すべての花へそして君へ③

 今まではみんながいた。学校に行けば、みんなに会えた。彼にとって友だちと呼べる人は、他の人に比べてよっぽど特別な存在だ。
 でも、だからこそみんなに頼ってばかりじゃダメだ。これからは、自分の道を進んでいくと決めたんだから。きっと、それは彼も十分わかってる。

 だから、わたしもやることは一つ。


「いってらっしゃい。週末、何が食べたいか考えておいてね」

「あおい」

「ご飯の話」

「食べさせてくれないの……?」


 朝っぱらから、玄関口で何を言うの。言わす気なの。そんな、子犬みたいな潤んだ瞳で見つめられたところで、流石のわたしだって、甘やかしたりはしないんだからな。


「……それについては、週末に考えます」

「いいよ。まあ多分、あおいの方が先に耐えらんなくなると思うけど」

「……ちょっと。さっきのしおらしい態度はどこへ行ったの」

「だから、それまで充電ね」

「……ヒナタくんってば」

「ね。キスして、あおい。いってらっしゃいって、言って」

「……端からそれが目的だったな?」

「当たり」


 それならそうと、言ってくれればよかったのに。


「……仕方ないなあ」


 甘えん坊の彼氏が、今日からいいスタートが切れますように。
 そんなふうに、願いを込めて唇を寄せた。


 それは、初め触れるだけのキスだったはずなのに。……何故わたしは、腰を抜かされているんだろうか。


「……あの、ひなた、くん……」

「形勢逆転」

「えっ?」

「物足りないって顔してますけど」

「……!」

「じゃ、また週末に」


 ちゅっと軽く音を立てて、彼は満面の笑みで玄関をさっさと出て行った。
 満開の桜の季節。新生活の門出を、見送られたことは非常に非常に嬉しいことだったけれど。


「……どうしてくれるんだ」


 早業か。乱すだけ乱しておいて。
 意地悪か。抜かすだけ抜かしておいて。


「……ズルいよ、ヒナタくん」


 何もかも中途半端にされて、……わたし、本当に週末まで我慢できるんだろうか。一応、有言実行目指して頑張りますけど。
 でも、悪いのは全部、ヒナタくんだと思うんだよね。


「……着替えよ」


 別に、ヒナタくんの余韻が残ってて、今日一日集中できそうにないからとか、全然そういうんじゃないから。ちょっと皺になったから。新生活はやっぱり、きちんとしないとね、うん。

 そんな言い訳染みたことを、一人呟きながら。「ヒナタくんの野郎……」と、わたしも新たな門出へ、新調したスーツに袖を通したのだった――。


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