『脆い絆』
 107 ◇家に帰ったその後の雅代の生活   


雅代は母親と相談して、小物やお金の収納などに使える巾着袋・買い物やお出かけの際に使える手提げ袋・荷物を包んで運ぶための風呂敷袋・子供や家族の弁当を包むためのお弁当袋など、何かしら手仕事をふたりで手分けして縫おうということになった。

その合間に安物の生地で着物を縫う練習も始めることに決めた。
やはり、何といってもたくさんの収入を見込めるのは着物になるからだ。


ふたりとも自分用には何度か縫ったことがあり、なんなくではあるが手順は
分かっている。
だが、如何せん余所様に着ていただく着物となると雑なもの(着物)は作れない。
また気に入ってもらえなければ顧客との繋がりもそれまでとなる。

多少時間が掛かっててもふたりして、手順を決めて顧客に気に入られるような
着物を作ろうと心に決めた。

収入源が途絶えた今、雅代は両親と共に話し合いこれまで以上に畑に力を入れようということになった。
衣類などはともかくも、主食代をどうにかしなければらない。

雅代が結婚していた頃は仕送りで月に何度か白い米も食することができたが
雅代が婚家から帰らされてから、雅代も両親も米を口にすることはほとんど
なかった。

ただ、雅代に限り、哲司が食事に誘ってくれた時だけ美味しい白飯が食べられたのだった。娘が製糸工場に勤めていた時、雅代から少しばかりの仕送りがあったけれど、とても3円ばかしの仕送りでは米など買えはしなかった。雅代の両親は先行きが不確かだと考えており、ほとんど娘からの仕送りを使わず爪に灯をともすようにして倹約して暮らしてきた。

白い米を食べられる日はいつ来るだろう、そのような叶えられそうもない3人の想いは、それぞれの胸の内に密かに秘められていた。


    - -- - - - -  推測の範囲で参考までに - - - - - - - -

1913年頃 大正2年

それぞれの参考給与

・北山涼 製糸工場社長     1000円~1200円前後
・ 温子再婚前 看護婦     20円前後

・小桜哲司 商社マン      80円前後
・工場の女工たち        数円から十数円



当時米60kg=1俵  価格が8.32円   10kg=1.386円






       ――――― シナリオ風 ―――――

〇雅代の実家/大川家  茶の間

   針と糸の音。ちゃぶ台に布が広げられている。

(N)
「その頃、雅代は母と相談し、家でできる手仕事を始めることにした。
 巾着袋、手提げ袋、風呂敷袋、弁当袋――。
 小物作りに加え、やがては着物も縫えるようにと練習を始めた」

雅代(明るく)「駄目でもともとよね。少しずつでも、やってみましょう」

母「そうね。雑ではお金はいただけないし、気に入ってもらえなければ続かな 
  い。でも、丁寧にやればきっと喜ばれるはずよ」

(N)
「収入を失った今、雅代と両親はこれまで以上に畑にも力を入れることを決め
 た。白い米を食べられる日は――いつ来るのだろうか。
 そんな願いを胸に秘めながら、彼らは慎ましく、けれど確かに新しい一歩を 
 踏み出していた」


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