甘い生活を夢見る私は、甘くない彼に甘やかされる
 チラチラと視線を受けながらも、日水先輩に繋がれた手を振り払う事もできない。

「ひ、日水主任」

「おう、お先」

 駅前で、呆然としている総務課の人達の目の前を、私は先輩とともに通り過ぎて行く。
 その時の、池之島さんの視線の鋭さに、一瞬、心臓が冷えたが。
 そこを通り過ぎ、いつものバスターミナルへ。
 時間は、昨日と同じ。
 バス停のベンチに座っている面々も、いつも見る人達だ。
 そんな中、日水先輩だけが――浮いていた。
 まあ、そう感じるのは、私だけなんだけれど。
 
「――あ・」

「どうした」

「ま、増沢に連絡してない……」

「は?」

 思わずつぶやいた言葉を拾った先輩は、顔をしかめた。
「……誰だ、男か?」
 私は、チラリとベンチを見やると、先輩を引きずって近くの自動販売機の前まで行き、小声で言った。
「……ウ、ウチの執事だったおじいさんです……。……ずっと、私の面倒を見てくれていて……」
 そう言って顔を上げると、先輩は、何とも言えない複雑な表情で見下ろしている。
「せ、先輩?」
「……いや、普通に執事っつー言葉を使う人間、初めて見たわ」
「……バカにしてます?」
「そういう訳じゃねぇよ。何か、世界が違うんだな、と」
 私は、思わず視線を下げた。
 一瞬だけ、胸を刺すような痛みを感じたのは――気のせいだ。
「おい、津雲田?」
「……先輩も――そういう事言うんですね」
「あ?」
 にじみ出てくる涙は、見せたくなくて。
「おい、どうした」


 ――先輩には――そんな風に言って欲しく無かった。


 ――最初から、私を特別扱いしなかった先輩には――……。


 すると、視界に入った大きな手に、頬を拭われる。

 顔を上げれば、至近距離で――不安そうな影を落とした、先輩の顔。

 まるで、キスをするような近さに、私は思わず一歩下がった。
「――な、何ですか」
「いや、泣いてるから――」
「放っておいてください」
「無理だろ」
 そんな言い合いをしている間に、いつもの時間のバスがやって来て――そして、発車。

「――あ……あああぁ――――っ!?」

 ちょっと待って!アレ、最終のバスなのに!
 他の路線、無いのに!

 無情にも去って行くバスの後ろ姿を見つめ、呆然としている私の肩を、ポン、と、大きな手が叩いた。

「……おい、まさか――」
「……アレ、最終なんですけどー!」
「――……そ、そうか。……悪い。……タクシー拾うか……」
「そんなお金、ありません!」
「オレが出す」
「いりません!……もういい!歩いて帰る!」
「バカか、お前は!」
「だって、帰れないもの!」
「良いから!」
 しびれを切らした先輩は、私の手を包み込むように握ると、スタスタとタクシー乗り場まで歩き出す。

「コレは、オレの責任だ。――だから、お前は、素直に甘えておけ」

 バツが悪そうに言う先輩の言葉に、私の胸は跳ね上がった。

 ――……そんな風に言われた事なんて、無かったから――……。
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