【コンテスト用シナリオ】君に捧ぐ神曲

第一話

〇昼休みの大学。誰もいない講義室。窓から初夏の爽やかな日がさし込んでいる。

篠宮 小花(しのみや こはな)は、一番後ろの席で、大粒の涙を流しながら本を読んでいる。
耳にかけた長いストレートヘアと丸い眼鏡。
涙を手で拭う小花の耳に、窓の外から学生たちの楽しそうな声が聞こえる。

小花モノ『私はいつも本を読んでいる。みんなはサークルだ、合コンだって忙しそうだけど、そんなの一つも興味ない。だって本を開けばそこに、私の想像もつかない素晴らしい世界が満ち溢れているから』

小花モノ『ぼっちだって平気。そう思ってたのに……』

顔を上げた小花、入り口で足を止めてこちらを見る男子学生と目が合う。
サラサラの長い前髪に切れ長の目。緩いTシャツに細みのデニムを履き、大きなギターケースを肩にかけている。
男子学生はヘッドホンを外すと、驚いたような顔で小花をじっと見つめる。
見つめ合う二人。
男子学生は小さく口を開くと、入り口から一歩中へと入った。

小花モノ『その時、新しい世界を開く音が、聞こえた気がしたんだ』


〇次の日の午前中。大学の縦長の広い講堂。

講義が終わり、みんながバタバタと立ち上がる。
小花は一人でうつむきがちに教科書を鞄にしまう。
隣で男子学生とキャッキャと騒いでいる女子学生の手が小花にぶつかる。

女子学生「ごっめーん。大丈夫だった?」
小花「あ、はい……大丈夫です」

眼鏡をぐっと押し上げながら、消え入るような声を出す小花。
小花をじっと見た後、男女は顔を見合わせると、そそくさとその場を離れる。

女子学生「暗っ。あんな子いたっけ?」
男子学生「知らね」

くすくすと笑いながらいなくなる男女。
小さくため息をついた小花は、荷物を片付けると講堂を出る。
楽しそうに話をする学生の横を通り、校舎の外へ出る小花。


〇芝生のスペース。周りを木に囲まれ、秘密基地のような場所。

小花は少し開けた芝生のスペースに腰を下ろす。
遠くで学生たちの声が聞こえる。

小花モノ『ここは、広い校内で私が見つけたとっておきの場所。誰にも邪魔されずに好きなだけ本が読める』

小花はいそいそと分厚い本を取り出すと、きらきらと瞳を輝かせながら、栞を外して丁寧にページを開く。
穏やかな風が吹く中黙々と本を読む小花。
すると突然、ガサッと物音が聞こえる。
ビクッと飛び跳ねる小花。
草をかき分けてパッと飛び込んできたのは、昨日見た男子学生だった。

小花「ひっっ」

思わずうめき声をあげて、のけ反る小花。
すると男子学生を追いかけるように、バタバタと数人の足音が聞こえてくる。
男子学生 貝瀬 柊音(かいせ しゅうと)は、ギターケースを背負ったまま、慌てて小花の側に身を隠した。

女子学生1「もう! シュウ~! どこ行ったのよぉ」
女子学生2「ねぇ、あっちじゃない?」

足音が遠のき、柊音はほっとしたように顔を上げる。
目を見開いて驚いた表情のままの小花。

柊音「ごめん、ちょっと追われててさ」
小花「追われてって……まさか悪人……」

本で顔を隠す小花に、ぷっと吹き出す柊音。

柊音「まさか! 俺のファンっていうか……。それより、ねぇ君!」
小花「な、なんですか……?」
柊音「昨日、本読みながら泣いてた子だよね?」

急に小花に顔を覗き込ませる柊音。
男子とまともに話をしたことのない小花は、イケメンな柊音の急接近にドキドキして顔が真っ赤になる。


〇昨日の回想
柊音が入り口を一歩入ったところで、小花は本を抱えて逃げるように講義室を出て行った。
小花の後姿をずっと目で追っていた柊音。


〇現在に戻る
小花(この人、こんなに地味な私のこと、覚えてるんだ……)
恥ずかしそうにうつむきながら、うなずく小花。

柊音「やっぱり!」
柊音「何読んでたの? 小説? すげえ分厚くない?」

柊音は小花の隣に腰かけると身を乗り出す。
小花はしばらく口ごもった後、小さく声を出す。

小花「えっと、その……ダンテの神曲(しんきょく)です」
柊音「ん? 誰の新曲? え? バンドの話?」

とんちんかんな柊音に、一瞬呆気に取られた小花。
でも手に持っていた本を見つめると、急に生き生きとして立ち上がる。

小花「もう、違います! ダンテ・アリギエーリ! 13世紀イタリアの素晴らしい詩人で哲学者です! この本はダンテの代表作『神曲(しんきょく)』で、地獄篇(じごくへん)煉獄篇(れんごくへん)天国篇(てんごくへん)の三部作からなる長編叙事詩(じょじし)で、その世界観は壮大でかつ荘厳であり……」

途端に朗々と述べだした小花に、柊音はぽかんと口を開ける。
その時足音が聞こえ、はっとした柊音が小花の腕をぐっと引く。

小花「なっ……なにして……」
柊音「しっ!」

柊音は慌ててギターケースを肩から下ろすと目の前に立てかけ、その中に身を隠すようにして小花をぐっと引き寄せた。
まるで肩を抱かれた態勢に、一気に体温が上がり失神寸前の小花。
その時、戻ってきた女子学生たちがそっと芝生を覗き込み、一斉に悲鳴を上げる。

女子学生1「見て! シュウのギターケース!?」
女子学生2「うそっ! 隣にいるの誰!?」

こそこそと話声が聞こえる。
すると柊音がギターケースの横からそっと顔を覗かせた。

柊音「ごめんね、君たち。いい雰囲気の邪魔しないでくれる?」

柊音の意味深な口ぶりに、再び悲鳴を上げる女子学生たち。
半ば泣きわめくように、女子学生の悲鳴は次第に遠のいた。

柊音「巻き込んじゃってごめんね」

パッと小花を開放する柊音。
プシューとのぼせ上がりそうな小花は、よろよろと芝生に倒れ込む。

小花「あなた……何者なんですか……?」
柊音「何者って、君はさっきから面白いね」

柊音は声を上げて笑うと、そっと小花の横に置いてあった本を取り上げる。
パラパラとページをめくる柊音。
その横顔があまりにカッコ良くて、小花は思わず見とれてしまう。

柊音「昨日もこれ読んで泣いてたの?」
小花「まぁ、そうですけど……」
柊音「そんなに感動する話なの?」
小花「感動っていうか……」

小花は身体を起こすと、そっと本を受け取り、その表紙を慈しむように撫でる。

小花「うまく言葉では言えないんですけど、世界観に圧倒されるんだと思います」
柊音「世界観に圧倒?」
小花「はい。本ってページを開いた瞬間、自分がその世界に入り込むでしょう? その中で人に出会い、色んな景色を見たり、考えたり、経験したりして……。今の自分は文字を読んでいるだけなのに、こんなにも心が動かされるって、すごいと思うんです!」

小花はそこまで言って、はっとすると慌てて下を向く。

小花「ご、ごめんなさい。私ったら、つい熱くなっちゃって……」

しばらく沈黙が続いた後、柊音は静かに小花を見つめる。

柊音「ねぇ、それって音楽も一緒だよね?」
小花「え? まぁ、そうかな? 音楽を聴いて心が動く人もいるし……」

小花の言葉が言い終わらない内に、柊音はぐっと顔を覗き込ませる。

柊音「ねぇ、君の名前は?」
小花「えっと……し、篠宮小花です。あの……あなたは?」
柊音「俺は、貝瀬柊音。あのさ、小花」
小花(いきなり呼び捨て!?)
柊音「君に聴いてもらいたい曲があるんだけど、いいかな?」
小花「はい!?」

柊音はそう言うと、パッと立ち上がり小花の手を掴む。

柊音「一緒に来て!」
小花「ちょ、ちょっと……!?」

初めて男子と手を繋いだ小花は、半分パニック。柊音は全く気にしていない。
小花は真っ赤な顔を本で隠しながら、そっと隣を見上げる。
目が合うと柊音は優しそうににっこりとほほ笑み、二人は手を繋いだまま、校内を駆け出した。
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