25年ぶりに会ったら、元・政略婚相手が執着系社長になってました
真樹は、食器を丁寧に拭きながらも、美和子の横顔から目を離さなかった。

(気づいているんだろう、美和子……お前の中に、もう抗う力なんて残っていないことに)

彼女が自分の手の中で静かに揺れている。望んでいるのに、怖れている。自分のものになってしまうことの、逃げ場のない甘やかさに。

やるなら、今だ。

真樹は、何も言わずにそっとジャケットを取り、内ポケットからそれを取り出す。

美和子が、湯呑を棚に戻したあと、ふうっと小さく息をついた。彼女がソファに腰を下ろすのを確認して、真樹もゆっくりと向かいに座った。

そして、何気ない手つきでローテーブルの上に、その一枚の紙を広げる。

「……美和子」

呼びかけと同時に、万年筆をその上に静かに置いた。

「これに、記入してくれ」

美和子の目が、紙に向けられる。そして、その一瞬で、顔色が変わった。

「……これ……全部……」

真樹の筆跡で、必要な項目はすべて記されている。あとは、美和子の名前と、ひとつの署名だけで完成する。


「明日、一緒に出しに行く。いいな」

まるで、食後のデザートでも勧めるような自然な口調で、真樹は言った。

「……え?」

美和子は一瞬、聞き間違いかと思った。けれど、ローテーブルに広げられた婚姻届と、万年筆。そして真樹の揺るがぬ眼差しが、それが現実であることを突きつけていた。

「待って、ちょっと待って……私、まだそんな……」

彼女は思わず声を上ずらせて立ち上がろうとした。しかし、それより早く、真樹の手が彼女の手首を軽く、しかし確実に掴んだ。

「逃げるなよ、美和子。話は最後まで聞け」

「……これ、冗談、よね?」

「冗談でこんなもの書かない。ちゃんと、本籍も調べたし、保証人欄も埋めた。あとは、君だけだ」

彼の口調は穏やかで、微笑すら浮かべているのに、そこには一切の冗談も猶予も感じられなかった。

「でも、こんな急に……私の気持ちは、まだ──」

「言葉ではどれだけ否定しても……君の奥にある本音は、もう隠しきれてない。触れたときの震えも、目を逸らすたびに揺れる心も、全部──俺には届いてる。愛しいくらい、真っ直ぐに……君は、俺を求めてる」

真樹の声は、低く穏やかに、美和子の内側を撫でるように響く。

「だったら、せめて……少し考える時間をちょうだい」

震える声で絞り出した言葉に、真樹はしばし沈黙した。

そして——

「いいよ」

ふいに手を離し、背もたれに体を預ける。その視線は変わらず鋭く、冷静だった。

「大丈夫だ、美和子。逃げなくていい。怖いなら、俺が全部引き受ける。だから、もう……俺から離れようなんて、考えるな」

そして、そっと微笑んだ。

「何度でも言うよ。美和子……俺は、君を愛してる。どんな君でも、全部が愛おしい」
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