『脆い絆』
106 ◇温子の決心
「君とのことを知られてしまったから……。それも全部何もかも」
「私は、何も彼女に話してないわよ?」
「うん、分かってる。君がそういう人じゃないっていうのは。
俺たちが離婚した経緯を……顛末を……詳しく知っている身近にいる人から聞いて知ったみたいなんだ。
きっとその人は、雅代ちゃんのことを想って教えたんだろうね」
雅代に耳打ちした人間がいて、自分は結婚の申し込みを断られたというのに
その人物のことをそんなふうに言う哲司。
哲司のやさしさは温子だって知っている。
哲司のよいところだ。
「雅代ちゃんは『プロポーズされてすごくうれしかった』って言ってくれたよ。
だけど『だけど、結婚できない。私ね、哲司くんの奥さんになる自信がないの』って言ってね。
そしてさ『哲司くんの奥さんが温子さんだったってことと、どうして離婚になったのか、そして温子さんが家族全員から家を追い出されたことまで、親しい人から全部聞いた』って。
『あんな素敵な奥さんがいたのにどうしようもないちゃらんぽらんな奥さんの妹と浮気するなんて、何でそういう酷いことができるのか、私には理解の範疇を越えている』って。
それで結婚できないって断られたんだ」
「雅代ちゃんっていい人ね」
「うんっ」
「私のこと『素敵な奥さんだなんて』言ってくれてたんでしょ?」
「まぁね……」
反応がそこなのかと、どういうつもりで温子がそのように言うのかまでは分からないが、元妻のあっけらかんとした物言いに哲司は少し、気持ちが楽になった。
先ほど問うた時、温子はそれほど気にもしていなかったが、損得勘定せず、いけないことはいけないことと哲司のプロポーズに断りを入れた雅代のことが本気で気になりはじめた。
哲司の話し振りでは、彼の一方的な想いでもなさそうじゃないか。
ここにきて、哲司が元夫で、自分を裏切った酷い人間というのを一旦置いておくとして雅代目線で物事を考えてみると、この先雅代に良い縁談でも転がり込めばよいが、40才を超えて再婚となればまず、哲司の年齢、哲司の職業、哲司の収入……それらを備えている相手との縁談はほぼ難しかろう。
しかも一番大きな問題は、果たして見合いで哲司ほど彼女を好いてくれる相手が現れるのかということだ。
ある意味、賭けにも等しいのではないか。
自分が家を出て両親諸共うっちゃってた間、自分の親でもないのに律儀に家計を支えていた哲司だ。そこを評価してやり、この際雅代との縁が整うように協力してやろうと決めた温子だった。
「雅代ちゃんね、家でできる手仕事を頑張るって言ってたわ。珠代ちゃんが
作った物を工場に持って来たらっていうフォロー入れてたから、またここに来ることあるかもしれないわ」
「そっか。俺も君の実家を出て、自分の実家に帰るから近所ですれ違うぐらいはあるかもしれないな。あぁ、それから折角彼女を工場に受け入れてくれたのに迷惑かけた形になってしまって、ホントに申し訳ない。ご主人にもくれぐれもよろしく伝えてください」
「うん、分かった。じゃあ、あなたもお元気でね」
「あぁ、君もね」
――――― シナリオ風 ―――――
〇製糸工場/応接室
二人が向かい合って座っている)
哲司(重く口を開く)
「……君とのことを知られてしまったからだ。
それも、全部……何もかも。」
温子(即座に)「私は、何も彼女に話してないわよ?」
哲司(首を横に振って)
「うん、分かってる。君がそういう人じゃないってことは知ってる。
……俺たちが離婚した経緯を、詳しく知っている身近な人から、雅代ちゃん
は聞いたらしい。きっと彼女のためを思って、教えたんだろうね」
温子は黙ってうなずき、哲司を見つめる。
哲司(淡く微笑んで)
「雅代ちゃん、『プロポーズされてすごく嬉しかった』って言ってくれたん
だ。だけど……『結婚はできない。私には、哲司くんの奥さんになる自信が
ない』って」
沈黙。温子、わずかに息を呑む。
哲司(苦い表情で続ける)
「それに……『哲司くんの奥さんが温子さんだったこと。
どうして離婚になったのか。
温子さんが家族から追い出されたことまで、全部聞いた』って言ってた。
『あんな素敵な奥さんがいたのに、どうしてそんな酷いことができるのか、理解できない』――そう言って、俺からの申し出を断ったんだ」
温子(ぽつりと)「……雅代ちゃんって、いい人ね」
哲司(小さくうなずく)「うん」
温子(茶化すように)
「私のこと、『素敵な奥さん』だなんて言ってくれてたんでしょう?」
哲司(苦笑しながら)「……まぁ、ね。」
温子の軽口に、哲司の肩から力が抜ける。
二人の間に少し和やかな空気が流れる。
(N)
「哲司の言葉から伝わったのは、雅代の誠実さ。
温子は改めて、彼女の損得勘定のない奥ゆかしくも誠実な言動に、心を動か
された」
温子(心の声)
「……この先、雅代に良い縁談があるだろうか。
四十を過ぎた女性が、哲司ほどの年齢・職業・収入を備えた人と再婚できる
見込みは少ない。
しかも――彼女を本気で好いてくれる相手となれば、なおさら……。
裏切り者であったとしても、律儀に私の両親を支えてくれた哲司。
その人柄を思えば……雅代との縁が結ばれるよう、私が背中を押してやって
もいいのかもしれない」
温子(やや意図的に話を向ける)
「雅代ちゃんね、家でできる手仕事を頑張るって言ってたわ。
珠代ちゃんが『できた物を工場に持ってきたら?』って言ってたから、また顔を出すこともあるかもしれないわね」
哲司
「そうか……。俺も、君の実家を出て自分の実家に戻るから、近所ですれ違う
くらいはあるかもしれないな。
……それから、せっかくこちらの工場で受け入れてもらったのに迷惑をかけ
る形になってしまい本当に申し訳ない。
ご主人にも、くれぐれもよろしく伝えてほしい」
温子(微笑んで)
「分かったわ。……じゃあ、あなたも元気でね」
哲司
「あぁ、君も。」
哲司が立ち上がり、ドアの閉まる音。
「君とのことを知られてしまったから……。それも全部何もかも」
「私は、何も彼女に話してないわよ?」
「うん、分かってる。君がそういう人じゃないっていうのは。
俺たちが離婚した経緯を……顛末を……詳しく知っている身近にいる人から聞いて知ったみたいなんだ。
きっとその人は、雅代ちゃんのことを想って教えたんだろうね」
雅代に耳打ちした人間がいて、自分は結婚の申し込みを断られたというのに
その人物のことをそんなふうに言う哲司。
哲司のやさしさは温子だって知っている。
哲司のよいところだ。
「雅代ちゃんは『プロポーズされてすごくうれしかった』って言ってくれたよ。
だけど『だけど、結婚できない。私ね、哲司くんの奥さんになる自信がないの』って言ってね。
そしてさ『哲司くんの奥さんが温子さんだったってことと、どうして離婚になったのか、そして温子さんが家族全員から家を追い出されたことまで、親しい人から全部聞いた』って。
『あんな素敵な奥さんがいたのにどうしようもないちゃらんぽらんな奥さんの妹と浮気するなんて、何でそういう酷いことができるのか、私には理解の範疇を越えている』って。
それで結婚できないって断られたんだ」
「雅代ちゃんっていい人ね」
「うんっ」
「私のこと『素敵な奥さんだなんて』言ってくれてたんでしょ?」
「まぁね……」
反応がそこなのかと、どういうつもりで温子がそのように言うのかまでは分からないが、元妻のあっけらかんとした物言いに哲司は少し、気持ちが楽になった。
先ほど問うた時、温子はそれほど気にもしていなかったが、損得勘定せず、いけないことはいけないことと哲司のプロポーズに断りを入れた雅代のことが本気で気になりはじめた。
哲司の話し振りでは、彼の一方的な想いでもなさそうじゃないか。
ここにきて、哲司が元夫で、自分を裏切った酷い人間というのを一旦置いておくとして雅代目線で物事を考えてみると、この先雅代に良い縁談でも転がり込めばよいが、40才を超えて再婚となればまず、哲司の年齢、哲司の職業、哲司の収入……それらを備えている相手との縁談はほぼ難しかろう。
しかも一番大きな問題は、果たして見合いで哲司ほど彼女を好いてくれる相手が現れるのかということだ。
ある意味、賭けにも等しいのではないか。
自分が家を出て両親諸共うっちゃってた間、自分の親でもないのに律儀に家計を支えていた哲司だ。そこを評価してやり、この際雅代との縁が整うように協力してやろうと決めた温子だった。
「雅代ちゃんね、家でできる手仕事を頑張るって言ってたわ。珠代ちゃんが
作った物を工場に持って来たらっていうフォロー入れてたから、またここに来ることあるかもしれないわ」
「そっか。俺も君の実家を出て、自分の実家に帰るから近所ですれ違うぐらいはあるかもしれないな。あぁ、それから折角彼女を工場に受け入れてくれたのに迷惑かけた形になってしまって、ホントに申し訳ない。ご主人にもくれぐれもよろしく伝えてください」
「うん、分かった。じゃあ、あなたもお元気でね」
「あぁ、君もね」
――――― シナリオ風 ―――――
〇製糸工場/応接室
二人が向かい合って座っている)
哲司(重く口を開く)
「……君とのことを知られてしまったからだ。
それも、全部……何もかも。」
温子(即座に)「私は、何も彼女に話してないわよ?」
哲司(首を横に振って)
「うん、分かってる。君がそういう人じゃないってことは知ってる。
……俺たちが離婚した経緯を、詳しく知っている身近な人から、雅代ちゃん
は聞いたらしい。きっと彼女のためを思って、教えたんだろうね」
温子は黙ってうなずき、哲司を見つめる。
哲司(淡く微笑んで)
「雅代ちゃん、『プロポーズされてすごく嬉しかった』って言ってくれたん
だ。だけど……『結婚はできない。私には、哲司くんの奥さんになる自信が
ない』って」
沈黙。温子、わずかに息を呑む。
哲司(苦い表情で続ける)
「それに……『哲司くんの奥さんが温子さんだったこと。
どうして離婚になったのか。
温子さんが家族から追い出されたことまで、全部聞いた』って言ってた。
『あんな素敵な奥さんがいたのに、どうしてそんな酷いことができるのか、理解できない』――そう言って、俺からの申し出を断ったんだ」
温子(ぽつりと)「……雅代ちゃんって、いい人ね」
哲司(小さくうなずく)「うん」
温子(茶化すように)
「私のこと、『素敵な奥さん』だなんて言ってくれてたんでしょう?」
哲司(苦笑しながら)「……まぁ、ね。」
温子の軽口に、哲司の肩から力が抜ける。
二人の間に少し和やかな空気が流れる。
(N)
「哲司の言葉から伝わったのは、雅代の誠実さ。
温子は改めて、彼女の損得勘定のない奥ゆかしくも誠実な言動に、心を動か
された」
温子(心の声)
「……この先、雅代に良い縁談があるだろうか。
四十を過ぎた女性が、哲司ほどの年齢・職業・収入を備えた人と再婚できる
見込みは少ない。
しかも――彼女を本気で好いてくれる相手となれば、なおさら……。
裏切り者であったとしても、律儀に私の両親を支えてくれた哲司。
その人柄を思えば……雅代との縁が結ばれるよう、私が背中を押してやって
もいいのかもしれない」
温子(やや意図的に話を向ける)
「雅代ちゃんね、家でできる手仕事を頑張るって言ってたわ。
珠代ちゃんが『できた物を工場に持ってきたら?』って言ってたから、また顔を出すこともあるかもしれないわね」
哲司
「そうか……。俺も、君の実家を出て自分の実家に戻るから、近所ですれ違う
くらいはあるかもしれないな。
……それから、せっかくこちらの工場で受け入れてもらったのに迷惑をかけ
る形になってしまい本当に申し訳ない。
ご主人にも、くれぐれもよろしく伝えてほしい」
温子(微笑んで)
「分かったわ。……じゃあ、あなたも元気でね」
哲司
「あぁ、君も。」
哲司が立ち上がり、ドアの閉まる音。