偽りの月妃は、皇帝陛下の寵愛を知りません。 ー月下の偽妃と秘密の蜜夜。ー
赤光を抜けて再び南下する夜道。
月鈴と紫遥は小舟に乗り、密かに用意していた川筋の逃げ道を進んでいた。
だが、その背後から風を裂いて追ってくる、鋭い気配。
追手――紫嶺直属の密衛たち。
ただの追撃ではない。紫遥の命だけでなく、月鈴を「見せしめ」に使うための命が下っている。
「紫遥様、音が――」
「来たか……」
紫遥は月鈴を後ろに庇い、静かに腰の短剣を抜いた。夜の闇を割るように、黒ずくめの影が川岸に並び立つ。
彼らの顔は仮面に覆われている。人間ではないような冷徹な動き。
紫遥は月鈴に囁いた。
「この舟で南下しろ。俺が引きつける」
「……いやです!」
「命令だ、月鈴。おまえは……俺が護ると誓った」
涙をにじませながら、月鈴はうつむいた。
だが次の瞬間、舟に乗り込まず、彼女は紫遥の背にそっと手を添えた。
「……なら、共に。私も戦います。逃げるだけの妃じゃ、嫌です」
戦いは一瞬にして激化した。
紫遥の剣が一人を斬り、月鈴が拾った投石で敵の目をくらます。
二人の息はぴたりと合っていた。
だが、密衛の数は多く、次々と湧くように現れる。
紫遥の背中が血に染まる。月鈴の袖も切られる。
それでも、ふたりは互いの名を呼び、倒れずに戦った。
紫遥が最後の敵を斬り伏せた瞬間、星空の下で、二人はその場に崩れ落ちた。
だが、まだ終わっていなかった。
そこに、夜を裂くかのように現れたひとつの影。
「……久しいな、弟よ」
堂々たる姿。薄紅の衣、艶やかな髪、そして氷のように冷たい双眸――
それは、皇帝・紫嶺その人だった。
「紫遥。まだこの茶番を続けるつもりか?」
「茶番ではない。これは“生”だ。おまえに押し付けられた命ではない、俺が選んだ人生だ」
紫嶺の目がすっと細くなる。
「ならば、その命、私が終わらせよう」
紫嶺が静かに手を掲げると、残った密衛たちが剣を構えた。
月鈴が立ち上がる。