甘い生活を夢見る私は、甘くない彼に甘やかされる
「おい、待て、津雲田」
すると、ロッカールームに向かう途中、呼び止められ振り返る。
「……何ですか、日水先輩」
「夕飯は」
「……デートの予定だったから、何にも考えてませんー」
ジロリと恨みがましく先輩を睨み、私は背を向ける。
すると、廊下の電気と、外からのネオンで明るいはずの視界が不意に暗くなるが、驚きもせず再び振り返った。
すぐ後ろには――身長百九十センチ、大学までラグビー部だったという、ガタイの良すぎる先輩。
百五十六cmの私は、そのまま顔を垂直に上げ、眉を寄せた。
「……何ですか」
「――何でも良いなら、奢るぞ」
「え⁉ホントですか!」
――ああ、何て現金。
自分でもわかってはいるけれど――部屋に帰ると言ったところで、コンビニ弁当のお世話になるだけ――なら、まだ良い方。
下手をすれば、菓子パン一個で終了なんて、ザラなのだ。
「牛丼」
「オッケーです!」
あっさりと決まり、私は、先を歩き始めた先輩を追いかける。
教育期間の時から、仕事では鬼だけど――仕事を離れたら、面倒見の良い先輩だ。
よく、こうやって、残業帰りに、ご飯をごちそうになっている。
先輩は、私がついて来たのに気づき、気持ちゆっくりと歩幅を狭めた。
その外見とは裏腹に、気遣いができる男だ。
――まあ――正直、好みでは無いけれど。
エレベーターに乗り込み、一階まで。
さっさとボタンを押す先輩を、私は、再びジロリと睨んだ。
「……何で、先に押しちゃうんですかぁー」
「ガキか」
「だって、楽しいのに。去年、初めて押した衝撃は、まだ忘れられないですよー!」
「……この箱入りお嬢が」
「お嬢とか言わないでください。もう、違うんですから」
お互いにしかめ面を交わすと、そのタイミングで一階に到着した。
「――ま、別に、興味無いがな」
「興味持って欲しい訳じゃありませんー」
ただの世間話のようにスルーしながら、二人で会社を出ると、道路を挟んで目の前の牛丼屋に入った。
「日水先輩、ごちそうさまでした!」
「おう」
ひとしきり、変わる事の無い味を堪能した私は、店を出ると先輩に頭を下げる。
こんな機会でもなければ、ちゃんとしたご飯なんて、食べないのだから。
「でも、やっぱり、不思議ですねー」
「何がだ」
駅に向かって歩きながら、私は、空を見つめて言った。
「あんなに美味しいのに、何で、あんなに安いんでしょ?」
「企業努力の賜物だろ」
「それが、不思議なんですよー。どう努力したら、できるのかな、って思いません?」
「――人件費の削減、効率化、その他諸々。……お前、今日の会議に書記で入ってたんだろうが。テーマも覚えてないのか」
「……だって……記録するのに、いっぱいいっぱいで……何で、総務から入らなきゃなんですかー」
「それが、仕事だからだろうが」
「……でも、新人なのに……」
ゴニョゴニョと視線を逸らしながらも、反論するけれど。
「いい加減、初心者マークは取れ。一年過ぎてんだろ」
そう、あきれたように言われ、思わずムッとしてしまった。
「仕方ないじゃないですか!書記は、まだ、やってなかったんだから」
「仕方ないで済ませるな」
正論で返され、言葉に詰まった。
――ホント、融通の利かない男。
私は、口を閉じると、そのまま早足になる。
それでも、先輩の普通の速度なのが悔しい。
すると、不意に、頭を優しく撫でられた。
「――ま、何だかんだ言ってても、お前は、教えればできるんだから、もう少し頭使え」
その感触と、仕事中とは打って変わって穏やかに微笑む先輩に、鼓動は、いつもよりも速くなる。
けれど。
「……先輩こそ、もう少し、頭使った言い方できないんですか?」
「これでも、最大限褒めてるつもりだが?」
私の反撃をものともせず、先輩は、スタスタと駅へと向かった。
「ちょっ……!先輩!」
「さっさと来い。コンパスの差を考えろ」
「それは、こっちのセリフです!」
そう返しながら、先ほどよりも更に歩く速度を上げる。
――……ホント、いつもいつも……褒めるんなら、素直に褒めなさいよ。
私は、前を行く大きく広い背中に、心の中で、そうぼやいたのだった。