【不器用な君はヤンキーでした】

第16話・前編 「わたしの知らない、瀬那の名前」

週末の朝。
空は曇りがちだったけど、心の中は不思議と穏やかだった。

瀬那との待ち合わせは、駅前のロータリー。
私服姿の彼を見つけると、少しだけ胸が高鳴る。

 

「おはよ」

「……おう」

 

小さく手を上げて笑った瀬那は、昨日よりもどこか落ち着いた表情をしていた。
でも――その奥には、何かを隠している気配も確かにあった。

 

「じゃ、行こうか」

「うん」

 

ふたりで並んで歩き出す。
行き先は“近くの公園”。だけど、それが目的じゃないことは、お互いに分かっていた。

* * *

 

ベンチに座って、缶のカフェオレを開ける。
少し冷たい風が頬を撫で、瀬那は首元をすくめて小さくため息をついた。

 

「……話、あるんでしょ?」

私が切り出すと、瀬那は一度だけ深く息を吐いた。

 

「叶愛、お前にだけは……隠したくなかった」

 

その言葉に、身体が少しだけ強張る。

 

「俺さ、小学校5年の頃……一時的に、施設に預けられてたことがあるんだ」

 

「……施設?」

 

「親父が暴れて、母親が家を出てしまって。俺はその間、“一時保護”ってやつで、別の街の施設にいた」

 

私は黙って聞いていた。
言葉を挟むよりも、彼の声をまっすぐに受け止めたかった。

 

「そこで、ひとりの女の子に出会った。名前は、柊(ひいらぎ)」

 

「……柊?」

 

瀬那は静かに頷いた。

 

「同い年の女の子で、おとなしくて、でも芯が強かった。いつも俺に笑いかけてくれてた」

 

その声が遠くの記憶をたどるようにかすかに震えていた。

 

「俺にとって……多分、初めての“救い”だったんだ。恋かどうかはわからないけど、あいつの存在が俺を変えた」

 

私は喉の奥がきゅっとなった。
知らなかった。瀬那の中にそんな大切な存在があったこと。

 

「再会も連絡もなかったけど、ずっと忘れたことはなかった」

 

風が強く吹き、瀬那の前髪を揺らした。

 

「最近、偶然その子の名前をネットで見つけた。……同姓同名かもしれないけど、調べたら」

 

彼の手が、カフェオレの缶をぎゅっと握る。

 

「いま、あの子は病気で入院してるらしい」

 

「……!」

 

「だから、来週、東京の病院まで会いに行こうと思ってる」

 

胸の奥に、さまざまな感情が押し寄せた。
戸惑い、驚き、そして――

 

「……叶愛」

 

瀬那の声が私の思考を止めた。

 

「もしお前が嫌だって言うなら、やめる。でも俺は――ちゃんと会って話したい」

 

私はゆっくり深く息を吸い、そして笑った。

 

「……行ってきて、瀬那」

 

「え……」

 

「私は信じてる。瀬那が“過去”と向き合ってきたことをずっと見てきたから。
だから今度は、その子にも“瀬那の今”を見せてきて」

 

瀬那の目が驚いたように見開かれた。

 

「……ありがとう、叶愛」

 

その声に迷いはなかった。

けれど、私の胸にはひとつだけ確かな不安が残った。

 



 

その名前が、今の彼をどう揺らすのか。
私はまだ知らなかった。
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