【不器用な君はヤンキーでした】
「わたしの知らない、瀬那の名前」

 

次の日の朝、私はぼんやりと天井を見つめていた。

昨日の瀬那の言葉が、ずっと胸の中で反響していた。

「……俺にとって、初めて“救ってくれた”人だった」

 

それは恋とは違う。
でも、愛情と優しさのすべてを塗り替えるような、
そんな“光”みたいな存在。

 

(……柊さん、か)

 

知らない名前だったはずなのに、
どこかその響きが胸に残って離れなかった。

 

* * *

 

瀬那とは、今日もLINEを交わした。

【おはよう】
【昨日、ありがとうな】
【俺さ、ちゃんと話せて良かったと思ってる】

 

その文面には、迷いがなかった。

 

(……そっか)

 

ほんとうに、大事なことだったんだろうな。
瀬那にとって、彼女との記憶は。

 

私は深呼吸をして、返信を打つ。

【私も、話してくれて嬉しかった】
【行っておいで、ちゃんと。大丈夫、わたしここにいるから】

 

【……叶愛、ありがとな】
【戻ったら、真っ先に会いに行く】

 

その言葉だけで、また胸の奥がきゅっとなった。

“真っ先に”
それだけで、私は少しだけ安心できる。

 

(……でも)

 

どこかで、ほんの少しだけ、ざらついた感情が残ったままだった。

それは、嫉妬かもしれないし、不安かもしれない。
名前も分からない、感情の影。

 

私はわかっていた。
それを“やきもち”って言葉ひとつで片づけるには――
柊さんという存在が、あまりにも特別すぎた。

 

* * *

 

日曜の夜。
私はリビングにいた。

姉がテレビを観ながら笑っている横で、私はスマホをぼんやり見ていた。

すると、ふと通知が鳴る。

──瀬那からだった。

【あのさ】

【柊、やっぱり本人だった】

 

(……!)

 

私は、思わず画面を強く握ってしまう。

【会えたの?】

【うん。今日、ちゃんと会って話した】

【そっか……どうだった?】

 

少しの間があってから、返信がきた。

 

【……俺、あの人に“ありがとう”って言えた】

【何年も言えなかったけど、今日、やっと言えた】

 

その言葉を見た瞬間――
私は、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 

彼がずっと背負ってた過去。
その根っこにいた人に、ちゃんと「ありがとう」を伝えられた。

 

それだけで、きっと瀬那の中で何かが変わった。

 

【話してくれてありがとう】
【私、瀬那がちゃんと前を向いてくれて嬉しい】

【……叶愛】

【今度、お前にも話したい。あの人とのこと、全部】

 

(うん)

私は、画面越しに小さく頷いた。

 

そして、思った。

「知らない名前」はもう、怖くない。

瀬那の中で、それが“思い出”として落ち着いたのなら――
私の中でも、受け止めていける。

 

瀬那が過去と向き合った日。
それは、私にとっても、大切な一歩になった。

 

* * *

 

その翌日。

学校の帰り道。

ふたりで並んで歩くいつもの道に、少しだけ違う空気があった。

 

「……ただいま」

そう言って笑う瀬那に、私は笑って返す。

「おかえり」

 

それだけのやりとりに、胸がぎゅっとなった。

 

「柊さん、どうだった?」

私がそう訊ねると、瀬那は少しだけ空を見上げた。

 

「やっぱり、すごかった」

「え?」

「何年ぶりかに会ったのに、俺の名前を覚えてて、“元気だった?”って、笑ってくれた」

「……そっか」

 

「ずっと俺、あの人の笑顔だけが記憶に残っててさ。でも、ほんとにそのままだった」

 

「それ、嬉しいね」

 

「うん。……でも、俺のほうが泣いちまってさ」

瀬那はちょっと照れたように笑った。

 

「“ずっとあなたが支えだった”って伝えた。そしたら、あの人、少し泣いてた。……“瀬那くんが幸せなら、それが一番”って言ってくれた」

 

私の胸が、きゅっとなる。

(やっぱり――すごい人なんだ、柊さんって)

 

「……叶愛。あの人は、俺の初恋じゃない」

唐突に、瀬那がそう言った。

「え?」

「“好き”っていうのとは、ちょっと違ってた。でも……“人って、こんなにあたたかいんだ”って、初めて教えてくれた」

 

私は黙って頷いた。

 

「だからこそ、今こうして叶愛と向き合ってる時間が、すごく大事なんだ」

 

その言葉に、私は自然と笑顔になる。

「私も、そう思ってるよ」

 

そのとき、瀬那がふと立ち止まる。

 

「……なに?」

 

「手、繋いでいい?」

そのひと言に、思わず笑ってしまう。

 

「ばか。……ずっと繋いでていいよ」

 

瀬那の手が、そっと私の手を包む。

少しあたたかくて、少しだけ震えていて――
でも、何よりもしっかりと繋がっていた。

 

壊れかけた心も。
過去の痛みも。
まだ癒えていない記憶さえも。

 

ふたりでなら、きっと超えていける。

そう、信じられる夜だった。
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