すべての花へそして君へ③
幼子は春舞う雪の中で
お風呂をいただいてから一度書斎に顔を出すと、彼はもうそこにはいなかった。代わりに残っていたファイルを持って、ハルナさんの部屋へと戻る。
「……こんばんは?」
そこでは、ベッドを背もたれに、ツバサくんが本を読んでいた。
どうやら、わたしを待っていたらしい。が、少し部屋の空気がピリッとしている。
「……お話! しに来たんだ! ね? そうでしょ! 当たり?」
比較的明るい声を出してみるけれど、彼は一度本から目を上げただけで、何も言わなかった。
ふうと小さく息を洩らし、ひとまず様子を見ながら書類の整理やら寝る支度やらをして、少し待ってみることにした。
そうしていると、彼はぽつり、小さく零す。
「まるで泥棒にでもなった気分だった」
「え?」
「そのファイル、元は書斎にあったんだ」
「ああ、なるほど」
そこまで言うと、パタンと本を閉じグーッと背伸びをした。
「それ、見たんだろ?」
「それがですね」
「ん?」
「お、義父様曰く、狼狽していたと」
「重症」
「わ、わかってる」
けれど、見てないことがわかると、彼はどこか安心したように空気を柔らかくした。
その後話をすると、トウセイさんが言っていたとおり、ツバサくんはわたしの仕事の関係でそのファイルを渡してきたらしい。自分たちの件については、母と、それから妹のことが必至だからと。
「ハルナのファイルは父さんがまとめてる」
「うん。じゃあそれは、また今度に」
「……今話してきたんじゃないのか」
「しっかり勉強してしっかり恋愛して、沢山沢山悩みなさいとは言われたかな」
彼にはそれだけでだいたいの意図が伝わったらしい。「父さんそこまで酒強くないんだよ」と、小さな声で笑っていた。
「なあ」
「ん?」
それから、日付がもうすぐ変わろうかという頃。
「どうして日向なんだ?」
「……へ?」
睡魔との格闘戦の前に準備体操でもするかと思っていた時、とんでもない爆弾が放り投げられた。聞き間違いだとしても、一気に目が覚めるというものだ。
あなたそれ、随分前にも泣きながら聞いてきましたけど。覚えてないとは言わせませんよ。
(……でも、あのときみたいに泣いてない)
泣かずに聞けるくらいには、彼の中でも少しずつ、折り合いがついてきているのかもしれない。でも、そもそもその理由知りたいの?
「……そんなに気になること?」
「そりゃ振られた側からしてみれば?」
勉強机の椅子に座っている彼は、こちらに仰け反りながらそんなことを言ってくる。なんか可愛いんですけどそのポーズ。子どもっぽくて。
返答に困ったわたしは、ひとまずベッドに置いてあったクッションを抱きしめて逃げることにした。
そうして抱きしめてからふと気付いた。なんだか前に来たときよりも、部屋が可愛らしくなっているような気がするのだ。彼女の居場所が、ここに戻ってきたような……。
「……懐かしいな」
思わず天井を見た▼
そんなことを考えていたから、本当に彼女がそう呟きながら戻ってきたと思ってしまったのだ。勿論、母と違い、わたしは視えないけれど。