その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
貴之がリビングに入ってきたとき、翔はもう麻里子の隣にぴったりとくっついていた。
膝に座る勢いでくっつき、彼女の腕に小さな手を絡ませながら絵本を広げていた。

「ねえ、麻里ちゃん、これ見てよ。こっちのページの恐竜がさ…」
「あら、翔ちゃん、詳しいのね。かっこいい!」

麻里子が優しく微笑みながら相づちを打つその様子を、貴之は黙って見つめていた。
(……あの距離感はずるい)
唇を引き結びながらも、視線は翔の動きに自然と引き寄せられてしまう。

翔はふと、貴之の存在に気づいた。
彼が何も言わずにこちらを見ていることを、子ども特有の直感で察知する。

(ふーん……この人、麻里ちゃんのこと、好きなんだ)

ニヤッ。
翔は、貴之に向かって小さく笑いかけた。
挑発するような、ちょっと大人びた顔。

そしてそのまま、さらに麻里子にぴったりと身体を預けて、甘えるように言った。

「麻里ちゃん、今日はずーっと一緒にいてね。手もつないで、ぼくとだけ遊んでよ」

「もちろんよ、翔ちゃん♪」
麻里子は嬉しそうに笑って、頭を優しく撫でた。

貴之はその光景を見て、胸の奥がじくりと熱くなるのを感じた。
翔の無邪気さはわかっている。でも、わざとやっているのも……気づいてしまう。

(……小さなライバルってやつか)

翔はちらりと貴之を見上げる。
「ふふん」と言いたげな目で、もう一度ニヤリと笑った。

貴之は軽く咳払いをしながら、壁際の椅子に静かに腰を下ろした。
翔の策略にまんまと引っかかっている自分に、少し苦笑したくなる。

そんな空気を知らずに、または分かっていてあえて柔らかく崩すように、麻里子がふと声をかけた。

「貴之さんも、よかったら一緒に行きませんか?今日、遊園地に行くんです」

貴之は目を細めた。
「……いいのか?」

その言葉の裏にある“俺も一緒でいいのか?”という気持ちを、麻里子はちゃんと受け取っていた。

「ねえ、翔ちゃん。貴之さんも一緒でいいわよね?」

翔は一瞬、腕を組んでふむ……と考えるふりをしたあと、ぱっと顔を明るくして答えた。

「いいよ!一緒に行こうよ!」

(よし、もっとからかってやろうっと)
翔の中で、新たな“作戦会議”が密かに始まっていた。

その表情は無邪気そのもの。けれど、貴之の心中はじわりと複雑になっていく。
それでも、そんなやりとりすらも、どこか微笑ましくて、愛おしかった。

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