キスはボルドーに染めて
 しばらくして、陽菜美は自分を落ち着かせるように何度か大きく息を吐くと、ようやくぐっと顔を上げる。

 よし、と一歩足を踏み出した時、再び陽菜美は硬直したようにその場から動けなくなった。

 ちょうど向かいから歩いてくる男性社員の輪の中に、貴志がいるのが見えたのだ。


「お前、新婚生活はどうなんだよ」

「いいよなぁ、あんな美人の奥さん」

 同僚たちにいじられて、貴志はまんざらでもない顔をしている。

 その顔を目の当たりにし、耐え切れずうつむいた陽菜美の目線の先に、貴志の左手の薬指が映った。


 ――本当に、結婚したんだ……。


 つい数日前まではなかった結婚指輪は、貴志の薬指で眩しいほどに輝いていた。


「あれ? 結城さんお疲れ様」

 すると男性社員の一人が、陽菜美が立っていることに気がつき声を出す。

 陽菜美はビクッと顔を上げた。

 その瞬間、なんとも気まずそうな貴志の顔が視界に映る。


「お疲れ様です……」

 陽菜美はパッと顔を逸らすと、それだけを言ってフロアへと駆け足で戻った。

「あっれー? 結城さんどうしたんだろ?」

 背中で陽菜美のことを話す声が聞こえたが、陽菜美はそのままバタンとフロアの扉を閉じた。
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