薔薇の花言葉 [サファイア・ラグーン2作目]
【第九章】

[協力] -1-

「え……?」

 翌朝はティアも僕もそわそわして余り眠れず、気が付けば二人広場の椅子に腰掛けていた。すると昨夜の僕達がなかなか帰ってこなかったのを心配したのか、気配に気付いたモカが眠気眼(ねむけまなこ)で現れ、砂浜での出来事を話し終えた時点で、アーラ様も起き出してきたのだが……。

「銀髪の人魚は、人間になれない……?」

 僕達の決意表明を聞いて、ニヤッと笑ったアーラ様の白状した言葉に、ティアと僕は唖然とした。

「先に話していたなら、ティアラは人魚になったジョエルにずっと負い目を感じることになったじゃろ? 条件はともかくとして二人が二人で答えを導くことが大事だと思った故……選択した未来が全員の希望に叶ったのなら、文句はあるまい」
「それはそうですが……」

 いや、アーラ様は僕達の願いを問い(ただ)した時、既に答えを知っていたのだろう。僕は『時間』を与えてくれたアーラ様に感謝の気持ちを表した。が、隣で笑いを(こら)えるモカには、冷ややかな視線を送った。

「モカ……君も知ってたんだろ、ティアが人間になれないって」
「えっ!? 姉さん、どういう──」

 僕を挟んで姉の眼前に身を乗り出したティアを(なだ)め、再びモカへと問う。彼女は今までと同じ悪戯(イタズラ)っ子な表情を一瞬見せたが、すぐに神妙な顔つきをして、

「ごめんなさい……でもアーラばば様に口止めされていたのよ。それにあたしもばば様と同じ気持ちだっただけ……二人共同じスタートラインに立つべきだと思っていたし。まぁでも、二人を見ていれば、ジルが勝つのは目に見えていたけどね」
「勝つって……」

 モカの言い(よう)に苦笑いをしながら疑問を感じる。モカは此処へ来る前から知っていたに違いない。では何処でそれを知ったのか? いや、それより──

「あと一つ。カミルおばさんがティアを次期シレーネにするなんて、モカが吹き込んだことだろ? 単に口からでまかせだったのか、それとも──」
「あら、それはジルだって一緒に聞いたことでしょ? あの岩場でルーラおば様と母様が……」
「モ、モカ!!」

 僕は慌てて彼女の口を塞いだ。僕が二人の会話を盗み聞きしたあの時、まさかモカも隠れていたなんて!

「そんな内緒にしなくてもいいわよ。あの時ジルがいたことも、もうティアに話しちゃったし」
「まったく……でも母さんに訊かれて、カミルおばさんは『本人次第』だって言ったんだ。絶対じゃなかったじゃないか」

 溜息をつきながら呆れる僕に、モカは珍しく殊勝な態度を示して、困惑するティアを視界に入れた。

「ごめんね、ティア。そのことについては、あたしの希望も含んだの。あたし、母様(かあさま)をシレーネの任務から解き放して、ギリシャの父様(とうさま)の所へ行かせたかった……だから父様に会いに行ったのよ。『母様が人間になったら、一緒に暮らしたいと思っているか』を訊きに。答えはイエスだったわ。でも父様は二年程前に母様が──ほら、外界を見廻ると言って長期結界を離れた時があったでしょ?──あの時実は此処へ来て、アーラ様に『銀髪の人魚は人間に変えられない』と告げられたと聞いたのだそうよ。それでも父様は出来ることなら一緒にいたいと言ってくれた……人魚と人間のままでも──」
「姉さん……」

 やはりモカは此処へ来る前から『それ』を知っていた。そしてカミルおばさんも、もう一度此処へ──しかしまさかアネモス公の口から聞き出していたとは。

「でもあたし、てっきりジョエルも、ティアを人間に出来るのかを訊きに、此処へ来たのかと思っていたのよ。だからあの時本当に驚いたわ。まぁ……お陰であたしの希望通りになったけど」

 本当にやってくれるよ……それで話をまとめるために、ティアも来るように仕向けた訳だ。

「銀色の髪の人魚には、人間の血が入り込んでいない。人間と交わってもその遺伝子を子宮に取り込み、独自に子を産むために利用してきただけで、人間へと変わるほどの要素を持ち得ていないのじゃよ……残念ながら我が魔法の力でも、それは叶わなかった。が、カミルは自身のためにそれを尋ねに来たのではない。それは……ティアラ、そなたのためじゃった」
「え……?」

 これにはモカも驚いて、アーラ様へ振り返った。カミルおばさんはアネモス公に口止めしていたのだろうか。

「それって、二年も前に、ティアがジルを好きだと気付いていたということ……?」
「──やも知れぬな」

 モカとアーラ様のやり取りに、僕達は顔から火の出る勢いだった。当の二人のみが鈍感だったということか。

「カミルといいテラといい似た者親子よ。テラもルーラを身籠ってすぐ此処を訪れた。カミルは人の力を借りねばもう子を産めない状態じゃったからの。人と交わった時、自分と同じ想いをさせたくなかったのじゃろう」

 テラばば様も娘であるカミルおばさんのために、人間になれるかどうかを問いに来たというのか。するとアーラ様が此処で初めて会った生身の人魚はテラばば様ということになる。そして──。

「その時、テラばば様に『毒』を吸い取る法術を授けたのですね?」
「あっ……」

 モカとティアの驚きの声に、アーラ様も微少に表情を変えたことを、二人も気付いたに違いなかった。

「テラのカケラが白状したか。そうじゃ……あの娘、教えるまでは頑として帰らないと言い張りおった。ウイスタが死せば人魚は滅びると……計らずしてとは云え、そう仕向けてしまったのはウイスタ本人であるというのに──それまで魔法の力を持たずにいたテラの身体では、ウイスタの持つ毒を半分も吸い取れば、自身も危ういことは何度も言い聞かせた。が、ウイスタが生きた残りの時間を考えると、あれはおそらく八割方を吸い取ったのであろう……あの頑固者め。が、その頑固さは、どうやらカミルとルーラにも引き継がれたようじゃがな」

 そうしてアーラ様は哀しい笑いを見せた。とても悲しい微笑みだった。

「許せ、とは言えぬ。全ては我等姉妹が造り出してしまった(たが)じゃ。ウイスタのあの決断が、これほどまでにお主等を苦しめることになるとは……」
「でも。もし僕がアーラ様の立場であったとしても、テラばば様を止められたのか自信はありません」
「ジョエル……」

 俯いて苦悩を顕わにしたアーラ様に、柔らかな笑みを向ける。そうだ……あの砂浜で出逢えたテラばば様のカケラでさえ、誰にも止められないほどの強い意志を感じた。母さんにもカミルおばさんにも見られる強い瞳は、テラばば様から受け継いだんだ。

「そうよ、アーラばば様や大ばば様の所為なんかじゃないわ。大ばば様が結界へ皆を閉じ込めたことも……やっぱりあたしでも同じことをしたかもしれない。それでもばば様達のお陰で、あたし達こうして生きていられるのよ」

 そう言って笑顔を見せたモカも、隣で頷くティアも、全ての運命を受け入れたことで一段と輝いて見えた。ラグーンへの旅が二人を成長させたようだ。

「寛大じゃな……お陰でウイスタも救われた想いで天へ召されたのじゃろう。そして我も……。『時』は満ちたようじゃ。砂浜へ行こう。『数』も揃った故」

 ──数?

 以前アーラ様がなぞなぞのように語った『時』と『数』。それが揃ったとは?

 嬉しそうに黒々とした小さな目を潤ませたアーラ様は、後へ続けとばかりに背を向けて、砂浜へ続く小道を目指した。
 疑問と謎を抱えたままの僕達は、その小さな白いローブの影を無言で辿(たど)ることしか出来なかった──。


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