夢境にて
「ここにいたのか」

 先生、と柔らかな声が掛けられ、閉じていた目を開く。
 薄暗い室内で、仰向けに寝そべる私を覗き込むように見下ろすアルトと目が合い、おかえりと手を振ると、隣に腰掛けたアルトがただいまと返してくれた。

「早かったね」
「まあ……少しだけ」

 あまり離れるのも心配だから、早めに切り上げてきたと言うアルトに、大人しくしてるのに、と返しながら頭上を指差す。
 私の指を追いかけて天井を仰ぎ見たアルトは、そうみたいだなと頷いた。

「冬の空になっている。春から始まって、季節が廻っただろう? 随分長い時間居たんだな」
「え、アルト、星見るだけで季節がわかるの?」

 天に広がるのは、一面の星空で。
 いわゆるプラネタリウムを再現した場所らしく、映画館のような椅子を水平近くまで倒して空を眺めていた私は、最初がどの季節の空だったかなんてもちろん把握していない。
 ゆっくりと動いていることはわかっていたけれど、ちゃんと季節があったんだと呟くと、座席を倒して私と同じ体勢になったアルトから、先生は星に興味がないのか? と問いかけられる。

「ないわけじゃないけど、あんまり意識して空を見上げることはないかも」
「そうなのか……」

 偶に見上げたところで、空で一番目立つ月があるかないか、大きいか欠けているかくらいしか見ていない。
 そもそも。

「都会だと、ここまで綺麗には見えないし」

 目の前に広がるのは、満天と呼んで差し支えない程きらきらと光る星空で。
 雲も地上の光も存在しないこの世界では、すべての星を余すところなく観察出来るのだ。
 だからこそ、アルトと離れて直ぐにこの部屋を見つけてからずっと、飽きもせず空を観察していたわけで。

「本物の星空は、そんなに見え辛いものなのか?」
「時間帯にもよるけど、この研究所の周りだと、あんまり見えないかも」
「そうなのか……」

 夜遅くまで残業した時だって、街には光が溢れていたから、恐らくろくに見えないだろうと思っていると、アルトが残念そうに呟いた。
 そういえばアルトは夜に出かけたことがないから、見える見えないに関わらず、実際の星空を見たことがないのだ。

「今度、北斗さんに許可貰って、星を見に行こっか」

 星を見るだけで季節すらわかるアルトのことだ、きっと実物を見てみたいに違いないとそう提案すると、がばりと起き上がったアルトが本当か!? と勢いよくこちらを振り返った。

「本当、本当。でも、綺麗な星を見るには、少し遠出することになるよ」
「そうか……北斗の説得が大変かもしれないな……」
「協力して説得しよう。最近アルト、とっても頑張っているし、ご褒美とか」
「む、自分でご褒美を強請るのは、中々ハードルが高いから、少し協力し辛い……」
「アルト、しっかりしてるもんね……じゃあ、実物の星空を見ることが、勉強になるという方面だったらどう?」
「それは良いな。俺らしい理由だし、北斗にも頼めそうだ」
「私もそう思う。何でも学習に繋げちゃうの、アルトっぽいかなって」

 今となっては、私よりもよっぽどアルトの方が物知りなのは、そういった知識欲が原因のひとつだろう。
 既に教えることが少なくなってきて、アルトから教わることも増えてきた現状で、私はいつまでアルトの先生でいられるかな、なんて考えないこともないけれど。

「アルトが知りたいこととか、見たいことは、出来るだけ叶えてみせるからね」
「……ふ、先生は頼りになるな」

 決意を示すべく拳を高く掲げると、思わず零れたような笑みを見せてくれたアルト。
 そのまま再度空へと目を向けたアルトは、「先生は、星がよく見える場所は行ったことがあるのか?」と、どうやら遠出予定の場所が気になるようだ。

「小さな頃に、1回だけあるよ」
「どんなところだった?」

 珍しく、声にわかりやすい興味をにじませるアルトに、うーん、と綺麗な星を見た記憶を引っ張り出す。
 何せ昔の話だ。細部は曖昧だし、そこがどこだったのかも覚えていない。
 ただただ溢れる自然と、視界いっぱいに広がる星空ばかりが印象に残っていて……そうだ。

「地面が芝生でね、こうして寝転がりながら星を眺めたの」

 最初は座り込んで、顔だけ上に向けていたのだけれど、すぐに首が痛くなって草の地面に倒れこんだのだ。
 見える範囲が夜空のみになり、見たこともなかった鮮やかな星の数々に呑み込まれたように釘付けになって。

「自分ってちっぽけな存在なんだなぁって、心の底から思ったよ」

 宇宙って広いよね、と同意を求めるべくアルトを見遣ると、徐に立ち上がったアルトに右手を差し出された。

「俺も先生の気持ちを味わってみたい。どこまで出来るかわからないが……そうだな、予習ということで、付き合ってくれないか」

 予習?と首を傾げながらも、アルトの手を取り、引き上げられるままに立ち上がる。

「えっ!?」

 私の背が椅子から離れた瞬間、アルトの左手が空中に浮いたかと思うと、すっと真横に引かれる。
 瞬間、プラネタリウムらしく並べられていた映画館のような椅子が消え去り、一面が芝生の地面に置き換わった。

「草が……」
「ここに寝転ぶのか?」

 その場で軽く足踏みをしてみたけれど、本物の草原や土の感触と変わらないように思えて。
 これ、外の世界に戻る必要ある?
 もうこの世界だけで良いんじゃない?
 そんな邪な考えが脳内を占めていくけれど、この世界に住むアルトが本物の星空を見に行きたいと言っている以上、この世界ではできないこともあるんだろうなぁと思い直した。
 きっと隣の芝生は青いのだ。

「そう。こうやって地面に寝そべって」

 お手本を示すべく、目の前の草原に飛び込んだ私は、ごろりと転がって仰向けになり、アルトを手招く。
 私の行動をじっと観察していたアルトは、くるりと後ろを向き、そのまま背中からふわりと地面に倒れこんだ。

「柔らかい地面だと、気持ちが良いな」
「さっきの椅子も良いけど、天体観測にはやっぱり草の地面だね」

 まばらに生えた少し背の高い草が顔の横でふわふわと揺れ、少しだけくすぐったい。
 自然のものではないはずなのに、自然と見分けがつかない程のリアルさに感動していると、「他には?」とアルトの次を促す声が聞こえた。

「音、かな。鳥の声とか……?」
「鳥か、少し待ってくれ」
「流せるの?」
「ああ、先生がいるうちに、出来るだけこの空を本物に近づけてみたい」

 今の地面だけでも十分自然の中の天体観測らしいと思うのだけれど、どうせなら突き詰めてみたい気持ちはわからないわけではない。
 あとは何が足りないかな、と記憶の糸を手繰り寄せかけたところで、アルトが流した鳥の声が耳に飛び込んでくる。

 ……ひよ、ひよひよひよ。

「ふっ……あ、アルト……?」
「先生? どうした」
「夜にヒヨコは鳴かないかな……?」
「む、そうか」

 夜空に響き渡る、ピヨピヨとした鳴き声に、思わず笑ってしまったけれど、よく考えたら鳥の種類を指定しなかった私が悪い。
 改めて鳥の種類を指定するべく口を開きかけると、ヒヨコの鳴き声を消したアルトは、新たな鳥の鳴き声を流してくれた。

 ほーう、ほーう。

「ふくろうの声、いいね。もう少し小さくして、遠くから聞こえてくるようにできる?」
「こんな感じか?」
「そうそう」

 どこからともなく聞こえる、と感じるくらいまで小さくなったふくろうの声に、いよいよ自然の中の天体観測らしい雰囲気が出てきたような気がする。

「あとは、虫の声とか、風の音とか……草の匂いとかも、出来たりする?」

 かつての天体観測をなぞって、思いつくままに口にした記憶は、アルトの手によって次々に再現されていき。
 ふと、ここが電子の世界だということも忘れ、記憶の中の天体観測と現在が混ざり合ったかのような、不思議な錯覚に陥った。

「先生?」
「……うん、こんな感じ」

 記憶の蓋が開ききり、当時の初めての満天の星空に感激した記憶と遜色ない風景に、完璧だと伝えると、「これが先生にとっての天体観測なのか」とアルトが噛み締めるようにしみじみ呟いた。

「先程までとは、全然違うな」
「あのふかふかの椅子で見るのも良いけどね」

 疑似的とはいえ、限りなく外の自然に近づけた天体観測を前に、アルトはとても楽しそうで。
 もしこの先本物の星空を見に行けることになったって、端末の中から出られないアルトは、こうして草の感覚を味わうことは出来ないのだ。
 私お墨付きのリアルな自然の中の天体観測を紹介できてよかったと満足していると、ふとこの世界ならではの快適さの部分が心に引っかかった。
 この世界は暑くも寒くもないから忘れていたけれど、外の世界の自然には、切っても切り離せない季節という概念がある。

「そういえば、この空っていつの季節の星が見えてるの?」
「今はまだ冬だな」
「……秋の虫の声、鳴らしてもらっちゃったなぁ」

 どう聞いてもこのリンリン鳴っている音は、鈴虫の声だ。
 あまり詳しくないけれど、冬の天体観測では、虫の声はしないのではないだろうか。

「まあ、冬でも生きてる生命力が強い虫ってことで」
「結構な大合唱に聞こえるが」
「元気いっぱいだね。プロテインでも飲んだんじゃない?」

 無責任にうんうんと頷いておき、実際の答え合わせは未来の私に託しておく。
 何か言いたげな視線をアルトから向けられているような気がしたので、「私も予習しておきたいな」と慌てて話題の転換を図った。

「星とか星座って、空に文字が書いてあるわけじゃないから、あんまりわからなくって。おすすめとか、ない?」

 出来れば初心者にも見つけやすいやつがいいな、と追加オーダーすると、む、と考え込むように唸ったアルトは、それならと真っすぐ天に手を伸ばした。

「あの辺りの、3つ並んだ星がわかるか?」
「どれ……?」
「そこだ」

 アルトの示す先を辿っても、特徴のない星たちの見分けが付かず目を細めると、空へと向いたアルトの指がくるりと円を描き、追従するように空に赤い円が描かれる。
 そういえば、この星空は本物ではなく、アルトが住む世界のプラネタリウムだった。
 いや、プラネタリウムだったとしても、こうして空に落書き出来るの、すごいな。

「この星だけ見つけたら、あとは少し強く光る星を見つけると良い」

 空に次々と引かれる線に感心していると、砂時計にはしゃいだ両腕を付けたような図形を描き終えたアルトが、「これがオリオン座だ。冬の空では見つけやすい星座だと思う」と説明を締めくくる。

「特徴のある星座だから、もう先生にも見つけられるんじゃないか?」

 赤い線を消し、元の変哲のない星空に戻しながらそういったアルトに、本当だ! と思わず興奮した声が飛び出した。

「どうしてさっきまで、3つの星がわからなかったんだろう。こんなに目立つのに」
「形がわかれば見つけやすいだろう」
「うん、オリオン座だけ浮かび上がって見えてるよ」

 「きっと本物の星空を見たときも、オリオン座はわかるね」と抑えきれないテンションのままにアルトへ伝えると、「どうせならもっとわかるようにならないか?」といたずらっぽく笑ったアルトによって、星や星座を大量に教えてもらい。
 ……夢中で話し込んでいる内に、結構な時間が経っていたらしく、昨夜ろくに寝ていないアルトが一瞬意識を飛ばしたところで、今日はここで寝てみない?と提案する。

 少し地面は固いけれど、暑すぎも寒すぎもしないように調節できる世界だから、風邪も引かないだろう。
 星を見ながら寝てみたいと主張すると、良い案だなとふわふわした声音で頷いたアルトは、大きな薄いブランケットをどこからともなく取り出して、自分と私の上に掛けてくれる。

 眠りに落ちる直前のアルトが呟いた、「次の天体観測で、どちらが早く多くの星や星座の名前を当てられるか競争しよう」なんて約束の返事は、ちゃんとアルトに届いたのだろうか。
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