薔薇の花言葉 [サファイア・ラグーン2作目]

[将来] -2- (※)*

 この日の晩餐はトロールへのお祝いと歓迎会も兼ねて、とても楽しく豪勢な食事となった。
 けれど食後、僕は二つの疑問を胸に(いだ)いたまま、自分の部屋の扉を開いた。

 ──別れ際のティアと、母さんの表情。

 母さんは三日後にカミルおばさんと話をしたいみたいだった。それはモカが十六歳となる誕生日の五日前に当たる。──人魚の成人式。その前に何を話すというのだろう?

 僕は父さん手作りのベッドに大の字になり、今度はティアのことを想い浮かべた。
 ティアもモカの成人が原因の何かがあるのだろうか? モカが結界の外へ出る自由を得て何が変わる? 今まで人間界にちっとも興味を示さなかったティア。一方小さい頃から瞳をキラキラさせて話をせがんだモカ。そんな姉が自分を独りにして飛び回ってしまうのが淋しいのだろうか?

「うーん……ジョル(じい)に相談してみるか」

 ブランケットをくしゃくしゃっと抱き締めると、柔らかな感触が僕を眠りへと(いざな)った。明日にでも一山向こうのジョル爺に会いに行こう……そうだ、トロールも連れて──。







 ◇ ◇ ◇



 翌日は未だ涼やかな空気が心地良い、初夏らしい朝だった。早目に起きたつもりだったが、既にトロールは庭仕事をしている。ずっと水の中にいたのだ。土や草花に触れることが楽しくて仕方がないのだろう。

「おはよう、トロール。これから一緒にジョル爺の所へ行かない?」
「ジョル……ジョ様の所に? ああ、是非お願いしたいねぇ! あ……でも」

 喜び勇んだトロールだったが、隣で洗濯を始めた母さんの顔色を(うかが)い、

「あら、いいんじゃない? 人間の乗り物にも慣れておいた方がいいし。あちらでも家事の作法は習えるわよ」

 快く承知した母さんの笑顔を受けて、トロールは準備をしに慌てて家の中へ駆け込んでいった。

「あなた……一体何をたくらんでいるの?」

 横目で僕を視界に入れた母さんの表情は、いかにもお見通しよ、と言わんばかりのしたり顔だったが、

「たくらみ? 何を? 僕はトロールをジョル爺の家に連れていきたいだけだよっ」

 僕は平静を装って笑いかけ、出発の用意をすると告げて背を向けた。たくらみってほどじゃないが、秘め事があるのは確かだ。そんな心中を察した母さんの読みにいささか感心しながらも、内心ドキドキしたのは否めなかった。

 それからややあって支度が整い、よそ行きの豪華な衣装に身を包んだトロールを連れて、丘の谷間の駅へ向かった。

「トロール……ちょっと派手じゃない?」

 そうでなくてもがたいの良い彼女にこれだけヒラヒラの洋服は、列車の席に着いてみるときつくて(かな)わない。更に他の乗客の視線も気恥ずかしかったが、トロールは見る物・触る物全てが珍しく、そんなことはちっとも気にならない様子で、子供のようにはしゃいでいた。

 やがて定刻を十分程過ぎた頃に、列車はゆっくりと発車をしたが、と同時にトロールの興奮ぶりは抑えるのも難儀なほどになった。泳がずとも移りゆく景色。水がなくともそよぐ木々。でも僕は光溢れる陸の風景より、闇の中で僅かな光が紡ぎ出す海底の水の揺らめきが好きだった。まるでレースのカーテンのように向こう側のティアを幾通りもの絵に見せてくれる。僕を見つめる大きな瞳も、プラチナの糸のような銀色の髪も、蝋燭の光に煌めく鱗の一枚一枚も、一度たりとも同じ輝きを見せず、いつまでも見つめていたいと思わせてしまう。いや、そんな物なくても永遠に止まっていたい瞬間。

「ジョエル……あんた、今いやらしいこと考えてたろ?」

 横からの密やかな声にハッと我に返る。気付けば今まで窓の外ばかり眺めていたトロールがこちらを向いていた。ニヤニヤと(わら)って……いやらしいのはどちらなんだか。

「なっ……そんなこと考えてないよ」

 でも僕は図星だったに違いない。目の下に火照(ほて)りを感じる。首の後ろにじっとりと汗も(にじ)んだ気がしていた。

「別に隠すことはないさ。あんたももう十七なんだし。そういやアメルがルーラと出逢った歳だね。もうそんなになるんだねぇ」

 懐かしそうに再び窓の向こうの遠くへ目をやったトロールの横顔は、少し甘いお酒にでも酔ったような、とろけるような微笑みを(たた)えていた。

「父さんと……?」

 考えてみれば、僕は父さんと母さんの詳しい馴れ初めを聞いたことがない。

「そうさ。あたいも含めて、ルーラ以外の人魚がアメルを初めて見たのは、ルーラの成人式とシレーネ就任式の夜だった。アメルどころか人間を見るのも初めてだったからね、そりゃあ驚いたけれど、その時ウイスタ様がお亡くなりになられて……それどころではなくなってしまったがね。……次に会った時は、ルーラと共にサファイア・ラグーンへ旅立つ時だった。今と違って未だ背も伸びず痩せ細っていて、人間てのは皆こんななのかと思ったけれど、二年後ルーラと結ばれて再会した時には、すっかり立派になって。会わずともルーラが二年間想い続けたのも(うなず)けたもんだったよ」

 トロールはまるで自分が恋しているかのように、うっとりと当時を物語ったが、『会わずとも』って──?

「……二年間会わなかったって、どういうこと?」

 サファイア・ラグーンから戻ってからの二年間は、確か母さんのシレーネ在位期間に当たる。今のシレーネには外界へ出る自由があるのに、何故?

 するとトロールは意外な顔をして、

「おや? 知らなかったのかい? ルーラはシレーネの職務中、決してアメルと会おうとはしなかったんだよ。まぁ、ジョルジョ様に会いに船上へ行った時には、隠れてアメルを見ていたことはあったと、こっそり教えてくれたけどね。あの子は結果的にはたった二年であったけれど、シレーネとしての任務に集中することに努めたんだ。だからこそ、成人した人魚のほとんどがアーラ様に魔法を習い、計画よりも早く結界の外を知ることが出来た。でも『外界』を知り、『人間』を知り……『恋』というものを知ったあたい達に、もうルーラを留めておける鎖なんてなかった。それであの子の背中を押したんだよ。アメルの所へ行けって。それにね……」

 そこで次停車駅を知らせる車掌が、大声を上げて歩いてきてしまった。僕達の降りる駅だ。僕は続きを催促するような表情を向けてみたが、トロールは降りる準備を始めながらウィンクしてみせた。

「あんたが誰かを好きになったら、続きを教えてあげるよ」

 ──好きになったら? ……ずっと好きだよ。でもこれは未だ誰にも言えない。

 やがて列車のスピードは緩やかになり、久し振りに見る光景が僕の眼前に広がっていた──。






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