甘い生活を夢見る私は、甘くない彼に甘やかされる
 就業日報を送信し、私は、定時キッカリに立ち上がる。
 そして、緊張しながら、先輩の元に向かった。

「――お、終わり……ました……」

「おう、お疲れ」

 私が、振り絞るように声を出すのに反して、先輩は、あっさりと挨拶を返す。

 ――まるで、以前(まえ)のように。

 それに頭を下げて返し、私は、総務部を出た。

 ――あの告白は――無かったコトに、するのかな……。

 そう、頭をよぎった瞬間、胸が刺されるように痛くて、涙が浮かびそうになる。

 ――逃げているのは、私の方なのに――……。

 グルグル回るいろんなものを、必死で押さえつけながら、私は、エレベーターを降りて、ロッカールームまで向かった。

「――お、お疲れ様です……」

 そして、ドアを開けて小声で挨拶をすれば、中には、いろんな部署の人たちが、それぞれ帰り支度をしていた。
「お疲れ様ー」
 すれ違う人たちは、そう、軽く会釈してくれたり、簡単に声をかけてくれたり。
 初めは、まったく知らない人達で、人見知りもしたし、何で知らないのに挨拶するんだろうとも思ったけれど。
 これもコミュニケーションの一環なのだと教えてくれたのは――先輩だった。


 ――挨拶は、基本中の基本だぞ。

 ――でも、知らない人に話しかけるのって、イヤじゃないですかぁー。無視されそうだし……。

 ――いつ、どこで世話になるかわからねぇんだ。それじゃあ、やっていけねぇぞ。


 そんな、他愛無いやり取りが浮かんできて、頑張って振り払う。
 私は、そそくさと支度を終えると、頭を下げながら、ロッカールームから逃げるように立ち去った。

 ――ああ、やっぱり、まだ難しいな……。

 ――こんなんじゃ、マチアプでデートとか言っても、ダメだったかもしれないな……。

 昔から、自分の知っている人間にしか、囲まれていなかった。
 家は、増沢やお手伝いさんが、ずっといてくれてたし、学校も小さい頃からの一貫校だったから、ほとんど出入りは無くて、同じ顔触れで大学までやってきた。
 だから、最初に面接に行った時は、緊張と人見知りでガチガチだった。
 幸い、社長がパパのコトを知っていたし、増沢がつなげてくれたご縁だから、と、頑張ったので、少しはマシだったけれど。
 私は、不意に、先輩に初めて会った時のコトを思い出した。

 ――デカい。

 それが――第一印象。

 なのに、仕事は細かくて、いろいろとダメ出しされて、やさぐれて反発したけれど――それでも、根気よく教え続けてくれて――……。

 ――先輩、デカいのに、いちいち細かい。

 いつだったか、アドバイスという名の説教が終わり、私が文句を言ったコトがあった。

 ――言ってろ。見た目で判断すると、痛い目に遭うぞ。

 確かに、宣言通り、その時の仕事は、先輩がつきっきりで約一週間みっちりしごかれた。
 けれど。

 ――文句言ってなけりゃ、もっと早いからな。口じゃなくて、手を動かせ、手を。

 ――言いたくもなりますー!人がやろうとすると、すぐにダメ出しするじゃないですかー!

 ――最初から、方向が正反対に向かってるのは、止めなきゃだろうが。

 でも、そんなやり取りをしながらも、何とか終わり、その時が最初だったか。


 ――頑張ったな。


 そう言って、頭を撫でてくれて――そして、ご飯に誘ってくれたんだ。


 ――シャレたところじゃなくて良いなら、おごるぞ。


 既に、生活が崩壊しかけていたので、ありがたくお願いしたけれど――。

 何で、私は、あの時、聞かなかったのかな。


 ――それって、デートの誘いですか、って。


 きっと、あきれたように否定されて――そしたら、好きになるなんて、無かったのに。
 中途半端に特別扱いされて、勘違いした自分が、恥ずかしい。

 ――先輩は、面倒見が良いから――からまれていた私を、放っておけなくて。
 ――真面目で細かいから、恋人の振りも、きちんとしなきゃって思ったんだろうな……。


「……なのに……本気にしちゃうなんて……バカみたい……」


 自分で自分を刺してしまって、また、胸は痛む。
 それに耐えながら、私は、アパートまで足取り重く帰った。
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