偽りの月妃は、皇帝陛下の寵愛を知りません。 ー月下の偽妃と秘密の蜜夜。ー
帝都・紫宮。
紫嶺は、長く病床に臥せっていた。
紫鏡の帰還後、彼は静かにひとつの決断を下す。
「――紫鏡。これを、民の前で読み上げてくれ」
そう言って手渡された文には、こう記されていた。
『朕は、紫鏡を皇太弟とし、国の改変を委ねる。
朕の力及ばぬ時代を越え、民のために歩む者を、我が代わりとする』
それは“退位”ではなく、“信託”だった。
紫鏡は深く一礼し、その文を胸に館へ戻る。
「……ついに、託されたか」
だが、その矢先。
館の井戸に毒が撒かれた。
医療所の薬草庫が火をつけられ、文書が焼かれた。
「――朝仁の仕業だ」
陽白が呟いた。
“武官の誇り”に固執する朝仁は、紫鏡の“民政”を「軟弱な政」と断じ、陰で動いていた。
そして、最後の手段として――
「月鈴と玲珠を、狙う気か……!」
紫鏡はすぐに館へ戻り、月鈴たちを隠した。
その夜、襲撃は現実となった。
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◆17 母と子の選択
火の手が上がる。
屋根裏に隠れていた月鈴は、玲珠を抱いて祈るように身を伏せていた。
扉を蹴破り、踏み込んできたのは黒装束の男たち。
だが次の瞬間、紫鏡と陽白が現れ、剣を抜く。
「――ここは通さん!」
紫鏡は月鈴のそばに駆け寄り、震える娘をその腕に抱きしめる。
「すまない……遅くなった」
月鈴は首を振り、泣きながら微笑んだ。
「来てくれるって、信じてたから……」
そのとき、玲珠が初めて、父に向かって言葉を発した。
「……とーさま」
紫鏡の目に、涙が滲んだ。
この子の未来を、絶対に守る。
その誓いが、紫鏡を奮い立たせた。