これはたぶん、恋じゃない

第4話:「近づいたら逃げられない」

柱:月曜・3限/大学構内・大講義室

ト書き:300人規模の広い教室。ざわめきと共に、席が次々と埋まっていく。葵は中段あたりにひとり座り、ノートを机に置いている。

ト書き:教室の前方に現れるのは、ジャケットを羽織った相楽 湊。静かにパソコンを立ち上げ、講義の準備を進めている。

葵(モノローグ)
(……いつも通りの、講義前)
(見慣れたはずの後ろ姿なのに――昨日から、何かが違って見える)

ト書き:湊が、ほんの一瞬だけ葵の方を見る。目が合ったような気がして、葵は思わずうつむく。

葵(モノローグ)
(目が合った……? いや、気のせい?)



柱:講義開始

湊(セリフ)
「じゃあ、3限目を始めます。資料はポータルにアップしていますが、投影にも出します」

ト書き:流れるような進行。板書も丁寧で、教室内に静けさが広がる。

ト書き:葵はペンを持ちつつも、少しだけ集中が逸れている。ノートに書いた字が歪んでいる。

葵(モノローグ)
(だめ。ちゃんと聞かなきゃ……)
(でも、声も、話し方も……昨日より近く感じる)

ト書き:スクリーンの横に立って説明を続ける湊。その声は一定で抑揚も少ないのに、なぜか耳に残る。



柱:ふとした仕草

ト書き:チョークを持ち替える湊の手の動き。袖から覗く手首のライン。淡々とした表情の奥で、何を考えているのか読めない。

葵(モノローグ)
(……あの人の全部が、気になってる)
(知りたくないのに、知りたい)
(知らないほうがきっと楽なのに……)

ト書き:湊が話の区切りでふたたび視線を教室へ向ける。数秒の間、また――葵と目が合う。

湊(セリフ)
「……ここまでで質問ある人」

ト書き:無言で手を上げる学生がちらほら。湊が応対する間も、葵は心拍数が戻らない。



柱:講義終了・午後3時

湊(セリフ)
「では、次回はこの続き。課題の提出期限も忘れないように」

ト書き:ざわざわと立ち上がる学生たち。葵も荷物をまとめて席を立とうとするが、隣の学生に肩をぶつけられ、ノートが床に落ちる。

葵(セリフ)
「あっ……」

ト書き:それを拾おうとした瞬間、誰かの手がノートに先に触れる。――湊。

湊(セリフ)
「大丈夫?」

葵(セリフ/ぎくりとしながら)
「せ、先生……!」

湊(セリフ/小声)
「――“湊くん”でしょ。外では」

葵(セリフ/周囲を気にして)
「で、でも今は……」

湊(セリフ/微笑を残して立ち上がる)
「じゃあ、また偶然のときに。ね?」



柱:廊下/葵ひとり

ト書き:湊が去っていったあと。葵は教室の前で、ノートを抱きしめながら立ち尽くす。

柱:午後4時前/大学構内・中庭ベンチ前

ト書き:講義を終え、葵はひとり中庭のベンチでノートを見直している。陽が傾き始め、校舎の影が長く伸びる。

葵(モノローグ)
(“また偶然のときに”って、なんなの……)
(もう、偶然じゃない気がしてるのは……私だけ?)

ト書き:ページをめくる手が止まる。昨日のカフェで湊に言われた言葉が、ノートの文字よりも頭にこびりついて離れない。

葵(モノローグ)
(“君を見てた”――)
(あんなふうに言われて、意識するなっていうほうが無理)



柱:金曜・午後3時/大学図書館・中2階 静かな書架

ト書き:薄暗い中2階の書架。葵は棚の前で、真剣な顔で参考書を探している。手元にはメモが挟まったプリント。

葵(モノローグ)
(これ読まないと次の課題やばい……)
(この辺にあるって教授言ってたけど……高っ)

ト書き:背伸びして、指先を伸ばす。あと少し届かない――。その瞬間、背後からそっと伸びた手が、彼女の手を超えて本を取る。

湊(セリフ/低い声で耳元)
「……危ない」

葵(セリフ/振り返って)
「っ、せ、先生……っ!」

湊(セリフ/笑いながら)
「また“先生”なんだ。外では“湊くん”だったのに」

葵(セリフ)
「だ、だって……ここは学校で、しかも図書館で……」

湊(セリフ)
「つまり、人目があるから?」



柱:ふたりきりの空間/距離の縮まり

ト書き:湊が一歩詰め寄る。葵は自然と一歩後ろへ下がり、書棚に背中が当たる。逃げ場がない。

湊(セリフ)
「だったらもっと声、抑えないと。……誰かに見られるよ?」

葵(セリフ/顔を赤くして)
「こ、こんな距離でそんなこと言うの、ずるいです……」

湊(セリフ/笑わずに、じっと見つめて)
「……君のそういう顔、好きかも」

葵(モノローグ)
(うそ……この距離、近い……息、かかってる……)
(なにこの人……いじわる、なのに、優しい)



柱:壁ドン

ト書き:湊が片手を葵の肩の横に置く。“壁ドン”の体勢。図書館の静寂の中、ふたりの息づかいだけが響く。

葵(セリフ/囁くように)
「……だ、誰か来たら……」

湊(セリフ)
「来たら?」

葵(セリフ/目をそらして)
「……どうするんですか」

湊(セリフ/耳元で)
「バレたら、責任取るよ?」

ト書き:その一言に、葵の心臓が跳ねる音。

葵(モノローグ)
(ずるい。ほんとにずるい。だけど……)
(逃げられない……)



柱:ふいのアクシデント/本が滑る

ト書き:緊張で足元の資料を踏みかけた葵が、バランスを崩す。

葵(セリフ)
「きゃっ……!」

湊(セリフ/焦りながら)
「っ…」

ト書き:咄嗟に手を伸ばす湊。だが支えきれず、ふたりはそのまま――

ト書き:倒れ込む。湊が上、葵が下。書架の間、床の上で――“押し倒し”の体勢。



柱:見つめ合うふたり

ト書き:湊の片手が葵の頭のすぐ横、もう片方は腰の下。葵の瞳が見開かれたまま、動けない。

湊(セリフ/息を抑えるように)
「……大丈夫?」

葵(セリフ/小さく頷く)
「うん……」

ト書き:沈黙。目が合ったまま、誰も動けない。

湊(セリフ/低く、少し笑って)
「……こんなシチュエーション、ベタすぎる?」

葵(セリフ)
「えっ……?」

湊(セリフ/ニヤッと笑って)
「……キス、してみる?」

葵(セリフ/真っ赤になって)
「な、何言ってるんですかっ……!!」

湊(セリフ)
「ははっ。しないよ、今はね」



柱:ふたり、ゆっくりと起き上がる

ト書き:湊が体を起こし、葵の手をそっと取って引き上げる。葵はぎこちなく立ち上がり、視線を合わせられない。

葵(セリフ)
「ほんと……先生って、ずるい……」

湊(セリフ)
「君が可愛いのが悪い。からかいたくなるの、当然でしょ?」

葵(セリフ/むくれて)
「そんなん……反則です」

湊(セリフ/ふと真顔で)
「……でも、本気でからかってるわけじゃないよ」



柱:図書館出口・日が傾き始める

ト書き:静かな時間。湊が歩き出し、少し前を歩いていた葵の隣に自然と並ぶ。

湊(セリフ)
「今度、ちゃんと“名前”で呼んで。……湊、って」

葵(セリフ)
「……なんで?」

湊(セリフ)
「君に呼ばれると、距離が近くなる気がするから」

葵(モノローグ)
(それはずるいって言ったのに)
(なのに、こんな言葉をもらって、嬉しいって思っちゃうなんて)



モノローグ(葵)
(“先生”は、やっぱりずるい人)
(けど――そのずるさすら、好きになっていく)
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