『脆い絆』
75  ◇吹きつける風が、頬にしみた

製糸工場を後にした哲司は、うつむきながら砂利道を歩いた。
一度めに断られた形になった時には、生きた心地がしなかった。

だけど、そのあとで、求人が出たら本人に知らせてくれると言ってくれた。
実際はどうなるのか分からないが、少しだけでも温情をかけてもらえる形に
なり、ほっとしている自分がいた。


篤志はふと空を見上げた。
冬の曇った空。
吹きつける風が、頬にしみた。

甘い考えかもしれないが、哲司は心のどこかで……
それでも温子が『何か』力になってくれるような気がしてならなかった。

そんなふうにかすかな希望を胸に……
哲司は歩みを止めることなく寒空の下、帰っていった。


            ◇ ◇ ◇ ◇


「お疲れ様。もう話は終わったようだね」

「涼さん。はい、終わりました。
知り合いの幼馴染の女性の就職をと頼まれました」

「その女性は運の強い人だね。
温子さんには話してなかったけど、女工さんがこの度結婚して少しばかり
遠方へ嫁ぐことになってね、欠員ができそうなんだ」

「そうだったの。良いタイミングだったってことですね。
こんなことってあるのね」

「昔からなんだけど、うちでは欠員が出ると1人ではなく2人雇うことに
してるんだ。同時期には無理でもなるべく時期を合わせてね」

「……」

「同時期に新人で入った者がいると、お互いなんとなく心丈夫に思うもの
じゃないかってね。分からないことがあった時でも相談し合える相手が
いるというのは、とても助られるからね」

「それって……ご両親の頃から? それとも……」

「うん、僕が責任者になってからだね」

「やっぱり。涼さんらしい素敵な考え方ね。
いいと思います」


従業員の数が2~3人増えたとしてもビクともしない北山涼が率いる製糸工場ではニ週間後に
面接の日を決めて求人を出すことにした。

それとともに、温子は大川雅代に向けて面接日を手紙で案内した。

今回、その日の面接は、夫婦で行うこととなった。

実際には当日雑務を行うと称して、珠代も絹も参戦することになっている。

―――というのも、
それとなく面接のために来訪した者たちの振る舞いなどを、面接する部屋を
出たり入ったりしつつ、しっかりとチラ見し、あとで涼が女工を決める時に
参考にしたりするためだった。










      ――――― シナリオ風 ―――――


◇哲司の帰路

〇冬の街道/曇り空・冷たい風

   哲司、工場を出て砂利道をうつむき加減に歩く。
   足取りは重い。


哲司(心の声)「一度は……断られた。
 あの瞬間、生きた心地がしなかった。
 けど……求人が出たら知らせる、と言ってくれた。
 ほんの少しだけど……温情をかけてくれた……」

   哲司、顔を上げて冬空を見る。
   灰色の雲と吹きつける風が頬を刺す。

哲司(心の声)「甘いかもしれない。
 ……けれど、温子は……まだ、どこかで俺を助けてくれる気がして
 ならない」

   背を丸め、寒空の下を歩き去っていく。



◇温子と涼の会話

〇製糸工場/事務室 夕方

   温子が戻ると、涼が机に書類を広げている。

涼(顔を上げてにこやかに)「お疲れ様。もう話は終わったようだね」

温子(静かに)「はい。知り合いの幼馴染の女性の就職を頼まれました。」

涼(少し驚き、笑みを浮かべて)
「その女性は運の強い人だ。
 実は……女工の一人が結婚して、遠方へ嫁ぐことになってね。
 欠員が出そうなんだ」

温子(目を見開き)
「そうだったの……。
 良いタイミング……こんなことってあるのね」


「うちでは、欠員が出ると一人ではなく二人雇うようにしてるんだ。
 同時期に新人がいれば、お互い心丈夫だろう? 
 分からないことも相談できるし」

温子(目を細めて)「……それって、ご両親の代から?」

涼(首を振り、穏やかに)「いや、僕が責任者になってからだ」

温子(頷き、微笑む)
「やっぱり。
 涼さんらしい……素敵な考え方ね。
 いいと思います」

   温かい夫婦の視線が交わる。
   やがて書類の上に目を戻す涼。

(N)
「北山涼が率いる製糸工場では、その二週間後に面接日を決め、求人を
 出すこととなった」


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