偽りの月妃は、皇帝陛下の寵愛を知りません。 ー月下の偽妃と秘密の蜜夜。ー
そのころ、皇宮の政務殿では。
紫遥が、表情の読めぬ目元で書簡を見つめていた。
「……これ以上、放っておけるものか」
誰に言うでもない独り言を漏らし、机の天板に掌を置く。
月鈴の記録。静月宮における侍女の報告、日々の過ごし方、書庫の利用状況、食事の内容。
それを、紫遥は自らの手で密かに集めていた。
(――いつのまに、こんなに気にしていたのか)
十五日だけの逢瀬。
それで十分だったはず。最初は、ただ兄の役目を果たすだけの義務。
けれど、彼女の無垢な目と、媚びぬ態度、そしてどこか人懐っこい言葉に、少しずつ、心が侵されていった。
(もっと知りたい)
彼女が何を食べ、何を見て、誰と話しているのか。
どんな香を焚いて、どんな筆跡で手紙を書くのか。
何を夢に見て、誰に心を許しているのか。
(……誰にも、やらん)
無言のまま、椅子の肘掛けを握る手に力が入る。
指が白くなるほどに、ぎゅっと、握った。
(兄の身代わりとして会っていた。だがもう、そんな建前は必要ない)
(――俺は、あの女を、手に入れる)