甘い生活を夢見る私は、甘くない彼に甘やかされる
 緊張もそこそこに、私が部屋を出ると、先輩は既に隣の部屋のチャイムを鳴らしていた。
 その、躊躇の無さに、ギョッとしてしまう。

「み、美善さん!」

 アワアワと先輩を見上げると、しっ、と、人差し指で止められた。
 私は、条件反射のように、口を閉じる。

 すると、中で、ガタガタと物音。
 そして――次には、ガチャリ、と、ドアがゆっくりと数センチ開いた。

「――誰」

 その低い声に、若い男性だとわかるが、開いたドアと先輩の身体のせいで、私の方からは彼の姿が見えなかった。
「こんにちは。隣に住んでいる者です」
「――ああ」
「昨夜から、騒々しくしてしまい、申し訳ありません」
 まるで、別人のような、柔らかい先輩の態度に、私は、ドキドキしながら様子を見守る。
 ――よく聞くニュースのように、急にキレた隣人、なんて、シャレにならないもの。
 いざとなったら、大きな声を出して――そんな風に構えていると、少しの沈黙の後、彼は、ボソボソと言った。

「――……ここのアパート、壁()っすいんスよ。独り身なんで、痴話喧嘩聞かされると、結構イラつくんスよね」

「申し訳ありません」

「……まあ、別に、ヤッてる声が聞こえる訳じゃないから、大きささえ気をつけてくれたら」

 ――……”ヤッてる”……って……何を?

 先輩は、チラリと私に視線を向けるが、すぐに向き直った。

「――以降、気をつけますので」

「用事、それだけなら、もう良いっスか。今日、夜シフトなんで、寝てたいんスけど」

「ああ、そうでしたか。わざわざ、ありがとうございました」

 先輩が再び頭を下げると、ドアはゆっくりと閉まった。
「み、美善さん」

 ――これで、良かったの?

 恐る恐る先輩を見上げると、口元を上げて返された。
 そして、中に入るようにジェスチャーをする。
 私は、素直にうなづいて、自分の部屋のドアを開け、中に入った。
 先輩は、すぐに、続いて入ってくる。
「――思ってたより、素直に出てきてくれたな」
「え」
「いや、顔も見せてもらえないのも、覚悟してたんだけどな」
「……そ、そうですか……」
「――まあ、若い男の一人暮らしだ。万が一ってコトもあるから、気をつけろよ」
「……気をつけるって……何をですか?」
 何が、万が一、なんだろうか。
 頭を悩ませていると、それを遮るように、先輩の大きな手が、私の頬に触れた。

 ――え?

「狙われねぇように、あんまり、顔は見せるなよ」
「……は?」
 さっきから、先輩の言っている事がいまいちわからない。
 顔をしかめながら、見上げれば、あきれたように返された。
「――あのな、世間知らずってのがバレたら、良いようにされるかもしれねぇだろ」
「……バカにしてます⁉」
 世間知らず、と、言われる度に、自分がズレているのを突き付けられているように感じるのだ。
 けれど、先輩は、表情を変えずに続ける。
「バカにしてねぇ。――心配してんだよ」
「え」
「覚えておけ。女の一人暮らしってのは、いろいろ危ねぇんだ」
「で、でも、他の人だって、普通にやってるじゃないですか!」
「お前は、状況が違うだろうが。身バレしたら、どうなるかわかったモンじゃねえ」

 ――は⁉何それ‼

 私は、カッとなり、反論しようと口を開く――寸前、先輩の大きな手がふさいだ。

「――……このバカ。さっきの今で、何で叫ぼうとするんだよ」

「……っ……!!」

 そして、至近距離で、たしなめられ、鼓動が一気に跳ね上がった。

 ――ちっ……近い、近いっっ……!!

 真っ赤になって見上げれば、先輩は、気がついたようで、手を離す。

「……あ、ああ……悪い」

「……いえ、あの……すみません……」

 お互いにバツが悪くなり、私達は、ぎこちなく距離を取った。
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