その色に触れたくて…

【第6章】気づいてほしいなんて、望んでないのに

【柱:芸術大学・放課後のアトリエ】

【ト書き】
その日は課題の提出前で、アトリエは夕方になってもざわざわと人がいた。
けれど、新菜の心は、いつになく静かだった。
空っぽのまま、絵の前に立っていた。

【ト書き】
自分の描いた絵なのに、見つめていると泣きたくなる。
成海がいる空間。
その声、その仕草、その横顔。
すべてに、今は触れたくて、でも触れられない。

【成海(少し離れた場所から。絵の具の準備をしている)】
「……なあ」

【新菜(ピクリと肩を揺らす)】
「……なに、成海くん」

【成海(近づいてきて)】
「……最近、お前ちょっと変」

【新菜(瞬間、呼吸が止まる)】
「へ、変って……何が?」

【成海(眉を少しだけ寄せて)】
「目、合わせねぇし。
 前はもっと笑ってたのに」

【新菜(無理に笑って)】
「そ、そんなことないってば。
 課題が忙しいだけ……ほんと、それだけだから」

【ト書き】
嘘をついた。
平気なふりをした。
でも、成海の目は、どこかそれを見抜いていた気がする。

【成海(少しだけ間をおいて)】
「……そうかよ」

【ト書き】
そう言って目を逸らした彼の横顔は、ほんの少し寂しそうだった。
けれどそれすらも、“彼女がいる人”だと思えば、
勝手に切なさがこみあげてくる。

【新菜(内心)】
(私ばっかり、苦しいのずるいよ。
 でも、こんな気持ち——言えない)

【ト書き】
その瞬間、アトリエの扉が軽く開いた。
空気が少しだけ揺れる。

【???(落ち着いた声で)】
「成海、ここにいたんだ」

【ト書き】
その声に、新菜の心臓が跳ねる。
見なくても、名前を知らなくても、分かってしまった。

【成海(少し驚いたように)】
「……咲那」

【ト書き】
スラッとした長身。
柔らかなアイボリーのコートに、きれいにまとめられた髪。
大人びた気配を纏って立っていたのは——
成海の“彼女”、宮代 咲耶(みやしろ さや)だった。

【咲那(ふと、新菜に目をやって)】
「あ、ごめんなさい。作業中だったのね」

【新菜(小さく頭を下げて)】
「……いえ、大丈夫です」

【ト書き】
目が合った。
彼女の瞳はやさしいのに、なぜか息が苦しくなった。
比べてしまう。立ち位置の違いを、思い知らされる。

【咲那(成海に微笑んで)】
「もうすぐ用事あって近くよったから、ちょっとだけ顔見に来たの」

【成海(少しだけ目を伏せて)】
「……そっか。ありがと」

【ト書き】
ふたりの間には、自然な距離感があった。
他人には入り込めない、長く過ごした時間の匂い。
新菜の手のひらが、キャンバスの隅をきゅっと握る。

【新菜(内心)】
(……私には、こんな風にはなれない。
 きっと、最初から)

【咲那(ふと、成海に)】
「じゃ、またあとで。
 邪魔しちゃ悪いし」

【ト書き】
微笑んで去っていく咲那の背中を、新菜は見送ることしかできなかった。
隣にいるのに、成海の手が、こんなにも遠く感じる。

【成海(ちらと新菜の方を見る)】
「…あー、さっきのは」

【新菜(小さく首を振る)】
「……言わないで。
 大丈夫。気にしてないから」

【ト書き】
強がったその声が震えていて、
成海は何も言わなかった。
言えなかった。

【新菜(内心)】
(“彼女がいるんだよ”って、言われたら——
 もう、隣にいられない気がするから)



【柱:芸術大学・帰り道のバス停】

【ト書き】
あれから間もなくして新菜がアトリエを出たあと、新菜は人の少ないバス停にいた。
時刻表も見ずに、来るかどうかも分からないバスをただ待っていた。
風が冷たく、肩を抱くように腕をすくめる。

【新菜(内心)】
(……やだな、また泣きそう)
(私、成海くんの前ではちゃんと笑ってるのに……)

【ト書き】
そのとき、足音が近づく。
振り返らなくても、誰なのか分かった。

【成海(無言でとなりに立つ)】

【新菜(驚いて)】
「……なんで、ここに」

【成海】
「送ってく」

【新菜(首を横に振る)】
「いい。ひとりで大丈夫」



【成海(少しだけ声を低くして)】
「……なぁ、」
「…咲那のことなんだけど、」

【ト書き】
一瞬、心臓が止まった気がした。
だけど新菜は何も答えずに、ただ俯く。

【成海(ポケットに手を突っ込んだまま)】
「あの人……
 病気なんだ。ずっと前から。……治らないやつ」

【ト書き】
新菜は目を見開く。
咲那さんの笑顔が、昨日の声が、急に違って見えた気がした。

【成海(続けるように)】
「あと少ししか、時間がない。……そう医者に言われてる」

【新菜(声がかすれて)】
「……どうして、それを私に」

【成海(視線を逸らしながら)】
「お前が、咲那のことで気にしてんなら……
 少しくらい、理由を話した方がいいと思った」

【ト書き】
優しさなのか、自己防衛なのか。
でもその言葉に、涙が出そうになるのを必死でこらえた。

【新菜】
「……成海くんは、その人のことが……好き?」

【ト書き】
沈黙。
長い、風の音だけが響く時間。

【成海(ぽつりと)】
「好きだよ」

【ト書き】
その言葉に、胸が締めつけられる。
分かっていた。分かっていたのに、やっぱり痛かった。

【成海(つづけて)】
「でも……俺、多分、ずっと逃げてる」

【新菜(見上げて)】
「……逃げてる、って……」

【成海(ゆっくりと)】
「失うのが怖い。
 終わるって分かってるのに、手を離せない。
 でも……そばにいてやりたいって思う。
 あの人も、それを望んでる……はずなんだよ」

【ト書き】
“はず”——
その一言に、彼の不安と葛藤がにじんでいた。
優しさと罪悪感。
守りたい気持ちと、縛られてるような焦燥。

【新菜(小さく微笑む)】
「……ねぇ、成海くん」

【成海(振り向く)】
「ん?」

【新菜】
「それでも、私は……
 成海くんが笑ってるの、見たいよ」

【ト書き】
本心なんて言えない。
けれど、少しでも心が救われるように、笑って見せた。
それだけが、今の自分にできる精一杯だった。

【成海(目を伏せて、かすかに笑って)】
「……お前ってさ、ずるいよな」

【ト書き】
その“ずるい”が、どういう意味かは分からない。
でも新菜はそのまま、何も言わずバスに乗った。
成海の姿がガラス越しに小さくなっていく。
でも、胸の奥はずっと、成海の名前でいっぱいだった。
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