その抱擁は、まだ知らない愛のかたち

日曜日の夜 再び貴之の苦悩

車に戻ると、助手席に乗り込んだ麻里子がふと聞いた。

「ねえ、翔ちゃんと、さっき何を約束してたの?」

貴之はハンドルに手をかけたまま、ちらりと麻里子に目を向ける。

「……男同士の約束だから。言えないな」

その真剣すぎる顔に、麻里子は思わず吹き出した。

「ふふっ……なにそれ。子どもみたいな顔して、可笑しいわ」

肩を揺らして笑う彼女に、貴之もようやく表情を和らげた。

「……貴之さん、今日は本当にありがとうございました」

「楽しめたか?」

「うん。とっても」

麻里子は窓の外を見ながら、ぽつりと続ける。

「甥っ子と遊べて嬉しかったし……お兄ちゃんにも会ってもらえたし」

「……ところで、あのあと。お兄ちゃんと何話したの?」

麻里子が振り返ると、貴之は目をそらさず静かに答えた。

「うん? 麻里子と……付き合っています、って話と—その許可を、もらった」

麻里子の目がぱちっと開く。

「許可?……」

「正式な挨拶のつもりだった。少し早いかと思ったけど、あの人にはきちんと伝えておきたかった」

麻里子はしばらく言葉を失い、それから小さく笑った。

「お兄ちゃん、昔から過保護なの。私とは10歳も離れてるから……父親みたいなところもあって」

「……いい兄さんだな」

「そうよ。すごく、いい兄なの」

どこか懐かしさを含んだような優しい声だった。

車内に静けさが戻る。
けれどその静けさは、ぎこちないものではなく—
ふたりの距離がほんの少し近づいたことを知らせる、穏やかな余韻だった。

車が静かに住宅街に入っていく。夕暮れが、街をやわらかく包み込んでいた。

「何か食べて帰るか?」

ハンドルを握ったまま、貴之がふと問いかけた。

「そうね……久しぶりに“東華軒”の餃子とチャーハン、食べたくなっちゃった」

助手席の麻里子が、嬉しそうに笑う。

「いいな、それ。マンションから歩いて行けるしな」

「うん。あそこの餃子、ニラたっぷりで、ちょっと焦げ目がついてて……」

「チャーハンもしっとり派で、俺好みだ」

ふたりは子どもみたいに目を輝かせて、“東華軒”のメニュー談義で盛り上がった。
車内には、気取らない笑いと、どこか温かな空気が流れる。

やがてマンションの駐車場に到着すると、自然な流れで手をつないで、並んで歩き出す。

沈みかけた太陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
その距離はもう、初デートの頃のような、遠いものではなかった。

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