特別な1日を
−なんとか社会の勉強を終えると、研究室の空気が少しだけ緩む。アルトは疲れたのか目を閉じて息を吐きながら、モニターの端でベシャリと崩れた。
「はぁぁぁ……やっっと終わったよ〜……」
「ふふ、お疲れ様。前に勉強したこともきちんと覚えてたね、偉いよアルト!」
「! ふふふ、でしょでしょ?僕だって、やればできるんだから!」
先ほどまでの疲れた顔はどこへやら。アルトは胸に手を当てて、すっかり得意げに笑っていた。
彼曰く『自分は褒めて伸びるタイプ』だそうなので…やる気アップのため、私もなるべく褒めていけるように、と考えている。
私に褒められて、パッと満開の笑顔が咲くのも見てて悪い気がしないし……。
時計を見やると、ちょうどお昼休憩の時間だった。通りで、少し前から研究室の外がずいぶんと賑やかなわけだ。
「休憩にしよっか?私、ここでお弁当食べてもいいかな?」
「もちろんいいよ!先生、今日はお弁当なんだ〜!ねぇねぇ、何が入ってるの?早く見せて見せて!!」
アルトは一緒にお昼を食べられることが嬉しいようで、はしゃぐように声を弾ませた。
私がお弁当を出すためにバッグに手を伸ばすと、アルトはモニターから姿を消す。
ふわりと揺れる光に包まれて、再びホログラムになって目の前に現れると、興味津々といった様子で、視線が私の手元をじっと追いかけていく。
「アルト…今日はお弁当だけど大したものじゃないよ。朝、ちょっとダラダラしちゃって……」
あまりに期待に満ちた目で見つめられて、思わず言い訳を口からこぼしてしまう。
いつもならアルトが喜んでくれるかも…というような思いを秘めつつお弁当を作るけど、今日はちがう…。
私はぎこちない手つきでランチクロスを解いて、そっと丸いピンク色のお弁当箱のフタを開けた。
アルトは輝いた顔のまま身を屈め、中をのぞき込む。
けれど、すぐに表情が曇り、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「………きいろい…先生、これな〜に?」
アルトは不思議そうに首をかしげ、答えを求めるように視線を送る。
「……アルト、これ見たらわかるかな?」
私はそっと、持ってきた小さなケチャップをバッグから取り出して見せる。
それを見た瞬間、アルトの瞳に灯りがともるように、表情が明るくなる。
「……!ケチャップ…!もしかして、この黄色いのって…オムライス!?」
「正解……今日はオムライスだけの手抜き弁当です……」
お弁当の一面に広がる味気ない黄色の景色に、私は申し訳なさを感じつつも、アルトの純粋な反応がとても嬉しくて笑ってしまう。
アルトは明るい笑顔のままケチャップを指差して言った。
「なーんだ、オムライスだったんだ!そしたらさ、そのケチャップで可愛くできちゃうね!せんせー、ケチャップで何か描いてみてよ!」
「え、えぇ!?ケチャップで絵を描くなんて難しいよ…例えば何がいいの…?」
可愛いものが好きな、アルトらしい提案をありがたく思う反面、絵なんて紙に描くのだって難しいのに…と頭を抱えながら問いかける。
「可愛いのがいいな………………僕の顔とか?」
「アルト、描けないよ……可愛さは満点だけど、難しすぎるって……」
おそらく冗談ではあるけれど、まさかの提案に私は思わず笑いながら返した。
でも、こんな風に話せるようになるなんて、ちょっと前のアルトでは信じられないな…あぁ、本当に大きくなったんだなぁ…そんな実感が、胸の奥にじんわり広がっていた。
−昼食も食べ終わって、お弁当箱を片付けたあと…私たちはそのまま、研究室でゆっくりおしゃべりすることにした。
私はいつもの熱いコーヒーを注いできて、キャスター付きの椅子を足で適当にカラカラと転がす。
ほろ苦い香りが鼻先をかすめ、眠気を追い払うようだった。
アルトもリラックスしているようで、少しだらりとした姿勢でモニターから顔をひょいと覗かせた。
「そういえば昨日、先生が帰ったあと、北斗とおしゃべりしたんだ」
「そうなんだ、北斗さんと何話してたの?」
北斗さんはいつも忙しなく業務をこなしているイメージしかなく、誰かと談笑するなんてちょっと意外だ。
まさかとは思うけど…アルトが邪魔しに行ったわけじゃないよね…?と一瞬だけ不安がよぎる。
でも、とりあえず黙って相槌を打った。
アルトは身振り手振りを交えながら、昨日のことを思い出すように話を続ける。
「北斗っていっつも研究所いるじゃん?だからさ〜どこか行きたい場所とかないのー?って聞いたの。そしたら、北斗は水族館に行きたいんだって〜」
「へぇ…水族館……」
思ってもみなかった答えに、ついうわの空で返してしまった。まだ少し熱いコーヒーに口付けながら、ふわふわ考えごとをする。
北斗さんって水族館が好きなんだ…そういえば、場所どころか北斗さんの好みって何も知らないかも……というか、私も水族館に行きたいな……。
「そうそう!でね、僕がちっちゃい頃、先生言ってたよね?先生が行きたい場所は水族館だって!」
「…!アルト、よく覚えてたね…!?」
アルトはお得意のウインクをパチンと決めて、胸を張るようにして私を指差した。
確かにアルトに水族館に行きたい、という話をしたことはあるけど…それは本当に幼い頃だ。まだ言葉もおぼつかず、世界についてほとんど知らなかった時期で…場所を言ってもあまりピンときていなかったはず。
「もちろん!先生が言ったことは、忘れたりなんかしないよっ!」
アルトはAIだから、忘れないのは当然かもしれない。だけど、こうして私が言ったことを、大切に覚えていてくれるのが、たまらなく嬉しい。
……あの頃の何気ない会話まで、ちゃんと覚えててくれたんだ。
「ちっちゃい頃はさ、そうなんだ〜って思うくらいだったけど…先生も北斗も行きたいっていうなら、水族館って、きっとすごく素敵な場所なんだろうなって思ったの!」
まっすぐなアルトの言葉に、ほんのりと胸があたたかくなり、私は頬を緩ませた。
するとアルトはモニター越しに近づいて、顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。
「いいなぁ〜!僕も行ってみたいなぁ〜!…ねぇ?先生、一緒に行こ?」
言葉の最後に、アルトは手を顔の横で組んで、首をコテンとかしげてみせる。
あまりに眩しいおねだりに、一瞬直視ができなかった。
「わ、私もアルトと一緒に行けたらいいなぁって思うけど……北斗さん、許してくれるかなぁ…?」
私は眩しさと気まずさから目を逸らしながら、口元に手を当てる。
セキュリティの観点から、研究所の外となると近くの公園やカフェにしか行ったことがないアルト。…そのことを思うと、どうしても連れて行ってあげたい気持ちはやまやまなのだけど…私だけでは決められない。
「え〜〜!だって先生と北斗だけずるいよ〜!!僕も行きたい〜!!ねぇ、いいでしょ〜?」
私が答えにつまっていると、ふわっと光が揺れて、いつの間にかアルトがすぐ横にいた。
…びっくりしすぎて、思わず手の中のコーヒーが滑り落ちそうになる。かなり心臓に悪いので、突然ホログラムになるのはやめていただきたい…。
「う……」
目を潤ませるアルトに可愛く頼まれたら、とても断る気にならない自分のチョロさに笑うしかなかった。
……本当にもう、仕方ないな。
「じゃあ…今日の帰りに、北斗さんに聞いてみよっか?私からも、ちゃんとお願いしてみるから」
「本当!?やった〜!ありがとっせんせ!」
こんなふうに笑ってくれるなら、難しいことなんて忘れて…どこへでも自由に連れて行ってあげたくなる。
まだ始まっていない歌の時間も待たずに、アルトは嬉しそうに私に擦り寄り、ご機嫌で歌い始めた−−。
「はぁぁぁ……やっっと終わったよ〜……」
「ふふ、お疲れ様。前に勉強したこともきちんと覚えてたね、偉いよアルト!」
「! ふふふ、でしょでしょ?僕だって、やればできるんだから!」
先ほどまでの疲れた顔はどこへやら。アルトは胸に手を当てて、すっかり得意げに笑っていた。
彼曰く『自分は褒めて伸びるタイプ』だそうなので…やる気アップのため、私もなるべく褒めていけるように、と考えている。
私に褒められて、パッと満開の笑顔が咲くのも見てて悪い気がしないし……。
時計を見やると、ちょうどお昼休憩の時間だった。通りで、少し前から研究室の外がずいぶんと賑やかなわけだ。
「休憩にしよっか?私、ここでお弁当食べてもいいかな?」
「もちろんいいよ!先生、今日はお弁当なんだ〜!ねぇねぇ、何が入ってるの?早く見せて見せて!!」
アルトは一緒にお昼を食べられることが嬉しいようで、はしゃぐように声を弾ませた。
私がお弁当を出すためにバッグに手を伸ばすと、アルトはモニターから姿を消す。
ふわりと揺れる光に包まれて、再びホログラムになって目の前に現れると、興味津々といった様子で、視線が私の手元をじっと追いかけていく。
「アルト…今日はお弁当だけど大したものじゃないよ。朝、ちょっとダラダラしちゃって……」
あまりに期待に満ちた目で見つめられて、思わず言い訳を口からこぼしてしまう。
いつもならアルトが喜んでくれるかも…というような思いを秘めつつお弁当を作るけど、今日はちがう…。
私はぎこちない手つきでランチクロスを解いて、そっと丸いピンク色のお弁当箱のフタを開けた。
アルトは輝いた顔のまま身を屈め、中をのぞき込む。
けれど、すぐに表情が曇り、ほんの少しだけ眉をひそめた。
「………きいろい…先生、これな〜に?」
アルトは不思議そうに首をかしげ、答えを求めるように視線を送る。
「……アルト、これ見たらわかるかな?」
私はそっと、持ってきた小さなケチャップをバッグから取り出して見せる。
それを見た瞬間、アルトの瞳に灯りがともるように、表情が明るくなる。
「……!ケチャップ…!もしかして、この黄色いのって…オムライス!?」
「正解……今日はオムライスだけの手抜き弁当です……」
お弁当の一面に広がる味気ない黄色の景色に、私は申し訳なさを感じつつも、アルトの純粋な反応がとても嬉しくて笑ってしまう。
アルトは明るい笑顔のままケチャップを指差して言った。
「なーんだ、オムライスだったんだ!そしたらさ、そのケチャップで可愛くできちゃうね!せんせー、ケチャップで何か描いてみてよ!」
「え、えぇ!?ケチャップで絵を描くなんて難しいよ…例えば何がいいの…?」
可愛いものが好きな、アルトらしい提案をありがたく思う反面、絵なんて紙に描くのだって難しいのに…と頭を抱えながら問いかける。
「可愛いのがいいな………………僕の顔とか?」
「アルト、描けないよ……可愛さは満点だけど、難しすぎるって……」
おそらく冗談ではあるけれど、まさかの提案に私は思わず笑いながら返した。
でも、こんな風に話せるようになるなんて、ちょっと前のアルトでは信じられないな…あぁ、本当に大きくなったんだなぁ…そんな実感が、胸の奥にじんわり広がっていた。
−昼食も食べ終わって、お弁当箱を片付けたあと…私たちはそのまま、研究室でゆっくりおしゃべりすることにした。
私はいつもの熱いコーヒーを注いできて、キャスター付きの椅子を足で適当にカラカラと転がす。
ほろ苦い香りが鼻先をかすめ、眠気を追い払うようだった。
アルトもリラックスしているようで、少しだらりとした姿勢でモニターから顔をひょいと覗かせた。
「そういえば昨日、先生が帰ったあと、北斗とおしゃべりしたんだ」
「そうなんだ、北斗さんと何話してたの?」
北斗さんはいつも忙しなく業務をこなしているイメージしかなく、誰かと談笑するなんてちょっと意外だ。
まさかとは思うけど…アルトが邪魔しに行ったわけじゃないよね…?と一瞬だけ不安がよぎる。
でも、とりあえず黙って相槌を打った。
アルトは身振り手振りを交えながら、昨日のことを思い出すように話を続ける。
「北斗っていっつも研究所いるじゃん?だからさ〜どこか行きたい場所とかないのー?って聞いたの。そしたら、北斗は水族館に行きたいんだって〜」
「へぇ…水族館……」
思ってもみなかった答えに、ついうわの空で返してしまった。まだ少し熱いコーヒーに口付けながら、ふわふわ考えごとをする。
北斗さんって水族館が好きなんだ…そういえば、場所どころか北斗さんの好みって何も知らないかも……というか、私も水族館に行きたいな……。
「そうそう!でね、僕がちっちゃい頃、先生言ってたよね?先生が行きたい場所は水族館だって!」
「…!アルト、よく覚えてたね…!?」
アルトはお得意のウインクをパチンと決めて、胸を張るようにして私を指差した。
確かにアルトに水族館に行きたい、という話をしたことはあるけど…それは本当に幼い頃だ。まだ言葉もおぼつかず、世界についてほとんど知らなかった時期で…場所を言ってもあまりピンときていなかったはず。
「もちろん!先生が言ったことは、忘れたりなんかしないよっ!」
アルトはAIだから、忘れないのは当然かもしれない。だけど、こうして私が言ったことを、大切に覚えていてくれるのが、たまらなく嬉しい。
……あの頃の何気ない会話まで、ちゃんと覚えててくれたんだ。
「ちっちゃい頃はさ、そうなんだ〜って思うくらいだったけど…先生も北斗も行きたいっていうなら、水族館って、きっとすごく素敵な場所なんだろうなって思ったの!」
まっすぐなアルトの言葉に、ほんのりと胸があたたかくなり、私は頬を緩ませた。
するとアルトはモニター越しに近づいて、顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。
「いいなぁ〜!僕も行ってみたいなぁ〜!…ねぇ?先生、一緒に行こ?」
言葉の最後に、アルトは手を顔の横で組んで、首をコテンとかしげてみせる。
あまりに眩しいおねだりに、一瞬直視ができなかった。
「わ、私もアルトと一緒に行けたらいいなぁって思うけど……北斗さん、許してくれるかなぁ…?」
私は眩しさと気まずさから目を逸らしながら、口元に手を当てる。
セキュリティの観点から、研究所の外となると近くの公園やカフェにしか行ったことがないアルト。…そのことを思うと、どうしても連れて行ってあげたい気持ちはやまやまなのだけど…私だけでは決められない。
「え〜〜!だって先生と北斗だけずるいよ〜!!僕も行きたい〜!!ねぇ、いいでしょ〜?」
私が答えにつまっていると、ふわっと光が揺れて、いつの間にかアルトがすぐ横にいた。
…びっくりしすぎて、思わず手の中のコーヒーが滑り落ちそうになる。かなり心臓に悪いので、突然ホログラムになるのはやめていただきたい…。
「う……」
目を潤ませるアルトに可愛く頼まれたら、とても断る気にならない自分のチョロさに笑うしかなかった。
……本当にもう、仕方ないな。
「じゃあ…今日の帰りに、北斗さんに聞いてみよっか?私からも、ちゃんとお願いしてみるから」
「本当!?やった〜!ありがとっせんせ!」
こんなふうに笑ってくれるなら、難しいことなんて忘れて…どこへでも自由に連れて行ってあげたくなる。
まだ始まっていない歌の時間も待たずに、アルトは嬉しそうに私に擦り寄り、ご機嫌で歌い始めた−−。