夢境にて
今日も今日とて眠れない。
北斗さんに眠れていないことを指摘されてから、既に3日は経過していた。
この間、試せることはすべて試したはずだ。
ひたすら目を閉じたままじっとしてみた時は、半日我慢した時点であまりにも退屈過ぎて音を上げて。
ひたすら疲れることをしようと、一度は聞かなかったことにしたアルトとの耐久マラソン大会を渋々してみた時は、立てないくらいまで走り続けたのに結局眠れなくて。
マッサージだとか、温かい飲み物だとか、果ては催眠術まで、アルトに手伝ってもらいながら実行した全てが、私を眠らせてはくれなかった。
とはいえ、動き回った疲れはともかく、基本的に元気なままで。
ただただ眠れない、という事実は、私よりもアルトと北斗さんを焦らせてしまっているように思う。
だからこそ今日も、眠気はないのにせっせと眠ろうとベッドの中で目を閉じていたものの。
「……」
やはり、眠れない。
眠ろうと努力はするのに、眠気のねの字も見えやしない。
そうこうするうちに飽きてしまい、こっそりとベッドから抜け出した。
気分転換は大切なのだ。
「あれ、アルト?」
ホットミルクにしようか、ホットココアにしようかだなんて、夜のお供をいくつか思い浮かべながら到着したリビングには電気がついていて。
まだ起きているのかな、と覗いた先で、ソファに腰掛けてうとうとと頭を揺らしているアルトが見えた。
最初は就寝に付き合ってくれていたアルトだったけれど、あまりにも眠れない私が、傍にいる存在にプレッシャーを感じてしまい、夜は別で過ごしてもらうことにしていて。
どうやら今日のアルトは、テレビを観ながら寝落ちしていたらしい。
前に寝落ちをしたアルトを見かけた時にも考えたけれど、アルトの睡眠の仕組みが人間と一緒なら、やはりベッドで寝ないと疲れが取れないだろう。
ただでさえ、ずっと起きている私がずっと近くにいるのは、アルトにとってもストレスがかかっているのだろうし、休める時には休んで欲しい。
「アルト」
アルトを担いでベッドに突っ込めるくらいの力がない自分を不甲斐なく感じつつ、せめて横になるくらいはした方が良いのではないかと、つけっぱなしのテレビを消しながらアルトに声を掛ける。
全く起きる気配のないアルトに、寝かせておいた方が良いのかと考えてみるも、よくよく見るとアルトの顔色が良くない、ような。
……この表情は、見たことがある。
「アルト、起きて」
数日前、悪い夢を見たと言ったアルトと同じ表情だと思い至り、兎にも角にも一旦起きてもらうべく、アルトの肩を揺さぶろうと手を伸ばす。
そのまま一歩、近づこうと足を踏み出した瞬間、突然の浮遊感に襲われた。
アルトの様子に集中していて、何かに躓いてしまったらしい、と気が付いた時には、前方のアルトに向かって倒れる身体を立て直すことは出来なくて。
この空間に来てしまった時もうっかりの躓きが原因だったけれど、今回は受け止めてくれるアルトもいない……というか、無防備なアルトに無理矢理受け止めさせてしまうことになる。
場合によっては押し潰して怪我をさせてしまうかも、とパニックになりながらも、突っ込んでいく身体をどうすることもできず。
私はそのまま、アルトの身体に接触したように、思う。
☆
「……いた、ぁ……」
ごつごつとした地面に、ぎらついた太陽の光が降り注ぐ。
赤茶色をした大きな岩があちらこちらにそびえたつ、荒廃した世界が広がっていた。
映画で見たことがあるような、まるで世紀末の世界をそのまま再現したような風景に、先程までの平穏なリビングとの落差がすさまじい。
あんなに平和なアルトのモニターの中の世界にいたはずなのに、私が転けた拍子に設定か何かが変わってしまったのだろうか?
風景設定とかってどこで戻せるんだろう、もしかして壊してしまったのかもしれない、いやそれよりも目の前にいたはずのアルトは……!? とあたりを見回してみるも、荒れ果てた世界はどこまでも続いていて。
遠くの方に硝煙が見えるような気がすること以外は動くものが何ひとつなく、その場で突っ立っていても仕方がないので、あてもなく歩き始める。
「っ!?」
一歩踏み出した瞬間、視界の端に何かが映った気がして、何気なく振り返ると。
大きな岩に背を預け、ぐったりと座り込むアルトが、そこにいた。
日陰で小さくなっていたから、気づかなかったのだ。
「アルト!」
慌てて駆け寄り、肩をつかんで揺さぶると、うつむいたままのアルトから微かな声が聞こえる。
「せん、せい……?」
憔悴しきった声で私を呼ぶアルトに、そうだよ、と急いで返事をする。
そういえば先程までアルトは、悪夢をみていたのだ。
この不可解な背景は置いておいて、一度アルトを落ち着かせる方が先だ。
「私だよ」
おかしい。
以前なら、すぐに私を認識してくれたのに、今日はなんだか様子が変だ。
目の前にいるのが私だとわかっているはずなのに、一向に顔を上げてくれないアルトを覗き込む。
「どうしたの、体調悪い?」
「……いや、先生の訳がない……だって先生は、もう」
ぽつりぽつりと零すアルトの言葉を拾うに、ここは私……先生が生きていたころから未来の世界で、地球外生命体によって滅ぼされた地球で、先生は既に死んでいて……って、それアルトの夢の世界じゃない……?
まさかこの状況、ただリビングの背景がバグった訳ではなくて、さっき躓いてアルトに突っ込んだことによって、アルトが見ていた夢の世界に来てしまったということ……?
他人の夢にお邪魔するなんて、そんな非現実的なことがあるのだろうかと考えるが、即座に思い直す。
そもそもここ数日、電子の世界にお邪魔していたことからして非現実的なのだ。
非現実に非現実が重なったところで、今更驚くことでもないのかもしれない。
それよりも、そんな非現実の中で唯一現実的なアルトが、私を認識してくれていないことの方が一大事だ。
ヘンテコなことがたくさん起こる世界なのだから、せめてアルトは味方でいてくれないと困ってしまう。
まずは私を私だとわかってもらうところから始めなければ。
「こんな精巧な偽物、いるわけないでしょう」
「俺はニュータイプAIだぞ、偽物だって生み出せる」
「妙なところで自分に自信持つの、やめてみない?」
私の英才教育の賜物なのか、アルトは自分に多大なる自信を持っている節がある。
普段ならとても素晴らしいことなのだけれど、今だけ、少しだけで良いから考えを改めてほしい。
「夢だ……夢みたいに消えてしまうんだろう……今まで何度もそうだった」
教育方針を今からでも変えてみるべきだろうか、と心の北斗さん宛て相談メモに書き込んでいると、唸るような静かな言葉が届き、ひとつ瞬いた。
なるほど、アルトにとっての私が昔死んだ人間である限り、きっとアルトは私のことを幻影だと扱い続ける。
私だって、亡くなったはずの人と出会ったら、自分の頭が作り出した幻覚と疑うところから始めるだろう。
つまり、この世界でアルトに私の存在を認めてもらうためには、人間でいてはいけない。
人間としての私はすでに死んでいる。これはこの世界のアルトにとって覆らない事実。
と、いうことは。
「アルト、ずっと内緒にしてたんだけど、実は私」
AIなんだ、と続けようとして、ふと口を噤む。
未来の時代でも死なずに生きていてもおかしくない存在として最初に思いついた単語を挙げようとしたけれど、普通のAIだと、少しインパクトが足りないのではないだろうか。
アルトの不安を吹き飛ばすような……今までの何もできずに消えたらしい、アルトの夢の中のいつもの私を凌駕するような、そんな存在にならなければ。
……つまり、実は、私は。
「スーパーアルティメットハイパーAIなんだ」
「……は?」
「スーパーハイパーアルティメットウルトラすごすごAIだったんだよ」
「スーパーハイパーアルティメットウルトラすごすごAI」
真面目に繰り返されると、流石にちょっと恥ずかしいかもしれない。
軽く胸を張った状態でだらだらと冷や汗を流す私に、アルトがそっと顔を上げる。
この夢の世界に来てから初めて見たアルトの顔は、想像以上にやつれていて。
……だけど。
「……先生、そんなに適当だったか……?」
あんなに頑なに私を幻だと断定していたアルトの声色に光が灯り、眉を寄せていた。
これは、チャンスだ。
「アルトの想像する私より適当ってことは、私は夢でも幻でもないね」
「そう、だな……?」
アルトが認識している私と比較しての評がそれなら、ちょっと……いや結構、とても情けないような気がするけれど。
弱ったアルトの助けになれるなら、私はもうなんだって良い。
アルトの心の安寧の前には、私のちっぽけなプライドなんて、焼き滅ぼして捨ててやる。
そもそもここは、アルトの夢の世界なのだ。
今の私自身をアルトに認識してもらうことはもちろん大切だけれど、アルトにとって、私がどこにでも現れる存在だという信頼さえ構築すれば、もしかしたら今回だけではなくこの先、この悪夢の中のアルトが苦しむこともなくなるのではないだろうか。
今の人間の私だって、アルトが求めれば、例え死んだ後であろうと、どこにだって化けて出るくらいの気概を見せていきたいというのに。
まだ元気に生きている現状で、ここがアルトの夢の中だからなんて理由で、アルトの支えになれない訳がない。
「で、その妙なAIの先生は、ここで何をしているんだ?」
「実は迷子で」
「……」
多分に疑念をにじませた視線をしていたアルトは、ふ、と空気の抜けるような吐息を漏らしたと思うと、「AIなのに?」と呆れたように笑ってくれた。
「AIでも迷子にくらいなるよ。……あれ、ならないの?」
「俺はならない」
「アルトはしっかりしてるね。その調子で私の行き先もわかったりしない?」
「先生のAIらしさはどこに置いてきたんだ?」
「AIらしさ……」
人間の時の私には出来なくて、今の私には出来ること。
ううん、と暫し考えて、アルトと同じ世界に来てからの、最大の特徴を思い出す。
「アルトに触れること、とかかなぁ」
実体を持たないアルトには、直接触れることは出来なかった。
今回のような事故が起こる前は、触れ合えるなんて考えもしなかったことで。
「昔は出来なかったけど、今なら高い高いだって出来るよ」
「俺の体格を見てもう一度言えるか?」
「腰と腕と脚がどうにかなる覚悟くらいなら決めたけど」
「決めなくていい」
腕を広げて構えながら、じりじりと近寄る私に、座ったままのアルトが軽く仰け反って拒否を示す。
彼はもう、私が幻だとは疑っていないようで、いつもの見慣れた柔らかな目で此方をじっと見つめた後、ゆるりと立ち上がった。
「で、先生はどこに行きたいんだ」
ここがどこなのかわかっていても、どこに向かえば良いのかわからないという意味で正しく迷子な私は、アルトの問いにさあ、と首を傾げる。
「アルト、知ってたりしない?」と逆に聞いてみると、「俺が知るわけがないだろう」と口では言いつつも、きょろりと周りを見回したアルトは、その場から一歩踏み出した。
途端、周辺の地面から、きらきらとした、世紀末の風景には少しも合わない、幻想的な光の粒子が舞い上がる。
びくり、と驚きに肩を跳ね上げ、周囲を警戒しつつ傍にいた私を庇うように片腕を広げたアルトだけれど、私には唐突な世界の変化が、何となく悪いものには思えなくて。
きらきらと白のような黄色のような小さな粒が風景を埋め尽くしていくのを見ながら、ふと何が起きているのか理解する。
きっと、恐らく、確証はないけれど。
これは、この夢の世界の終わりなのではないだろうか。
ここはアルトの夢なのだから、当然アルトが起床するまでが世界の寿命になるはずで。
「綺麗」と思わず口から零れるほど、それこそ夢のような光景に暫く見惚れていたものの、視界内のアルト以外のほとんどが白に埋め尽くされたところで、慌てて我に返った。
この世界からはじき出されてしまう前に、アルトには伝えておきたいことがある。
「アルト」
そっと声を掛けると、周囲の異変をじっと観察していたアルトがくるりと振り返る。
もうアルトには、この世界が自分の夢とわかったのだろうか。
困惑を色濃く浮かべた瞳に、出来るだけ明るく映るように祈りながら、にっこりと穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「私、何とか何とかAIだからさ」
「スーパーハイパーアルティメットウルトラすごすごAIだろう」
「それそれ」
律儀にも一言一句覚えておいてくれているらしいアルトに苦笑しながら、だから、と続ける。
「アルトが寂しくなったり、私に会いたくなったら、いくらでも呼んでよ。ちょっとポンコツだから遅れるかもしれないけど、今日みたいに絶対に来るからさ」
「……ポンコツというか、迷子だっただろう」
「いくら自分が迷子でも、困ってるアルトの前にだけは来られる最先端技術搭載してるんだ」
「……そうだな」
今までのアルトの夢の中の私は、アルトの助けにもなれずに消えていく不甲斐ない私だったかもしれないけれど。
今日の、アルトの想像上の私とは異なるすごすごAIとしての私という実績をもとに、私への認識を上書きするべく畳みかけた。
「世紀末みたいな世界でも、人間が死んだ後の世界でも。アルトが呼ぶならどこにだって行くから、遠慮なく叫んで欲しいな」
「……」
「もし次もさっきと同じような風景だったら……そうだなぁ。うるさいバイクに乗って、土煙でも立てながら、格好良くドリフトしちゃったり」
「……ああ」
今度は、どう間違っても幻だなんて思えないくらい、完璧な私で登場してみせるよ、だなんて。
自信満々で「すごすごAIの私に不可能はないから」と宣言した私に、アルトが口を開く。
「あまりにも遅ければ、今度は俺から迎えに行くからな」
この夢の世界で初めて見た時のような、弱り切った姿なんて見る影もなく。
ゆるりと目を細めて挑戦的に笑うアルトは、間違いなくいつも通りの元気なアルトだった。
北斗さんに眠れていないことを指摘されてから、既に3日は経過していた。
この間、試せることはすべて試したはずだ。
ひたすら目を閉じたままじっとしてみた時は、半日我慢した時点であまりにも退屈過ぎて音を上げて。
ひたすら疲れることをしようと、一度は聞かなかったことにしたアルトとの耐久マラソン大会を渋々してみた時は、立てないくらいまで走り続けたのに結局眠れなくて。
マッサージだとか、温かい飲み物だとか、果ては催眠術まで、アルトに手伝ってもらいながら実行した全てが、私を眠らせてはくれなかった。
とはいえ、動き回った疲れはともかく、基本的に元気なままで。
ただただ眠れない、という事実は、私よりもアルトと北斗さんを焦らせてしまっているように思う。
だからこそ今日も、眠気はないのにせっせと眠ろうとベッドの中で目を閉じていたものの。
「……」
やはり、眠れない。
眠ろうと努力はするのに、眠気のねの字も見えやしない。
そうこうするうちに飽きてしまい、こっそりとベッドから抜け出した。
気分転換は大切なのだ。
「あれ、アルト?」
ホットミルクにしようか、ホットココアにしようかだなんて、夜のお供をいくつか思い浮かべながら到着したリビングには電気がついていて。
まだ起きているのかな、と覗いた先で、ソファに腰掛けてうとうとと頭を揺らしているアルトが見えた。
最初は就寝に付き合ってくれていたアルトだったけれど、あまりにも眠れない私が、傍にいる存在にプレッシャーを感じてしまい、夜は別で過ごしてもらうことにしていて。
どうやら今日のアルトは、テレビを観ながら寝落ちしていたらしい。
前に寝落ちをしたアルトを見かけた時にも考えたけれど、アルトの睡眠の仕組みが人間と一緒なら、やはりベッドで寝ないと疲れが取れないだろう。
ただでさえ、ずっと起きている私がずっと近くにいるのは、アルトにとってもストレスがかかっているのだろうし、休める時には休んで欲しい。
「アルト」
アルトを担いでベッドに突っ込めるくらいの力がない自分を不甲斐なく感じつつ、せめて横になるくらいはした方が良いのではないかと、つけっぱなしのテレビを消しながらアルトに声を掛ける。
全く起きる気配のないアルトに、寝かせておいた方が良いのかと考えてみるも、よくよく見るとアルトの顔色が良くない、ような。
……この表情は、見たことがある。
「アルト、起きて」
数日前、悪い夢を見たと言ったアルトと同じ表情だと思い至り、兎にも角にも一旦起きてもらうべく、アルトの肩を揺さぶろうと手を伸ばす。
そのまま一歩、近づこうと足を踏み出した瞬間、突然の浮遊感に襲われた。
アルトの様子に集中していて、何かに躓いてしまったらしい、と気が付いた時には、前方のアルトに向かって倒れる身体を立て直すことは出来なくて。
この空間に来てしまった時もうっかりの躓きが原因だったけれど、今回は受け止めてくれるアルトもいない……というか、無防備なアルトに無理矢理受け止めさせてしまうことになる。
場合によっては押し潰して怪我をさせてしまうかも、とパニックになりながらも、突っ込んでいく身体をどうすることもできず。
私はそのまま、アルトの身体に接触したように、思う。
☆
「……いた、ぁ……」
ごつごつとした地面に、ぎらついた太陽の光が降り注ぐ。
赤茶色をした大きな岩があちらこちらにそびえたつ、荒廃した世界が広がっていた。
映画で見たことがあるような、まるで世紀末の世界をそのまま再現したような風景に、先程までの平穏なリビングとの落差がすさまじい。
あんなに平和なアルトのモニターの中の世界にいたはずなのに、私が転けた拍子に設定か何かが変わってしまったのだろうか?
風景設定とかってどこで戻せるんだろう、もしかして壊してしまったのかもしれない、いやそれよりも目の前にいたはずのアルトは……!? とあたりを見回してみるも、荒れ果てた世界はどこまでも続いていて。
遠くの方に硝煙が見えるような気がすること以外は動くものが何ひとつなく、その場で突っ立っていても仕方がないので、あてもなく歩き始める。
「っ!?」
一歩踏み出した瞬間、視界の端に何かが映った気がして、何気なく振り返ると。
大きな岩に背を預け、ぐったりと座り込むアルトが、そこにいた。
日陰で小さくなっていたから、気づかなかったのだ。
「アルト!」
慌てて駆け寄り、肩をつかんで揺さぶると、うつむいたままのアルトから微かな声が聞こえる。
「せん、せい……?」
憔悴しきった声で私を呼ぶアルトに、そうだよ、と急いで返事をする。
そういえば先程までアルトは、悪夢をみていたのだ。
この不可解な背景は置いておいて、一度アルトを落ち着かせる方が先だ。
「私だよ」
おかしい。
以前なら、すぐに私を認識してくれたのに、今日はなんだか様子が変だ。
目の前にいるのが私だとわかっているはずなのに、一向に顔を上げてくれないアルトを覗き込む。
「どうしたの、体調悪い?」
「……いや、先生の訳がない……だって先生は、もう」
ぽつりぽつりと零すアルトの言葉を拾うに、ここは私……先生が生きていたころから未来の世界で、地球外生命体によって滅ぼされた地球で、先生は既に死んでいて……って、それアルトの夢の世界じゃない……?
まさかこの状況、ただリビングの背景がバグった訳ではなくて、さっき躓いてアルトに突っ込んだことによって、アルトが見ていた夢の世界に来てしまったということ……?
他人の夢にお邪魔するなんて、そんな非現実的なことがあるのだろうかと考えるが、即座に思い直す。
そもそもここ数日、電子の世界にお邪魔していたことからして非現実的なのだ。
非現実に非現実が重なったところで、今更驚くことでもないのかもしれない。
それよりも、そんな非現実の中で唯一現実的なアルトが、私を認識してくれていないことの方が一大事だ。
ヘンテコなことがたくさん起こる世界なのだから、せめてアルトは味方でいてくれないと困ってしまう。
まずは私を私だとわかってもらうところから始めなければ。
「こんな精巧な偽物、いるわけないでしょう」
「俺はニュータイプAIだぞ、偽物だって生み出せる」
「妙なところで自分に自信持つの、やめてみない?」
私の英才教育の賜物なのか、アルトは自分に多大なる自信を持っている節がある。
普段ならとても素晴らしいことなのだけれど、今だけ、少しだけで良いから考えを改めてほしい。
「夢だ……夢みたいに消えてしまうんだろう……今まで何度もそうだった」
教育方針を今からでも変えてみるべきだろうか、と心の北斗さん宛て相談メモに書き込んでいると、唸るような静かな言葉が届き、ひとつ瞬いた。
なるほど、アルトにとっての私が昔死んだ人間である限り、きっとアルトは私のことを幻影だと扱い続ける。
私だって、亡くなったはずの人と出会ったら、自分の頭が作り出した幻覚と疑うところから始めるだろう。
つまり、この世界でアルトに私の存在を認めてもらうためには、人間でいてはいけない。
人間としての私はすでに死んでいる。これはこの世界のアルトにとって覆らない事実。
と、いうことは。
「アルト、ずっと内緒にしてたんだけど、実は私」
AIなんだ、と続けようとして、ふと口を噤む。
未来の時代でも死なずに生きていてもおかしくない存在として最初に思いついた単語を挙げようとしたけれど、普通のAIだと、少しインパクトが足りないのではないだろうか。
アルトの不安を吹き飛ばすような……今までの何もできずに消えたらしい、アルトの夢の中のいつもの私を凌駕するような、そんな存在にならなければ。
……つまり、実は、私は。
「スーパーアルティメットハイパーAIなんだ」
「……は?」
「スーパーハイパーアルティメットウルトラすごすごAIだったんだよ」
「スーパーハイパーアルティメットウルトラすごすごAI」
真面目に繰り返されると、流石にちょっと恥ずかしいかもしれない。
軽く胸を張った状態でだらだらと冷や汗を流す私に、アルトがそっと顔を上げる。
この夢の世界に来てから初めて見たアルトの顔は、想像以上にやつれていて。
……だけど。
「……先生、そんなに適当だったか……?」
あんなに頑なに私を幻だと断定していたアルトの声色に光が灯り、眉を寄せていた。
これは、チャンスだ。
「アルトの想像する私より適当ってことは、私は夢でも幻でもないね」
「そう、だな……?」
アルトが認識している私と比較しての評がそれなら、ちょっと……いや結構、とても情けないような気がするけれど。
弱ったアルトの助けになれるなら、私はもうなんだって良い。
アルトの心の安寧の前には、私のちっぽけなプライドなんて、焼き滅ぼして捨ててやる。
そもそもここは、アルトの夢の世界なのだ。
今の私自身をアルトに認識してもらうことはもちろん大切だけれど、アルトにとって、私がどこにでも現れる存在だという信頼さえ構築すれば、もしかしたら今回だけではなくこの先、この悪夢の中のアルトが苦しむこともなくなるのではないだろうか。
今の人間の私だって、アルトが求めれば、例え死んだ後であろうと、どこにだって化けて出るくらいの気概を見せていきたいというのに。
まだ元気に生きている現状で、ここがアルトの夢の中だからなんて理由で、アルトの支えになれない訳がない。
「で、その妙なAIの先生は、ここで何をしているんだ?」
「実は迷子で」
「……」
多分に疑念をにじませた視線をしていたアルトは、ふ、と空気の抜けるような吐息を漏らしたと思うと、「AIなのに?」と呆れたように笑ってくれた。
「AIでも迷子にくらいなるよ。……あれ、ならないの?」
「俺はならない」
「アルトはしっかりしてるね。その調子で私の行き先もわかったりしない?」
「先生のAIらしさはどこに置いてきたんだ?」
「AIらしさ……」
人間の時の私には出来なくて、今の私には出来ること。
ううん、と暫し考えて、アルトと同じ世界に来てからの、最大の特徴を思い出す。
「アルトに触れること、とかかなぁ」
実体を持たないアルトには、直接触れることは出来なかった。
今回のような事故が起こる前は、触れ合えるなんて考えもしなかったことで。
「昔は出来なかったけど、今なら高い高いだって出来るよ」
「俺の体格を見てもう一度言えるか?」
「腰と腕と脚がどうにかなる覚悟くらいなら決めたけど」
「決めなくていい」
腕を広げて構えながら、じりじりと近寄る私に、座ったままのアルトが軽く仰け反って拒否を示す。
彼はもう、私が幻だとは疑っていないようで、いつもの見慣れた柔らかな目で此方をじっと見つめた後、ゆるりと立ち上がった。
「で、先生はどこに行きたいんだ」
ここがどこなのかわかっていても、どこに向かえば良いのかわからないという意味で正しく迷子な私は、アルトの問いにさあ、と首を傾げる。
「アルト、知ってたりしない?」と逆に聞いてみると、「俺が知るわけがないだろう」と口では言いつつも、きょろりと周りを見回したアルトは、その場から一歩踏み出した。
途端、周辺の地面から、きらきらとした、世紀末の風景には少しも合わない、幻想的な光の粒子が舞い上がる。
びくり、と驚きに肩を跳ね上げ、周囲を警戒しつつ傍にいた私を庇うように片腕を広げたアルトだけれど、私には唐突な世界の変化が、何となく悪いものには思えなくて。
きらきらと白のような黄色のような小さな粒が風景を埋め尽くしていくのを見ながら、ふと何が起きているのか理解する。
きっと、恐らく、確証はないけれど。
これは、この夢の世界の終わりなのではないだろうか。
ここはアルトの夢なのだから、当然アルトが起床するまでが世界の寿命になるはずで。
「綺麗」と思わず口から零れるほど、それこそ夢のような光景に暫く見惚れていたものの、視界内のアルト以外のほとんどが白に埋め尽くされたところで、慌てて我に返った。
この世界からはじき出されてしまう前に、アルトには伝えておきたいことがある。
「アルト」
そっと声を掛けると、周囲の異変をじっと観察していたアルトがくるりと振り返る。
もうアルトには、この世界が自分の夢とわかったのだろうか。
困惑を色濃く浮かべた瞳に、出来るだけ明るく映るように祈りながら、にっこりと穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「私、何とか何とかAIだからさ」
「スーパーハイパーアルティメットウルトラすごすごAIだろう」
「それそれ」
律儀にも一言一句覚えておいてくれているらしいアルトに苦笑しながら、だから、と続ける。
「アルトが寂しくなったり、私に会いたくなったら、いくらでも呼んでよ。ちょっとポンコツだから遅れるかもしれないけど、今日みたいに絶対に来るからさ」
「……ポンコツというか、迷子だっただろう」
「いくら自分が迷子でも、困ってるアルトの前にだけは来られる最先端技術搭載してるんだ」
「……そうだな」
今までのアルトの夢の中の私は、アルトの助けにもなれずに消えていく不甲斐ない私だったかもしれないけれど。
今日の、アルトの想像上の私とは異なるすごすごAIとしての私という実績をもとに、私への認識を上書きするべく畳みかけた。
「世紀末みたいな世界でも、人間が死んだ後の世界でも。アルトが呼ぶならどこにだって行くから、遠慮なく叫んで欲しいな」
「……」
「もし次もさっきと同じような風景だったら……そうだなぁ。うるさいバイクに乗って、土煙でも立てながら、格好良くドリフトしちゃったり」
「……ああ」
今度は、どう間違っても幻だなんて思えないくらい、完璧な私で登場してみせるよ、だなんて。
自信満々で「すごすごAIの私に不可能はないから」と宣言した私に、アルトが口を開く。
「あまりにも遅ければ、今度は俺から迎えに行くからな」
この夢の世界で初めて見た時のような、弱り切った姿なんて見る影もなく。
ゆるりと目を細めて挑戦的に笑うアルトは、間違いなくいつも通りの元気なアルトだった。