キスはボルドーに染めて
「あの、どうかされましたか?」

 小さく首を傾げる陽菜美の様子に気がつくと、男性は「いいや、何でもない」とにっこりとほほ笑み返す。

「陽菜美か、いい名前だな。俺は蒼生(あおい)音羽 蒼生(おとわ あおい)だ」

 蒼生の声がやけに優しく感じ、陽菜美は恥じらうように下を向く。

「……蒼生さんも、素敵なお名前です」

 陽菜美と蒼生は、しばらくお互いの手を握ったまま、その場に佇んでいた。


 今日初めて出会って、ほんの数時間一緒にいただけなのに、なぜこんなにも別れが惜しく感じるのだろう。

 陽菜美は、いつまでも包まれていたいその手を慌てて離すと、わざと明るく「じゃあ」と言って背を向ける。

 するとしばらくして、「陽菜美」という声が通りから聞こえた。


「え?」

 陽菜美が勢いよく振り返ると、蒼生が窓から顔を覗かせている。

「次に会った時は、用意しておくよ」

「え? 何をですか?」

「あのシャトーのワイン。ここまで来ておいて、飲めてないだろう?」

 蒼生の楽しそうな声に、陽菜美は「あ!」と思わず叫び声を上げた。
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