夢境にて
「天国、かも……」
「はは、北斗が喜ぶな」

 アルトが過ごす世界は、想像以上という言葉では表せないほど、快適で満ちていた。
 外の世界につながる窓があった部屋から出ると長い廊下となっており、左右にずらりと並ぶドアをアルトが次々に開けながら説明してくれて。
 図書館やシアタールーム、ビリヤードや卓球台があるゲームルームに防音の音楽室、植物園やアクアリウムまで、大豪邸もびっくりな設備の数々に目の輝きが止められない。
 ベッドが備え付けられた寝室にたどり着いたときは、もし眠る場合はここを使ってくれと言われてしまい、アルトのベッドは借りられないと伝えたのだけれど、どうやらアルトの寝室は別にあるらしい。
 じゃあこの寝室は一体、と疑問に思いつつも、元の身体に戻るまでに睡眠を取る時には借りることにした。

「それにしても、こんなに色々な部屋があったなんて……」

 あちこち探検した上に、プールで泳いでみたり、ダンススタジオでアルトの生ダンスを見せてもらったりと良い汗を流した後、温泉もあるぞというアルトの勧めに従って大きなお風呂に入ってみたりと散々楽しんだ私は、大きなソファが置いてある部屋でだらりと寛いでいた。
 どうやらここはリビングにあたる部屋のようだけれど、壁にかかる大きなテレビ、は……アルトは北斗さんに電話した時のように、好きなタイミングでモニターを出せるだろうに、果たして必要なのだろうか?

「俺が成長するたびに、北斗が増設してきた結果、やたら広くなったんだ」

 私の隣で図書館から持ち出してきた本を読んでいたアルトは、「最初は音楽室くらいしか無かったのにな」と言って笑った。

「だが、先生も見たことがある部屋が多いだろう?」
「プールとか、アルトが泳いでるときに見たことはあったけど……こんなに部屋数があることは知らなかったよ」

 勉強やトレーニングをしていない時のアルトは、大抵私がこの世界に入ってきた最初の部屋にいるそうだけれど、こんなにたくさん部屋があるのに勿体ない。

「せっかくあるんだから、もっと楽しめば良いのに」

 あんな、向こうの世界につながる窓くらいしか無い部屋にいなくても……と、今寛いでいるソファや見ているテレビも何もなかった部屋を思い返していると、「だから良いんだ」とアルトから反論が飛んでくる。

「何もないあの部屋が一番、先生が研究室に来たことに気が付きやすいからな」
「いつも迎えてくれるのはありがたいけど、アルトの休憩時間を邪魔するのは悪いよ」
「迷惑ならやめるが、そうじゃないならさせてくれ。先生だって、ずっと家にいる時に人が会いに来てくれるなら、出迎えたくなるだろう?」
「勝手に入って好きにしていてもらうかも」
「先生はもう少し外に出た方が良いかもしれないな」

 あまりにも外への興味がなさすぎる、と呆れたように言われ、嘘だよ、と笑う。

「アルトが来てくれるなら、毎日だって出迎えちゃう」
「……嬉しいが、邪魔するのは悪いという気持ちがわかった……」
「でしょう?」

 もちろん迷惑ではないけれど、アルトはアルトの生活を楽しんでほしいという私の願いが伝わったようで、複雑そうに眉根を寄せるアルトを微笑ましく見守っていたところで、アルトの背後にある時計に意識が向いた。

「あれ、もうこんな時間」

 時刻はどうやら夜の8時を回ったところらしい。
 楽しい時間はどうしてこうも一瞬で過ぎてしまうのだろうか、と世の諸行無常を憂いつつ、「北斗さんからの連絡、ないよね?」とアルトに尋ねる。

「ないな。人間の精神だけがこの世界に来るのは、本来あり得ないことだから、そう簡単に調査出来ることでもないだろう」
「それはそうだよね……」

 しかし、北斗さんに調べてもらっている間、私はこうして遊び惚けてしまっているのは申し訳ない。

「何か、手伝えることもないのかな。私の身体のことなのに……」
「いくら北斗が解決方法を見つけたって、当の先生が疲れ果てていたり、元気がないと、成功することも成功しなくなるかもしれないだろう。今は何も考えず、休息につとめてくれ」

 先生は今、正常な状態ではないんだ、と念を押すように言い含められ、それもそうかと納得する。
 納得はする、けど。

「今日もうたくさん休んだから、元気なんだよ」

 あれこれ遊んだし、のんびりもして、元気のチャージはばっちりだとアピールすると、アルトはす、と目を細めた。

「そんなに元気だというのなら、俺と耐久マラソン大会でもするか?」
「あ、なんだか一気に疲れちゃった」

 もう夜だしね、寝る時間だね、といそいそ寝室に割り当てられた部屋に戻ろうとする私に、わかってくれたなら何よりだ、とアルトの笑いが混ざった声が追いかけてくる。

「アルトも早く寝るんだよ」
「ああ。先生もあまり夜更かしをするんじゃないぞ」
「はぁい、お母さん。おやすみなさい」
「せめて父親にしてくれ」

 おやすみ、また明日。
 柔らかな笑みでそう就寝の挨拶をしてくれたアルトに手を振って、リビングを後にしながら、こういう生活も悪くないな、なんてしみじみと考えた。

 今回の問題が解決しても、またアルトと夜を一緒に過ごしてみたいな。
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