるのか、私たちは忘れているのではないでしょうか?」
ティナは勇気を出して声を張り上げた。自身の声を聞くのは、十年ぶりぐらいだろう。別の誰かが話しているような不思議な感覚に襲われながら、さっきとは違って、一歩ずつ慎重に歩むようなつもりで言葉を選んでいく。
ラスは椅子に腰をおろし、ゲレールとうなずき合ったあと、真摯な態度でこちらをまっすぐ見つめた。
話を聞いてくれる人がいるとわかると、心強かった。きっとうまく話せなくても、彼らは笑ったりしないだろう。いや、笑われてもいいじゃないか。なかったことにされるよりは、ずっといい。
「私は戦場を知りません。しかしながら、父であるカリストから紛争の厳しさを教えてもらいながら育ちました」
父はいつもぼやいてばかりだった。なぜ、陛下は争いを好むのかと。
「私は民が苦しみ、血を流す姿をこれ以上、見聞きしたくありません。そのためにはどうか、私の提案を聞いてください」
周囲をぐるりと見回し、呼吸を整える。議長が「続けて」と促す。
「私の提案は、ルヴェランの要求に近いものがあります」
「と言いますと?」
興味を持ったように、ゲレールが耳を傾ける。
「今の状況では、係争地であるスレイからの無条件撤退は極めて難しい判断になります。ですから、中立管理地域とする案を提示させていただきたいのです」
父は毎日のように、書斎にこもると、羊皮紙に思いつきの解決策を書いては丸め、絨毯に投げ捨てていた。
それをメイドたちは拾い集め、ティナの部屋へ運んだ。筆談に使う羊皮紙に新品をそろえるのはもったいない。これでじゅうぶんだと吐き捨てるカタリーナの命令に従って。
捨てられた羊皮紙の山は、ティナにとって、父の知識を詰め込んだ写本だった。だからこそ、父の考えを誰よりも理解している自負がある。
「先ほど、スレイに駐屯地を置くとおっしゃいました。それには私も賛成です」
これは、父が和平に向けての第一歩と記したメモ書きに書いてあったことと同じだった。
「では、両国で共同の駐屯隊を配置する──そう言うことですかな?」
「そうです。無主地であるスレイを、共同地とするのです。どちらか一方ではなく、双方で協力し、治安を維持する──奪うのではなく、支え合う形にするのです」
ゲレールがゆっくりうなずく。しかし、会場は静まり返っていた。提案が間違っているのか、反応からは正直わからない。それでも、ティナは正しいと信じて続ける。
「民にとって大事なことは、明日が約束されているということ。大事な家族を紛争で失わないということ。ですから、長く続くこの紛争の、早い解決を願います……」
深い息を吐き出すと、正面に座るラスが両腕を胸の位置に掲げ、手のひらを打ち合わせた。二度三度と繰り返すと、ルヴェランの使節団からパラパラと拍手が起きる。さらには、仏頂面のルシアンの横……近衛隊長のハインまでもが。
「さすがは、モンレヴァル一族。常に平等である姿はその血に刻まれ、変わりないようです」
ゲレールが一族の名を口にすると、拍手がやむ。そして、ルヴェラン使節団の誰もが、胸に手をあて、敬意を払うようなしぐさをした。
それは、敵国に見せるにふさわしくない異様な光景だった。しかし、それが許されるほど、モンレヴァルの影響はまだ残されているのだ。
(モンレヴァル一族はやっぱり、ルヴェランに今でも慕われているのかしら。……お父様、もしかしたら交渉が進むかもしれないわ)
期待を胸にしたとき、ダンッ! とテーブルが叩かれ、揺れ動いた。ふたたび、緊張が走る。そのとき、ルシアンが威嚇するように、低い声をしぼり出す。
「失礼ですが、カリスト嬢の発言は我々の立場を混乱させるものです。非公式とさせていただきたい。ひいては、カリスト嬢の退室を命じ、今後について、今一度、我々の思いを伝えさせていただきたく存じます」
間違っていたかもしれない。黙ってお飾りとして座っていれば、ルシアンの怒りを買い、父の忠誠が疑われることもなかった。いつものように、「折り合いがつかない」と嘆く和平交渉が、淡々と終わるはずだった。
「どうぞ、おっしゃってください。我々はセレバルとの友好を願っています」
ティナはハッとした。ラスがやんわりと、優しい声音で言ったからだ。敵国のはずなのに、この場にいる誰よりもティナの言葉を待ってくれていると思わせる態度に驚いた。
「も……、申し上げます。民が、民が何を望んでいるのか、私たちは忘れているのではないでしょうか?」
ティナは勇気を出して声を張り上げた。自身の声を聞くのは、十年ぶりぐらいだろう。別の誰かが話しているような不思議な感覚に襲われながら、さっきとは違って、一歩ずつ慎重に歩むようなつもりで言葉を選んでいく。
ラスは椅子に腰をおろし、ゲレールとうなずき合ったあと、真摯な態度でこちらをまっすぐ見つめた。
話を聞いてくれる人がいるとわかると、心強かった。きっとうまく話せなくても、彼らは笑ったりしないだろう。いや、笑われてもいいじゃないか。なかったことにされるよりは、ずっといい。
「私は戦場を知りません。しかしながら、父であるカリストから紛争の厳しさを教えてもらいながら育ちました」
父はいつもぼやいてばかりだった。なぜ、陛下は争いを好むのかと。
「私は民が苦しみ、血を流す姿をこれ以上、見聞きしたくありません。そのためにはどうか、私の提案を聞いてください」
周囲をぐるりと見回し、呼吸を整える。議長が「続けて」と促す。
「私の提案は、ルヴェランの要求に近いものがあります」
「と言いますと?」
興味を持ったように、ゲレールが耳を傾ける。
「今の状況では、係争地であるスレイからの無条件撤退は極めて難しい判断になります。ですから、中立管理地域とする案を提示させていただきたいのです」
父は毎日のように、書斎にこもると、羊皮紙に思いつきの解決策を書いては丸め、絨毯に投げ捨てていた。
それをメイドたちは拾い集め、ティナの部屋へ運んだ。筆談に使う羊皮紙に新品をそろえるのはもったいない。これでじゅうぶんだと吐き捨てるカタリーナの命令に従って。
捨てられた羊皮紙の山は、ティナにとって、父の知識を詰め込んだ写本だった。だからこそ、父の考えを誰よりも理解している自負がある。
「先ほど、スレイに駐屯地を置くとおっしゃいました。それには私も賛成です」
これは、父が和平に向けての第一歩と記したメモ書きに書いてあったことと同じだった。
「では、両国で共同の駐屯隊を配置する──そう言うことですかな?」
「そうです。無主地であるスレイを、共同地とするのです。どちらか一方ではなく、双方で協力し、治安を維持する──奪うのではなく、支え合う形にするのです」
ゲレールがゆっくりうなずく。しかし、会場は静まり返っていた。提案が間違っているのか、反応からは正直わからない。それでも、ティナは正しいと信じて続ける。
「民にとって大事なことは、明日が約束されているということ。大事な家族を紛争で失わないということ。ですから、長く続くこの紛争の、早い解決を願います……」
深い息を吐き出すと、正面に座るラスが両腕を胸の位置に掲げ、手のひらを打ち合わせた。二度三度と繰り返すと、ルヴェランの使節団からパラパラと拍手が起きる。さらには、仏頂面のルシアンの横……近衛隊長のハインまでもが。
「さすがは、モンレヴァル一族。常に平等である姿はその血に刻まれ、変わりないようです」
ゲレールが一族の名を口にすると、拍手がやむ。そして、ルヴェラン使節団の誰もが、胸に手をあて、敬意を払うようなしぐさをした。
それは、敵国に見せるにふさわしくない異様な光景だった。しかし、それが許されるほど、モンレヴァルの影響はまだ残されているのだ。
(モンレヴァル一族はやっぱり、ルヴェランに今でも慕われているのかしら。……お父様、もしかしたら交渉が進むかもしれないわ)
期待を胸にしたとき、ダンッ! とテーブルが叩かれ、揺れ動いた。ふたたび、緊張が走る。そのとき、ルシアンが威嚇するように、低い声をしぼり出す。
「失礼ですが、カリスト嬢の発言は我々の立場を混乱させるものです。非公式とさせていただきたい。ひいては、カリスト嬢の退室を命じ、今後について、今一度、我々の思いを伝えさせていただきたく存じます」