私のことが必要ないなんて言わせません!【菱水シリーズ③】
根性が悪いったらない。
苦さに負けて、テーブルの上にコーヒーを置くと、そこに楽譜が置いてあった。

「ファリャの火祭りの踊り?」

梶井さんはしまったという顔をした。

「もしかして、私が弾いていたのを聴いて影響されたとか!?」

「本当にうるさいやつだな!」

楽譜を私の手からさっと奪われてしまった。

「ピアノ、必要なら私が弾いてあげますよ?」

「お前のマイペースなピアノでか?」

「今のは冗談だってわかってるでしょ……」

ちょっと言ってみただけ。
わかってる。
世界的に有名なチェリストの梶井さんがピアノ教師でしかない私と弾くことなんかないってことくらい。

「冗談なのはわかったが、今日はお前の相手をするような精神状態じゃない。だから早く帰れよ」

それはなんとなく、察していた。
疲れた顔と気だるげな様子。

「風邪?」

「違う。昨日、眠れなかっただけだ。ただの睡眠不足」

「どうやったら、眠れるの?」

「女と寝る。添い寝っていう意味じゃないぞ」

梶井さんは線を引いたのが私にはわかった。
脅して私を帰らせようとしている。
そして、私のことは絶対女としてみようとしない。
そんな気持ちが伝わって来た。
だから、私は―――

「わかってる」

私は立ち上がり、梶井さんの手からコーヒーカップを奪った。
そして、唇を重ねた。
覚えたての大人のキス。
噛みつくみたいにして、梶井さんの唇を塞いだ。
これは私の女の意地。
精一杯の誘惑だった。
私を傷つけて、わざと距離をおこうなんて考えないで―――誰よりも誰かが必要な人なのに。
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