その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
貴之の右手が、そっと麻里子の膝に触れた。
布越しに感じるその温もりに、麻里子の肩がわずかに揺れる。彼の指はゆっくりと、慈しむように太ももをなぞり、まるで花弁を扱うような繊細さで、その奥へと導かれていった。

「……ん……っ」

声にならない吐息が、麻里子の唇から漏れる。
恥ずかしさに脚がすこし縮こまるが、それでも拒むことはできなかった。貴之の手がもたらす熱と安堵が、麻里子の奥深くにまで届いていたから。

「……やわらかい……ずっと、触れたかった」

囁くような低音に、鼓膜が甘く震える。

スカートの内側で、指先が慎重に滑り込んでいく。
ショーツの上から、そっと、そして確かに触れられた瞬間、麻里子の身体がびくりと跳ねた。

「……っ、だ、め……」

言葉とは裏腹に、彼女の指先は貴之のシャツをぎゅっと握っていた。
潤んだ瞳が、彼を見る。

「麻里子……全部、無理にはしない。けど、俺は……君をちゃんと、感じていたい」

その言葉とともに、指がごく控えめに、小さな円を描くように動いた。
ショーツ越しの愛撫。それは決して激しくはない。
むしろ優しすぎるほどに、慎重で、切なくて。

「……あ……っ、や……っ」

麻里子の声が、かすかな震えとともに漏れる。
その表情があまりに愛おしくて、貴之は額をそっと彼女の額に合わせた。

「焦らない。今日は……ここまでにしておこう」

名残惜しそうに、貴之の指先が、そっと離れた。

その余韻の中で、麻里子は目を伏せながら、小さく呟いた。

「……どうして、やめるの?」

貴之は一瞬、動きを止めた。そして、彼女の頬にかかる髪をそっと耳にかける。

「ん?」

「どうして……最後まで、しないの……?」

かすれたその声には、戸惑いと、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。

貴之は麻里子の目をまっすぐに見つめながら、静かに問い返す。

「……してほしいのか?」

麻里子はわずかに頷いた。でも、その表情にはどこか自分を責めるような翳りがある。

「……でもね、私……魅力がないんじゃないかって思ったの。女として、見られてないのかなって。だから最後までしないのかなって……この歳で、経験もないし……正直、どう思われてるのか……怖かった」

言い終えると、麻里子の睫毛が震える。

貴之はそっと彼女の頬に手を添え、真摯な声で応える。

「麻里子……俺が麻里子を抱かないのは、魅力がないからじゃない。逆だよ。麻里子が綺麗すぎて、愛おしすぎて……中途半端な気持ちで触れたくないだけだ」

「……俺に気を遣って“いいよ”って言ってるだけだったら、それは本当の意味で抱くことにならない。麻里子の心が、ちゃんと“俺が欲しい”って叫ぶまでは……俺は待ちたい」

麻里子の瞳が潤む。

「……したいって、思ってる?」

貴之は少し笑って、額を彼女の額に優しく重ねた。

「ああ、もちろん。麻里子の全部が欲しいよ。心も、身体も、全部」

言葉は静かに、けれど確かな熱を含んでいた。

「でも—“初めて”は一度きりだろ? だからこそ、大事にしたい。俺にとっても、麻里子にとっても、ちゃんと意味のあるものにしたいんだ」

麻里子はその言葉を、ゆっくりと胸の奥に落とし込むように、そっと目を閉じた。

—抱かれなかった夜。
けれど、それは拒まれた夜ではなく、深く愛された夜だった。

そのことを、麻里子は心で、確かに知っていた。

ベッドに腰かけたまま、貴之がそっと彼女の手を取った。

「……これからは、この部屋でもちゃんと過ごせるようにしてくれ。必要なもの、他にもあるだろ? 持ってきていい」

麻里子が驚いたように目を瞬かせる。

貴之はその表情を見つめながら、ゆっくりと言葉を重ねる。

「引き出しも開けてある。洗面所の収納もだ。……いつでも、ここで夜を越せるように」

その言葉には、強制でも、甘い誘惑でもない、確かな意志と包容があった。

麻里子は数秒、胸に手を当てるようにしてから—

こくん、と小さくうなずいた。

それは「受け入れる」という意思表示だった。
この部屋、この時間、この人の隣で。

貴之の口元がやわらかく緩む。

そっと手の甲にキスを落とすと、麻里子の頬が淡く紅をさした。
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