その色に触れたくて…
【第3章】指先の温度と、心の距離
【 柱⠀】
芸術大学・アトリエの窓辺。午後の光がやさしく差し込む。
【ト書き】
窓の外には揺れる木の影と、淡い空の色。
アトリエの中は変わらず静かで、ただ時折、遠くで誰かが歩く足音が響くだけ。
新菜と成海は、並んでベンチに座ったまま、少しだけ黙っていた。
【新菜(小さく、ぽつりと)】
「……ねぇ、成海くん」
【成海(ちら、と横を見る)】
「ん?」
【新菜】
「さっきのこと、覚えてたんだね。……昔、私が泣き虫だったこと。」
【ト書き】
成海は少しだけ首をかしげて、なつかしそうに目を細めた。
【成海】
「覚えてるよ。お前、小さい頃、すぐ泣いて、誰かにちょっと何か言われただけで、すぐ俺の後ろに隠れて……ほんと、泣き虫で弱虫だったな」
【新菜(むくれて)】
「わ、わざわざそこまで言わなくてもいいじゃん……」
【成海(笑いながら)】
「でもさ、泣いてても俺の後ろついてくんだよな。
泣きながらも、ちゃんと足は動いてるの。それが……なんか、放っとけなかった。」
【ト書き】
成海の声は、どこか懐かしさに滲んでいて。
その横顔は、新菜にとってずっと大好きだった“成海くん”そのものだった。
【新菜(少し、目を伏せながら)】
「……変わったね、成海くん。
前は、もっと子どもっぽくて、元気で、騒がしくて……」
【成海】
「お前に言われたくねぇけどな、それ」
【新菜(ふふっと笑って)】
「でも……やっぱり、変わってないかも。優しいとことか……」
【ト書き】
小さく笑った新菜の声に、成海は視線を落とすように目を細めて、
ほんの少しだけ、彼女との距離を詰めた。
【成海(低く、やわらかく)】
「……別に、優しいわけじゃないよ」
【新菜(きょとんとしたまま)】
「え……?」
【成海 (真剣な顔で新菜の目をまっすぐに見つめて)】
「お前だからだよ。
……昔から、俺、お前のことには、ちょっとだけ甘いから。」
【ト書き】
一瞬、時間が止まったように感じた。
新菜はその言葉の意味を、すぐにはうまく飲み込めなくて、
ただ成海の顔をじっと見つめ返す。
【新菜(声がかすれそうになりながら)】
「……それって、どういう……」
【ト書き】
そのとき、不意に成海が、新菜の手の甲にそっと触れた。
ゆっくり、指先が重なる。
目を合わせたまま、ふたりは黙っていた。
【成海(少しだけいたずらっぽく)】
「……お前、俺の事を無意識で追っちゃうほど、俺の事好きだろ」
【新菜(真っ赤になって手を引きそうになるが)】
「ち、違……っ」
【ト書き】
けれど、成海の手は新菜の手をやさしく包むように、ほんの少しだけ強く握る。
【成海(まっすぐな声で)】
「なんてな、冗談。……でも、俺はずっと見てたよ。
頑張って、絵を描いて、俺と同じ場所に来たお前のこと。」
【新菜(目を潤ませながら、小さく笑う)】
「……バレてたんだ、やっぱり……」
【成海】
「うん。
……でも、嬉しかった。」
「……ありがとな。」
【ト書き】
ふたりの手が、静かに重なったまま。
窓の外の空は、ゆっくりとオレンジ色へと染まりはじめていた。
まるで——
恋が、ほんのすこし、かたちになったように。
【柱:夕暮れの芸術大学・アトリエの前の並木道】
【ト書き】
アトリエの空気がほんのり金色に染まり、
キャンバスの上に残った光が、ふたりの足元に静かに落ちていた。
窓の外に出た新菜と成海は、並んで並木道を歩いていく。
【新菜(少しだけうつむいて)】
「……成海くん、さっきの……ほんとに、冗談だった?」
【成海(ポケットに手を突っ込んだまま、前を見たまま)】
「どの?」
【新菜(ちょっとだけ口をとがらせて)】
「……“ずっと見てた”ってやつ」
【ト書き】
その言葉に、成海の口元がふっとゆるんだ。
わざと気づかないふりをしていたのだと、新菜はすぐに分かった。
【成海】
「さあ。
……でも、言わせるってことは、ちょっとは意識してんだ?」
【新菜(真っ赤になって)】
「ち、違っ……そういうわけじゃ……っ!」
【ト書き】
言いかけた新菜は、恥ずかしさで前を見ずに歩いてしまい——
ふいに、通りかかった立て看板にぶつかりそうになる。
【成海(とっさに腕を伸ばし、新菜を抱き寄せる)】
「っぶね」
【ト書き】
グッと引き寄せられた体が、成海の胸に軽く当たる。
そのまま成海は、新菜の肩と腰を片手で支えたまま、低く笑った。
【成海(小さく)】
「相変わらず、危なっかしいヤツだなお前は」
【新菜(ドキドキしながら、声も小さく)】
「……ご、ごめん……ありがとう……」
【ト書き】
成海は腕を緩めると、そのまま新菜の手を取った。
重なる指先に、新菜は驚きで一瞬息を止める。
【新菜(小さく見上げながら)】
「え、ちょ……」
【成海】
「……ほら、行くぞ」
【ト書き】
握った手は、あたたかくて、すこしだけ強引で。
でも、新菜は抵抗することもできずに、その手をぎゅっと握り返した。
【新菜(内心)】
(夢みたい。
ずっと片想いだった成海くんの手が……今、私の手を……)
【ト書き】
通りすがりの学生たちがちらりと視線を向けるけど、
ふたりはただまっすぐ前を見て、静かに並んで歩いていた。
誰にも言えなかった想いが、少しずつ、すこしずつ、形になっていく——
そんな、夕暮れの帰り道。