キスはボルドーに染めて
『俺は、陽菜美との未来に希望を持ちたい』


 無我夢中で走りながら、陽菜美の中で蒼生の言葉が浮かんでは消えていく。

 あの時の蒼生の言葉を信じていたし、信じたかった。


 ――純玲さんの話が、真実とは限らない。でも、もう私には耐え切れない……。


 陽菜美は次々と溢れだす涙もそのままに、エレベーターに飛び乗った。

 遠くから陽菜美を呼ぶ杉橋の声が聞こえた気がするが、陽菜美はそのままエレベーターの閉じるボタンを強く押す。

 動き出した個室の中で顔を覆ってうずくまりながら、それでも陽菜美の瞼には蒼生の笑顔が映っていた。

 陽菜美は「わぁっ」と泣き叫ぶように声を上げると、到着した先でエレベーターから駆け出す。

 とにかく一分でも一秒でも早く、ここから逃げ出したかった。


 ――早く蒼生さんを忘れられるように……。蒼生さんを感じない場所へ……。


 陽菜美は大通りで手を上げると、目の前で停車したタクシーに飛び乗る。

 陽菜美の声に、車はどこへともなく、ゆっくりと発進した。


 しばらくして顔を上げた陽菜美は、困り顔の運転手にようやく行き先を伝える。

 会社に置いたままの鞄の中で、スマートフォンが着信を告げていることも知らずに。
< 184 / 230 >

この作品をシェア

pagetop