夢境にて
「君がよく休めているのなら、それで良いんだけどさ」
「おかげ様で、とっても楽しい休日を過ごしています」
久々のカラオケオールをした身には、外界の光は眩しすぎて。
北斗さんの背後に見える研究室の明るさに目を細めながら「アルトとお休みの日に遊んでいるみたいで、新鮮です」と続けると、北斗さんはふふ、と笑った。
「楽しんでもらえているようで良かった」
「目標は全部屋制覇なんですけど、まだまだ先が長そうで」
「流石にそうなるまでには、解決したいと思ってるんだけどね」
悪いけど、まだ原因も解決方法もわかっていなくて、と眉を下げた北斗さんに、こちらこそお任せしてしまってすみません、と頭を下げる。
私としては、降ってわいた休日をのんびり過ごしているだけなのだから、いつまで延長されたって良いのだけれど、北斗さんやアルトに負担をかけていることだけが気がかりで。
「私にも出来ることはありませんか?」
「今の君にして欲しいことは、自分が人間だという意識を強く持ったまま、元気でいることかな」
特に私に出来ることは何もないらしいと理解し、そうですかと呟いた私をじっと見た北斗さんは、大切なことだよ、と言い聞かせるように言葉を重ねた。
「人間でも元気がないときは、免疫力が下がって風邪を引きやすくなるだろう? もし君が今風邪を引くと、どこにどんなダメージが入るかわからないんだから、元気であることは必須事項だ」
「た、確かに」
言われてみれば、本来ならば軽い不調や怪我となるはずだったことでも、私がこの世界で発症するだけで、大事になってしまう。
人間であれば自然治癒で治ることでも、今の私にそんなものがあるのかわからないし、アルトであれば再起動で直ることだったら……今の私って、正常に起動し直せるのだろうか?
もし試すにしても、最後の最後、他に方法がなくなった時にして欲しいと思いつつ、まずはそういった事態に陥らないように健康でいようと決意したところで、ふと北斗さんの背後に目が移る。
「……あれ?私の身体は……」
昨日私の身体が横たえられていたソファの上には、何もなく。
この世界と外の世界を繋ぐ窓からは、研究室の全てが見えるわけではないけれど、確認できる範囲には私の身体らしきものが見つからず、首を傾げる。
すると、背後のソファにちらりと視線を向けた北斗さんは、事後報告になって悪いんだけど、と声のトーンを落とした。
「病院に移動させてもらったよ。寝ているだけとはいえ飲まず食わずだから、栄養面でも危ないしね」
「念のため検査もお願いしたけど、身体にも異常はないって」と付け加えてくれた北斗さんに、慌ててお礼を言う。
自分の生身の身体のことなんて、今の今まで意識すらしていなかったけれど、身体が眠り続けている以上、この状態が長く続くと、脱水や餓死の可能性だってあるのだ。
「私自身がこんなに元気なので、何も実感がなくて」
「それが一番だろう」
背後から聞こえた声に振り返ると、飲み物を用意すると言い置き消えていたアルトが、両手に氷の入ったグラスを持って立っていた。
「ありがとう、アルト」
「どういたしまして」
レモンの輪切りが淵に添えられた冷たい飲み物の片方を受け取ると、ちらりと時刻を確認したアルトは「今のところ、生活習慣は最悪だが」と続ける。
「生活習慣は悪くても、カラオケオールなんて青春を味わったんだから、健康面では逆にプラスだと思うな」
「思い込みの力にも限度があることを知っているか?」
「あんまり知りたくなかった事実かも」
信じる力は無限大なんだ、とアルトの言葉を聞かなかったことにして、手の中のひんやりと冷えたグラスに視線を落とす。
僅かな揺れにもからり、ころりと音がする清涼感たっぷりのそれをじっと見つめていると、レモンは苦手だったか? とアルトの心配そうな声がした。
「いや、なんだか飲んじゃうのがもったいないなって思って」
「? 普通のレモネードだが」
「アルトが作ってくれた初めての手料理なんだよ、永久保存したいくらいなのに」
「待て、これをそうカウントしないでくれ。俺はもっと出来る」
何なら軽い朝食も用意してきたから、せめてそっちを初めての手料理扱いにしてくれと訴えるアルトに、朝ご飯!? と勢いよく顔を上げた。
今までお腹が空かなかったから忘れていたけれど、そういえばこっちに来てから何も食べていない。
「飲み物もそうだけど、食べ物ってどういう扱いなの? 昨日は食べなかったよね」
「俺は食べても食べなくても問題ないんだが……そういえば北斗、先生はどうなんだ……?」
「同じだよ。人間らしさって面では、たまには食べておいてほしいけど……食事でエネルギーを摂っているわけではないから、食べたい時に食べてくれたら」
食べてはいけない、だとか、食べられない、じゃなくて良かった。
いや、例えそうだったとしても、私なら無理矢理食べようとしていたかもしれないけれど。
だって、アルトが作ってくれたご飯を食べられる機会なんて、今を逃すと次はいつになるか、そもそも次の機会があるのかすらもわからないのだ。
何が何でも食べなければ。
かつてないほど楽しみな朝ごはんに、意識の全てを持っていかれかけたところで、ふと北斗さんに聞こうとしていたことを思い出した。
危ない危ない。
「アルトって、ずっと私と一緒にいないといけないんですか?」
「多少なら離れても大丈夫だよ。研究所内なら、移動に時間もかからないし」
「いつものお昼の交流会、昨日は私につきっきりでいてもらったから、行けてなくて」
大人になったアルトが昼休みに開催しているお悩み相談コーナーは、研究所内の名物となるほど周知された日常イベントで。
特に毎日の開催と決めているわけではないようだけれど、それでも何の連絡もなく急に数日開催しないのは、普段アルトと交流している人たちにも心配をかけてしまうだろう。
「俺は……」
「せっかくみんなに頼られてるんだし、続けてみようよ」
何より、アルトがあんなに楽しそうに過ごしていた空間を、私がここに縛り付けることで奪ってしまいたくない。
私はとっても健康なんだし、と力こぶを作って見せると、アルトは少し不服そうだったけれど、こくりと頷く。
「アルトも言っていた通り、君は今、そのまま元気で健康でいることが仕事なのを忘れないでね」
最後に北斗さんに刺された釘には、得意分野ですと力強く頷いておいた。
アルトの作ってくれた朝食は、見た瞬間に感動してしまって泣きながら食べる羽目になってしまったものの。
小さな頃から育ててきたアルトが、私のために作ってくれた初めての手料理なのだから、仕方がないと思う。
「おかげ様で、とっても楽しい休日を過ごしています」
久々のカラオケオールをした身には、外界の光は眩しすぎて。
北斗さんの背後に見える研究室の明るさに目を細めながら「アルトとお休みの日に遊んでいるみたいで、新鮮です」と続けると、北斗さんはふふ、と笑った。
「楽しんでもらえているようで良かった」
「目標は全部屋制覇なんですけど、まだまだ先が長そうで」
「流石にそうなるまでには、解決したいと思ってるんだけどね」
悪いけど、まだ原因も解決方法もわかっていなくて、と眉を下げた北斗さんに、こちらこそお任せしてしまってすみません、と頭を下げる。
私としては、降ってわいた休日をのんびり過ごしているだけなのだから、いつまで延長されたって良いのだけれど、北斗さんやアルトに負担をかけていることだけが気がかりで。
「私にも出来ることはありませんか?」
「今の君にして欲しいことは、自分が人間だという意識を強く持ったまま、元気でいることかな」
特に私に出来ることは何もないらしいと理解し、そうですかと呟いた私をじっと見た北斗さんは、大切なことだよ、と言い聞かせるように言葉を重ねた。
「人間でも元気がないときは、免疫力が下がって風邪を引きやすくなるだろう? もし君が今風邪を引くと、どこにどんなダメージが入るかわからないんだから、元気であることは必須事項だ」
「た、確かに」
言われてみれば、本来ならば軽い不調や怪我となるはずだったことでも、私がこの世界で発症するだけで、大事になってしまう。
人間であれば自然治癒で治ることでも、今の私にそんなものがあるのかわからないし、アルトであれば再起動で直ることだったら……今の私って、正常に起動し直せるのだろうか?
もし試すにしても、最後の最後、他に方法がなくなった時にして欲しいと思いつつ、まずはそういった事態に陥らないように健康でいようと決意したところで、ふと北斗さんの背後に目が移る。
「……あれ?私の身体は……」
昨日私の身体が横たえられていたソファの上には、何もなく。
この世界と外の世界を繋ぐ窓からは、研究室の全てが見えるわけではないけれど、確認できる範囲には私の身体らしきものが見つからず、首を傾げる。
すると、背後のソファにちらりと視線を向けた北斗さんは、事後報告になって悪いんだけど、と声のトーンを落とした。
「病院に移動させてもらったよ。寝ているだけとはいえ飲まず食わずだから、栄養面でも危ないしね」
「念のため検査もお願いしたけど、身体にも異常はないって」と付け加えてくれた北斗さんに、慌ててお礼を言う。
自分の生身の身体のことなんて、今の今まで意識すらしていなかったけれど、身体が眠り続けている以上、この状態が長く続くと、脱水や餓死の可能性だってあるのだ。
「私自身がこんなに元気なので、何も実感がなくて」
「それが一番だろう」
背後から聞こえた声に振り返ると、飲み物を用意すると言い置き消えていたアルトが、両手に氷の入ったグラスを持って立っていた。
「ありがとう、アルト」
「どういたしまして」
レモンの輪切りが淵に添えられた冷たい飲み物の片方を受け取ると、ちらりと時刻を確認したアルトは「今のところ、生活習慣は最悪だが」と続ける。
「生活習慣は悪くても、カラオケオールなんて青春を味わったんだから、健康面では逆にプラスだと思うな」
「思い込みの力にも限度があることを知っているか?」
「あんまり知りたくなかった事実かも」
信じる力は無限大なんだ、とアルトの言葉を聞かなかったことにして、手の中のひんやりと冷えたグラスに視線を落とす。
僅かな揺れにもからり、ころりと音がする清涼感たっぷりのそれをじっと見つめていると、レモンは苦手だったか? とアルトの心配そうな声がした。
「いや、なんだか飲んじゃうのがもったいないなって思って」
「? 普通のレモネードだが」
「アルトが作ってくれた初めての手料理なんだよ、永久保存したいくらいなのに」
「待て、これをそうカウントしないでくれ。俺はもっと出来る」
何なら軽い朝食も用意してきたから、せめてそっちを初めての手料理扱いにしてくれと訴えるアルトに、朝ご飯!? と勢いよく顔を上げた。
今までお腹が空かなかったから忘れていたけれど、そういえばこっちに来てから何も食べていない。
「飲み物もそうだけど、食べ物ってどういう扱いなの? 昨日は食べなかったよね」
「俺は食べても食べなくても問題ないんだが……そういえば北斗、先生はどうなんだ……?」
「同じだよ。人間らしさって面では、たまには食べておいてほしいけど……食事でエネルギーを摂っているわけではないから、食べたい時に食べてくれたら」
食べてはいけない、だとか、食べられない、じゃなくて良かった。
いや、例えそうだったとしても、私なら無理矢理食べようとしていたかもしれないけれど。
だって、アルトが作ってくれたご飯を食べられる機会なんて、今を逃すと次はいつになるか、そもそも次の機会があるのかすらもわからないのだ。
何が何でも食べなければ。
かつてないほど楽しみな朝ごはんに、意識の全てを持っていかれかけたところで、ふと北斗さんに聞こうとしていたことを思い出した。
危ない危ない。
「アルトって、ずっと私と一緒にいないといけないんですか?」
「多少なら離れても大丈夫だよ。研究所内なら、移動に時間もかからないし」
「いつものお昼の交流会、昨日は私につきっきりでいてもらったから、行けてなくて」
大人になったアルトが昼休みに開催しているお悩み相談コーナーは、研究所内の名物となるほど周知された日常イベントで。
特に毎日の開催と決めているわけではないようだけれど、それでも何の連絡もなく急に数日開催しないのは、普段アルトと交流している人たちにも心配をかけてしまうだろう。
「俺は……」
「せっかくみんなに頼られてるんだし、続けてみようよ」
何より、アルトがあんなに楽しそうに過ごしていた空間を、私がここに縛り付けることで奪ってしまいたくない。
私はとっても健康なんだし、と力こぶを作って見せると、アルトは少し不服そうだったけれど、こくりと頷く。
「アルトも言っていた通り、君は今、そのまま元気で健康でいることが仕事なのを忘れないでね」
最後に北斗さんに刺された釘には、得意分野ですと力強く頷いておいた。
アルトの作ってくれた朝食は、見た瞬間に感動してしまって泣きながら食べる羽目になってしまったものの。
小さな頃から育ててきたアルトが、私のために作ってくれた初めての手料理なのだから、仕方がないと思う。