偽りの月妃は、皇帝陛下の寵愛を知りません。 ー月下の偽妃と秘密の蜜夜。ー
朝露が残る頃、紫遥は寝台の上の月鈴をそっと抱き寄せた。
 まだ目覚めぬ彼女の指先を撫で、その額に唇を落とす。

(……守る。どんなことがあっても)

 昨夜、交わした契りの儀。
 それは一夜限りの快楽などではなかった。

 紫遥の中で、彼女はすでに“命の半身”となっていた。

 だがその誓いを、今まさに引き裂こうとする“影”が、赤光の街に迫っていた。



◆12 刺客の爪

 それは午刻を過ぎた頃。

 街の中央広場で、市の露店を見ていた月鈴の元に、一人の行商人風の男がすっと近づいた。

「これは珍しい香ですわね」

 月鈴が興味を示して小瓶を取る。
 その瞬間、男の袖から放たれた鋭い針が、風を裂いた――!

「っ!」

 月鈴はとっさに身を引いたが、衣の端が裂ける。
 店の背後から現れたもう一人が、剣を抜く!

「――月鈴っ!」

 紫遥の怒声が響いた。

 次の瞬間、地を蹴ると同時に短剣を抜き放ち、刺客の間に割って入る。
 月鈴を背に庇いながら、紫遥は鋭い眼差しでふたりを睨んだ。

「……やはり、兄上の遣いか」

「忠臣として、忠義を尽くすまでよ」

「ならばその忠義、俺の刃で終わらせよう」

 戦いは一瞬だった。

 紫遥は一人を一閃で沈め、もう一人を追って屋根上へと駆けた。
 後には、月鈴が青ざめた顔で、小さく息を呑んで立ち尽くしていた。



◆13 愛を殺すという選択

 刺客は追い詰められながら、屋根の上で紫遥に刃を向ける。

「お前はすべてを捨てた皇族。皇弟ではない。そんな男に守られて、あの女は本当に幸せか?」

 その言葉に、紫遥の胸がえぐられる。

「……おまえは、口では正義を語りながら、自分の手で何も守れていない」

 刺客は不敵に笑い、自ら屋根から身を投げた。

 刃の毒がまわったのか、体がふらついたのかもしれない。
 紫遥は、手を伸ばしたが――届かなかった。

 血のにおいとともに、忌まわしい現実が襲いかかる。

(月鈴が狙われた。次は、ないかもしれない)

 彼は、決意した。

(逃げているだけでは、もう守れない)



◆14 “姉”の影

 夜、月鈴は紫遥の膝に身を寄せながら、ぽつりと問うた。

「……紫遥様には、兄君以外に、姉君もいたのですか?」

「……どうして?」

「昼間、刺客が“お姉様の意志が継がれなかった”と……そんなことを」

 紫遥は小さく目を閉じた。

「……いた。紫苑姉上。今はもう……いない」

「……」

「姉上は、かつて“後宮を終わらせる”ことを願っていた。自由な恋愛を貴族にも平民にも許すべきだと。だが、その思想を危険とみなされて処刑された」

「処刑……?」

「形式上は“病死”だが、兄の命だったと、俺は知っている」

 紫遥の声音は、静かで、深く沈んでいた。

「姉上の遺志を、俺が受け継ぐ。そのためには――月鈴、おまえを失うわけにはいかない」



◆15 共に在るということ

 その夜、ふたりは再び灯を落とし、布を分けた。

 月鈴は紫遥の胸にそっと触れ、ささやいた。

「私、紫遥様の隣にいるためなら、何だって受け入れられます。皇弟でも、ただの男でも、私は……あなたがいいのです」

「月鈴……」

 紫遥はその名を熱く口にし、彼女の唇に、今夜もそっと口づけた。

 言葉よりも、指先よりも深く――
 愛を伝える手段は、すでにふたりの間で確かに根を張っていた。

 幾度となく重なる唇、熱を帯びる肌と肌。

 愛しさと執着、想いと決意。
 それらすべてが混ざり合って、今夜もひとつになった。
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