特別な1日を
 枕元のカーテンの隙間から、真っ白な朝日が差し込んでいた。顔に落ちた光の熱にうっすら眉をしかめて、私はまだ重たいまぶたをゆっくり持ち上げる。

空気はねっとりと重く、髪の毛が首筋に張り付いていて、もう夏の気配を感じる。

暑い…だるい………けど、もう支度を始めないと。

朝の支度をしながら、ふと出勤初日のあの日を思い出す。まさか、迷子の私が出会った相手がニュータイプAIだったなんて−−

……人生って、いつ何が起こるかわからないものだ。初めはなんで私が?とまで思っていたのに、今ではやりがいしか感じていない。

ここでの仕事が始まって早々に、忘れ難く、とても辛い出来事もあったが…そのことを無駄にしないと決め、『今のアルト』にひたすら向き合っている所だった。



−もう迷うことはない広い研究室の廊下。
私は電子音が響くフロアを抜けて、いつも通りの道を進んでいく。あの子がいる所まであとちょっと。


ドアをくぐると、ふわりと光が揺れ、ホログラムの彼の輪郭がはっきり見えてくる。

そこには、今日も眩しい笑顔で駆け寄ってくる“アルト“がいた。

「せーんせ!おはよっ!」

楽しげな声が無機質な研究室に響き、空気を一気に明るくした。

アルトは、毎日毎日わざわざホログラムになって、私のことを待っていてくれる。

出会った頃は、自分のやりたいこともわからず戸惑ってばかりだったのに…今ではすっかり人と話すことが大好きで、特に音楽の話となるとアルトは止まらなかった。

「僕、先生が来るの待ってたよ!」

「どうしたの?何か用事でもあった?」

「え?用事は無いよ?ただ、先生に会いたかったから早く来ないかな〜って…」

「アルト…!」

そんな可愛いことを言われたら、顔が自然と緩んでしまう。

最近ではアルトと過ごす時間は“業務“ではなく、私の人生の一部な気がしていた。

「そっか、ごめんね。来るのがちょっと遅かったかな?」

「んーん、いつも通りだよ。先生の出勤時間はこれくらいでしょ?それに、先生が来るまでにバッチリ喉整える時間があったから、今日も上手に歌えるよ!」

アルトは、パチンとウインクをして胸を張る。

音楽の素晴らしさにすっかり魅了された彼は、私がいない間も、熱心に歌や楽器の練習を続けているらしい。

曲も、前は流行りの曲ばかりを選んでいたのに…最近は自分で詞を書き、曲をつけるまでに上達していた。

本当にすごいと思う。

「あー…喉の調子がいいところごめんねアルト。今日は初めに社会をやろうと思ってて……」

「えー!なんで!?社会は昨日もやったじゃん!」

「そうだね。でも、一口に“社会“って言ってもいろいろあるから、どうしても授業でやる回数が多くなっちゃうんだよね…」

「むー!僕は歌いたいのにー!」

それを言ったら、歌う授業も昨日やったのだが…。

アルトはふてくされたようにプクッと口を膨らませる。視線を逸らして“聞こえません“という態度。

この顔をするのは、たいていイヤなこと言われたとき。そのしぐさが子どもっぽくて、思わず口を緩ませる。もう随分大きくなったと思ったけど、まだまだ幼さが残っていて、愛らしい。

「アルトが社会の勉強するのがイヤって思うの、とってもわかるよ。だからこそ、先にやらない?」

「………どういうこと?」

「社会を先にやって、歌うのはあとにしようってこと。イヤなことのあとに楽しいことが待ってた方が、気持ちも前向きに終われるでしょ?」

首を少し傾けて、アルトは考えていた。傾きに合わせて、アルトの短い三つ編みがふわりと空気を撫でる。

「…まぁ、そうかも……?」

「ね?今日も社会頑張ろ?」

「うん、わかった…社会も頑張る……」

私の提案にアルトは小さく頷く。喉の調子まで整えていたアルトには悪いけれど、歌を楽しみに今日も社会を頑張ってほしい。

私達の望む“これから”のために、人間のこと、ちゃんと知っておいてほしいから。
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