マカロン文庫10周年記念企画限定SS

限定SS:邉紗『俺様御曹司が溺甘パパになって、深い愛を刻まれました』

「凄い」
これから三人で暮らすとなる我が家に初めて足を踏み入れ、美(み)夜(よる)は感嘆の声を上げた。
和風の一軒家だ。
新居はマンションと一軒家どちらがいいかと聞かれた時、美夜は一軒家と答えた。何年も山に籠っていたせいか、いつの間にか都心よりのどかな暮らしのほうが性に合うようになった。それに、矢(や)尋(ひろ)も産まれてからずっと山で自然に囲まれて育ったから、マンションより庭があったほうがいいんじゃないか、なんて思ったからだ。
しかし、音(おと)矢(や)の通勤時間も鑑みるとそう自分の要望ばかり通すわけにもいかないのはわかっている。
最終的には音矢の仕事しやすい場所でいいよと答えたが、美夜が遠慮した希望を音矢は喜んで受け入れてくれた。
そして用意してくれたのは、こんな都心に森林公園があったのかと勘違いしそうなほどの森付き一戸建てだった。
音矢の曽祖父が使用していた屋敷らしい。
築六十年と築年数はかなりのものだが、手入れが行き届いているようでとても綺麗だ。
長く続く縁側からは広い庭が臨め、天井は立派な梁が剥き出しになってきて開放感がある。
障子の戸を引くと和室が続き、星林亭を思い出してさっき別れたばかりなのにもう懐かしくなった。
「なにこれー」
矢尋が囲炉裏を見つけてダッシュした。手にはここに来る途中、サービスエリアで買ってもらった車のおもちゃを持っていて、どこでも走らせようとするから壁や床を傷つけてしまいそうだ。
「あ、矢尋走らないで」
美夜が慌てて追いかけようとすると、音矢がやんわりとそれを止めた。
「いいよ。自分の家になるんだから。のびのび過ごすといい」
「壺とか割っちゃったら大変だもん」
廊下には高そうな壺が飾られていたし、各居室には価値ありげな掛け軸もある。
「引っ越し前に掃除はしてもらってあるけど、物は結構祖父が使っていた当時のまま残ってるんだよな。割れるのは問題ないけど……確かに怪我が心配だな。もう少し矢尋仕様に片付けたほうがよさそうだ」
音矢はくるりと周囲を見回す。
「本当は美夜の好みにしたかったけど、下山に間に合わないし住みながらゆっくり変えていけばいいかなって。部屋も庭も好きにリフォームしていいって言われてるから」
「このままで充分だよ。大満足」
こんな広い家に住めるだけでありがたい。
「そう? 欲がないな。もっと甘えてくれていいのに」
矢尋は囲炉裏の中の灰を不思議そうにつついている。
音矢は矢尋に追いつくと抱き上げた。
「これなにー?」
「囲炉裏って言うんだ。料理ができるから今度魚を焼いてみんなで食べよう」
「やったー! おしゃかなー!」
矢尋は腕の中で跳ね上がって喜んだ。
美夜の荷物はわずかな私服と化粧品くらいしかなく、あとは矢尋の服やおもちゃのみ。家具や家電は音矢が揃えたものがすでに運び込まれていた。
音矢はひとつひとつの部屋を案内し説明した。居室は十部屋もあって、三人だけでは全部は使いきれなそうだ。
廊下を進み、最後に突き当たりにある十二畳ほどの和室に入る。
「ここが寝室だ」
真ん中に大きなベッドが置いてあった。ベッドといってもフレームのないロータイプで、和モダンなデザインは砂壁と障子で造られた部屋の雰囲気によく馴染んでいる。
「わぁ、大きい」
三人で寝ても余裕がありそうなほど大きい。ベッドサイドには本棚がありたくさんの絵本が用意されていて、そこで寛ぐ音矢と矢尋が容易に想像できて、ふっと頬が緩む。
矢尋がきゃーと喜びながらベッドに飛び乗った。
「ふかふかだよー」
「あ、汚れた服です飛び乗らないで」
ここまで散々遊びながら来たので埃まみれだ。慌てて矢尋をベッドから離すと、同時に後ろから音矢の手が美夜の腰に回った。
「勿論、ふたりだけの部屋も用意してある」
ふ、と耳に吐息がかかる。
美夜にだけ聞こえるように囁かれたそれは、なんとも艶かしく聞こえた。
「お、音矢っ……」
「廊下の奥に通路があるだろう? 渡り廊下の先は離れ屋になっているんだ」
その意味がわかると瞬時に顔が熱くなった。
美夜だって音矢と家族としてやっていこうと決めた時から男女のあれこれは意識していないわけではなく、その言葉が指す意味はわかっている。
ふたりきりの時間というのはとても少なかったし、隙をついた時に軽いキスしかできなくて、散々焦らされているのは美夜も一緒だ。
第一、時間があっても星林亭では寮の部屋は壁も薄く狭くて、そんなことできる環境ではなかった。
腰に添えられた指が、意味深にツツと動いた。
「わかってると思うけど、とうに我慢の限界は越えてるから。覚悟して」
「そ、そんなこと言っても……矢尋だっているんだし……」
しどろもどろに答えると、音矢はニヤリとした。
「俺が、周囲の手配に抜かりあるわけないだろ」
――そうだった。
彼は用意周到。外堀から攻めていき、狙った獲物は必ず仕留める成績トップの営業マンだった。不敵な笑いは過去の「志波さん」を思い起こさせた。
***
「いい? おじいちゃんとおばあちゃんの言うことをよく聞くのよ。おトイレは我慢しないで早めに言う事。急に走り出したら危ないからね。それと――」
美夜は玄関先でしゃがみ込み、矢尋と目線を合わせるととくと言い聞かせた。
「ちゃんとできるよ!」
おやつとおもちゃが詰め込まれた小さなリュックを背負い、水筒を肩からかけ矢尋は目を爛々とさせる。
下山してから一週間が経った。今日は、義母千恵子と義父省吾が遊園地に連れて行ってくれることになり、美夜は初めて矢尋と一日中離れる。
正確には一泊二日。夜一緒に寝ないのも初めてで急に泣き出したりしないだろうか。
人の話をちゃんと聞くことが出来る子だとは思っているが、引越してからというものの、電車、バス、飛行機、高層ビルにショッピングモールなど、すべてに大興奮でとんでもないテンションなのだ。
都会に慣れていないからだなんて心配して、自然に囲まれた生活をなんて思っていたが子供の順応力は高い。楽しくて仕方がないようだ。
「美夜は心配性だなぁ」
「だって、こんなに長い時間離れるの初めてだし」
音矢だって心配のくせに、と振り返る。
「ちゃんと定期的に連絡するから心配せずに、今日はふたりの時間を楽しんで。美夜さんの為にゆっくりできる時間をつくってあげたいからってどうしてもって音矢に頼まれたのよ」
千恵子がふふふと笑いながら暴露した。
「母さん」
音矢がそれ以上言うなという意味を込めて強めに呼ぶが、千恵子は気にせず話を続ける。
「ずっとひとりで子育て頑張ってきたからリフレッシュさせてあげたいんですって。この日の為にずっと前からわたしたちの仕事を調整して旅行プラン立てて、ホテルは矢尋が好きなキャラクターの部屋まで予約して用意周到なんだから。でもね、本音は自分が独り占めする時間が欲しいだけなのよ。だから思いきり甘えてあげて頂戴」
「母さん!」
「わたしの為……?」
いったいいつから計画していたのだろう。義父母たちが孫と遊びたいからだと聞かされていたが、そんな裏があったとは。
振り返ると、音矢は恥ずかしそうに誤魔化した。
「あーもうほら、出発時間過ぎてるぞ。矢尋、楽しんでこいよ」
矢尋の頭を撫でる。
「あいっ!」
矢尋は姿勢よくびしっと敬礼すると、こちらの心配などよそに元気に外に駆けだした。

車が出発し姿が見えなくなると、音矢は待っていましたと言わんばかりに美夜を後ろから抱きしめた。
「矢尋には悪いけど、今日と明日は美夜は俺だけのものだ」
まるで美夜を堪能するように、髪に鼻先をこすりつけ深呼吸を繰り返す。
「音矢……」
一夜を過ごしてから再会するまで長い年月が経っていた。それにもかかわらず美夜を思ってくれていて、当たり前のように矢尋も愛し受け入れてくれた。
毎日父親としても完璧で、恋人としても……今はもう夫婦だが、毎日好きだと伝えてくれて、ふたりの関係も大切にしてくれる。
美夜は体の向きを変え音矢の方を向くと胸にぎゅっと抱きついた。
つむじにキスが落ちてくる。幸せな触れ合いに互いに顔を見合せクスクスと笑う。
今から明日の夕方までふたりきり。
せっかくみんなが時間をつくってくれたのだ。矢尋のことは任せて今を楽しませてもらおう。
「……お昼どうしよっか。いつも矢尋に合わせた食事になってるから、辛い物とかジャンクフードとか食べに行くのはどう?」
そういえばデートをしたことがない。ファーストフードも久しく食べていないので、外に食べに行くのがいいかも。
名案だとうきうきしながら聞くと、音矢は腕に力を込めて呟いた。
「美夜がいい」
「うん?」
「悪いけど、食事の時間も惜しい」
「……はい? ……わっ」
腕を引かれ玄関内に入った途端に音矢は真剣な顔になる。
「ほんとごめん。我慢の限界なんだ」
後頭部に手を添えられると、性急に整った顔が迫った。
「え? ……っんんっ!」
深い口づけに背中がのけ反る。こんな強引で激しいキスは初めてかも。――いや、一夜を過ごしたあの夜もこんなだった気がする。
泥酔して覚えてないはずの記憶がうっすらと蘇る。
あの夜も、熱く激しく愛を伝えてくれた。
「美夜、愛してる」
何度も角度を変えて繰り返されるキスにあっという間に蕩けた。
音矢はその間に器用にシャツをはだけさせ、熱を帯びた手が肌を這って侵入させると下着のホックをパチンと外す。
美夜は思わず崩れ落ち玄関先の廊下に座り込んだ。
「ね、ちょっとまって……」
いくらなんでも性急すぎる。冷静になろうと呼吸の合間にやっとストップをかけるが、押し付けられた腰から音矢が興奮していることが伝わり、恥ずかしさで顔が熱くなった。
「散々待ったんだけど」
止められた音矢は不満げに美夜を見下ろした。
星林亭にいるときも、ここに引越ししてからもずっと我慢してくれていたことはわかっている。だから拒む気なんてない。
「う……うん。わかるよありがとう。でもここ玄関……っ」
また口を塞がれ熱い吐息が吹き込まれる、場所がどこかなんてすぐにどうでも良くなった。
「ずっとずっと欲しかった。愛してるよ。一生大事にする」
何度も繰り返される告白と全身に施される愛撫に、理性なんて吹き飛んでいく。
気がつけばふたり専用だと言われた離れの部屋で、一晩中抱き合っていた。
***
眠りから覚め、うっすらと目をあけると窓の外は薄暗かった。目を凝らして時計を見ると朝の五時だとわかる。
怠くて堪らない体をゆっくりと起こすと、全身のそこかしこに彼の印がつけられていた。
「音矢……?」
呟くと丁度部屋の扉が開いた。
この部屋だけ引き戸ではなく開き戸になっているのは、その方が防音効果が高いからだそうで。防音が必要な理由に羞恥が込み上げる。リフォームは間に合わなかったといいつつちゃっかりこの部屋だけ防音工事が済んでいるのはさすが用意周到な男だ。
「美夜、起きたんだ」
上半身は裸でスエットだけ身に着けている。シャワーを済ませてきたのか、髪からは水がしたたり石鹸のいい香りがした。
持っていたペットボトルの水を渡され、喉がカラカラだった美夜は一気飲みをする。
「体は大丈夫?」
大丈夫なものか。怠いし関節は痛い。声を出しすぎて喉も枯れている。
玄関で押し倒されたあとはお昼も食べずにずっとベッドにいて、やっと夕方に軽く食事をしたらまた押し倒され、日付を超えても飽きもせずに何度も愛され、今に至っている。
我慢に我慢を重ねて欲を解放した音矢の体力は底が見えない。
ちょっと苦言を呈してもいいのではと思うが、音矢があまりにも幸せそうなので「大丈夫」と返事をした。
あの日以来の行為で、心だけではなくやっと体も通わせることができたと思うのは美夜も一緒だ。
潤った唇が啄まれる。
「美夜……かわいい」
「ふ……」
そのままゆっくりとベッドに倒され、美夜はその状況を悟った。
「ね、待って。わたしもシャワー浴びたい」
「いいよそのままで」
「音矢は浴びたのに?」
「美夜は綺麗だし俺は気にしない」
こっちは気にするのだと抵抗しようとしたが、一晩で美夜の体を知り尽くした手は簡単に籠絡する。
果てても果てても終わりが見えない。
「あ、もうっ……」
もう勘弁してと言いたいのに、「ああ、幸せだ」だなんて囁かれるときゅんと胸が疼いてしまう。
「……わたしも幸せだよ……」
〝いけすかないライバル〟だったのにいつの間にこんなにも惹かれていたんだろう。
もう彼なしでは生きていけないほど大切だ。
呟くと音矢は極上の微笑みを返した。
「美夜も矢尋も、もっともっと幸せにするよ」
絡められた互いの手には、婚姻届けを提出した日に交換した結婚指輪が光る。偶然の再会がなければ、手に入らなかった幸せだ。
「わたしを見つけてくれてありがとう」
呟いて抱き着くと、音矢もぎゅっと抱きしめ返してくれた。
美夜も、この人を幸せにしたいと心の奥底から思った。

<終>
< 1 / 23 >

この作品をシェア

pagetop