すべての花へそして君へ③
 ✿


 文句があったわけじゃない。何かを、疑っていたわけでもない。ただ、「どうして?」と、それだけが不思議で。一度だけ不良教師を問い詰めたことがある。けれど、その答えは思ってもみなかったもの。


「昔な、一回だけ見掛けたことがあるんだわ。お前全然気付いてねえみたいだったけど」

「……何を?」

「町中を全速力で駆け回ってたろ」

「……声かけろよ」

「趣味かと思って」

「んなわけあるか」


「一応掛けたわ。気付かれんかったけどな」と、換気扇の下で煙草に火をつけた担任は、ポケットから何かを取り出した。
 それに目を瞠った俺に、ふっと小さく笑みをこぼす。


「“そこの美人のねーちゃん、ナンパするならオレにしねえ?”」

「……は?」

「その頃のお前は、手出されるのは嫌だったかもしれねえけど、これでも、一応は心配してたんだよ」

「……」


「声かけた時に、もらったんだわ」と、【プロカメラマン(仮)黒瀬優】と書かれた少し古い名刺を、彼はすっとテーブルの上に置いた。


「……なんだ、そういうこと」


 話が繋がった、と。俺は先日渡された“今の名刺”と“未来の選択肢”が書かれた紙を、その隣に置いた。


「いいんじゃねえかと、オレは思った」

「だから選択肢渡してきたんだろ? けどあの人は、お前が思ってるような人じゃなくて」

「傲慢か? 横暴か? それとも自分勝手か?」

「え……?」

「逃げる前に、まずはちゃんとあの人の話聞いてみろ」

「……ちゃんと?」

「オレは、お前がずっと、その名刺を捨てられずにいることをちゃんとわかってるつもりだし」

「……」

「あの人がこれから、どうするつもりなのかも。教えてもらったから」

「……これから、って」

「そういやこの間、補講休んでデートしてたらしいな」

「は? いや、あれはただのお使い」

「悪くはなかったんだろ?」

「――!」


 これから――その後続けて俺が何かを言うのを遮るように、ニイッと笑った不良教師。
 それはそれは意地の悪い顔をしてこちらに見せてきたスマホの画面には、きっとあの時撮られた写真の中の一枚だろう。ポーズを決めている自分がいた。

 ……ちょ、マジで恥ずかしいんだけど。てかなんでそこまで仲良くなってんだよ!


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