その色に触れたくて…

【第5章】触れられない温度

【柱:芸術大学・カフェテラス。夕方】

【ト書き】
カフェの片隅、新菜はひとりテーブルに座っていた。
溶けたレモンティーがぬるくなっていくのを見ながら、成海からのメッセージを待っていた。

【新菜(内心)】
(……さっきは、目も合わせてくれなかった。
 何かあったのかな。……それとも、私がなにか、した?)

【ト書き】
不安なままスマホをいじっていたそのとき——
テラスの向こう、キャンパスの門の方に歩いていくふたりの姿が見えた。

【ト書き】
成海。そして、その隣に並ぶ女の人。
髪の長い、すらりとしたシルエット。
大学の生徒じゃない。どこか洗練された、落ち着いた雰囲気。

【新菜(内心)】
(……誰?……あの人)

【ト書き】
ふたりは並んで歩きながら話していた。
成海の表情は穏やかで、いつも新菜には見せないような、
どこか自然な笑顔を浮かべている。

【新菜(心がざわつきながら)】
(……なんで、そんな顔するの……?)

【ト書き】
その女性が、成海の腕にそっと触れた。
そして笑った。
まるで、それが“いつものこと”であるように。

【友人(通りすがりの学生の会話)】
「……あ、久瀬先輩の彼女さんじゃん。あの人、雑誌にも載ってた人だよね」
「うん、宮代 咲那って人。デザイン業界じゃちょっと有名らしいよ」

【新菜(耳が、凍りついたように)】
「……彼女……?」

【ト書き】
頭がついていかない。
昨日、確かに手を繋いだ。
今日だって、屋上で、髪に触れて、あんな風に——

【新菜(心の声、かすれそうに)】
(……嘘でしょ。
 あんな風に触れてきたくせに……好きになるようなこと、言ったくせに……)

【ト書き】
彼女の笑顔の隣で歩く成海の背中が、まるで別の人のように思えた。
その姿が角を曲がって見えなくなった瞬間、新菜は手の中のスマホを強く握った。

【新菜(内心)】
(……やだ。
 こんなの、知らなかったふりしてたかった)

【ト書き】
レモンティーの氷はすっかり溶けて、甘さのない水になっていた。



【柱:芸術大学・翌日のアトリエ】

【ト書き】
朝のアトリエ。
窓から光が差し込むなか、新菜はイーゼルの前に座りながら、
ただキャンバスを見つめていた。

【ト書き】
筆は持っているのに、動かない。
色を混ぜても、思い描いた色にならない。
昨日、目にしたふたりの後ろ姿が、何度もまぶたに焼きついて離れなかった。

【新菜(内心)】
(彼女……咲那さん……か。
 あんな大人っぽくて綺麗な人。
 私なんかとは……比べるまでもないよね)

【ト書き】
ふと、教室の扉が開く。
軽やかな足音。新菜の視界の端に、見慣れた背の高い姿が現れる。

【成海(何気ない調子で)】
「……よ」

【新菜(声を張らずに)】
「……おはよう、成海くん」

【ト書き】
笑わなきゃ、って思ったのに。
思ったよりうまくいかなかった。
唇の端がひきつって、きっと変な顔だったと思う。

【成海(少し歩み寄って)】
「なんか……元気ねぇな。寝不足?」

【新菜(無理に笑って)】
「ちょっと、課題詰まってて……」

【ト書き】
違う。
でも、本当のことなんて言えるはずがなかった。

【新菜(内心)】
(「昨日、咲那さんと歩いてるの見た」
 そんなこと、言えるわけないよ)

【成海(ちらとキャンバスを覗いて)】
「……ここ、もう少し色重ねたほうが映えるかも」

【ト書き】
自然な顔で、いつも通りに話しかけてくる成海。
まるで、昨日の彼が別人だったかのように。

【新菜(内心)】
(……ずるいよ。
 その声、その距離、昨日みたいに近づかないでよ)

【ト書き】
新菜は顔を伏せるように、そっと筆を置いた。
その指が、わずかに震えていた。

【成海(ふと気づいて)】
「……なあ、新菜」

【新菜(名前を呼ばれて、びくっとして)】
「……なに?」

【成海(ゆっくりと)】
「……なにかあった?」

【ト書き】
一瞬だけ——
ほんの少し、心が揺れそうになった。
けれどそのまま、本心を呑みこんで、首を横に振る。

【新菜(うつむいたまま)】
「……何もないよ。
 私、ちゃんと元気だよ」

【ト書き】
強がる声が、わずかにかすれていた。
それでも、成海はそれ以上追及しなかった。
そして——隣に腰を下ろした。

【成海(静かに)】
「……じゃあ、俺が横にいる間に元気取り戻せ」

【新菜(内心)】
(そんな優しさ……
 今は、いちばん苦しい)

【ト書き】
筆を握り直す指に、成海の手が一瞬だけ触れそうになって、
でも、何もなかったかのように、すっと離れていった。

【新菜(心の中)】
(私はきっと、このまま、笑ってるふりを続けるんだ。
 知らなかったふりをして。……ずっと、好きなままでいるために)
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