キスはボルドーに染めて
「個人的にスタッフに話しかけると、勘違いされますよ」

 陽菜美はサッと顔を背けると、わざと冷たい声を出す。

 貴志は後ろを通り過ぎる他のスタッフに「お疲れー」と声をかけながら、「そうなんだけどさぁ」と頭に手をやった。


 浮気相手の陽菜美に、今更何の用事があるというのだろうか。

 小さく息を吐きながらふと見上げた先に、プラチナの結婚指輪が光り、陽菜美は反射的に目を閉じた。


 ――私だって結婚したかった……。


 ふとそんな思いがよぎり、陽菜美の瞳を軽く潤ませる。


 今の陽菜美には、貴志を本気で愛していたのかなんてわからなかった。

 いつも耳に心地よい台詞を吐きながら求められることに、慣れすぎてしまっただけなのかも知れない。


「急に有給休暇を取ったって聞いたからさ、気になって……。もしかして……」

「別に!」

 陽菜美は貴志の声を遮るように顔を上げる。

「別に、私の有給休暇と松岡主任は関係ありませんから……」

 陽菜美は声を抑えるようにそう言うと、雑に引き出しから鞄を取り出した。
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