キスはボルドーに染めて
 陽菜美は独り言のように小さく声を出すと、ふうと息を吐いた。

 それにしてもなぜ社長の美智世が、わざわざ一社員である陽菜美の過去を知ったというのだろう。

 それもかなり歪曲されている情報をだ。


 陽菜美がやや混乱した顔を上げると、角を曲がる美智世の後ろに控えている、秘書の男性の横顔が目に入った。

 その顔を見た瞬間、陽菜美の脳裏に沙紀が訪ねてきた日の記憶が蘇る。

 あの日、沙紀と話をしている陽菜美の脇を、数名の他部署の社員がチラチラと様子を見ながら通り過ぎていた。

 その中に、美智世の秘書の姿もあった気がするのだ。


「まさか、沙紀ちゃんから……?」

 沙紀からの情報であれば、事実とかなり捻じ曲げられていたとしても納得がいく。

 でもそれを確かめる方法なんて、陽菜美には存在しない。


「明日のプレゼンに、迷惑がかからなければ良いけど……」

 陽菜美はしばらくその場に立ち尽くすと、不安でたまらなくなった気持ちを抱えるように、ぎゅっと胸の前で手を組んだ。
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