末の妹として大切にされてきましたが、 妻として溺愛されることになりました
第二章 ブレットの密室④
動揺で息も荒くなるほどのクレアだったが、なぜかブレットは飄々としている。
「そうか、もう昼なんだな」
「どういうことです?」
「いや何、僕はいつもランチを下町の食堂で取るんだよ。気分転換も兼ねてね」
それとこれとなんの関係があるのかと思うが、クレアは黙ってブレットの口元を凝視する。
「この部屋は危険な薬品が多いし、メイドに施錠するよう言ってあるんだ」
「なぜ、ご自分でお閉めにならないのです?」
「鍵を掛け忘れてしまうことが多いので、頼むことにしたんだよ。今日は必要なかったんだが、うっかりしていた」
ブレットはハハハと笑うけれど、彼に限ってそんなミスをするだろうか?
いつだって先の先まで読み切るブレットらしくなく、クレアはどうも納得がいかなかった。しかし兄相手に疑いを口にすることはできず、ましてや問いただすことなどできるはずもない。
「中から扉は開かないのですか?」
「開ける必要がないからね」
「そんなことはないでしょう。今日みたいなことがあったら」
「僕はむしろ閉じ込められたいくらいだよ。公務に忙殺されるより、一日中ここにいるほうがいいからね」
ブレットの明るい笑顔を見ると、やはり彼に負担を掛けているのだなと思う。アイザックやセシルももちろんサポートはしているが、ブレットが担う部分は大きく責任も重い。
この状況に対する文句のひとつも言いたかったのだが、ブレットの心労を思うと、あまり非難することもできなかった。かといって不安が胸を締め付け、息苦しささえ感じてしまう。
さっきまでなんともなかったのに、いざ閉じ込められていると知っただけで、ここまで身体に変化が起きるのは不思議なものだ。
「一体どうしたら」
「僕に用事がある者がいたら、そのうち呼びに来るだろう。心配する必要はない」
ブレットが軽くクレアの肩を叩いたが、彼女は顔を上げることもできない。
「そんな悠長な……。助けを求めようとは思わないのですか?」
「大声を出しても無駄だからね」
「どうして」
「さっきも言ったが、ここには外部からの音が入ってこない。当然こちらの音も聞こえない。余計な体力は使わないほうがいいよ」
ブレットの言葉が、改めてクレアをゾッとさせる。
心地よかった静寂が不気味なものに変わり、恐れと焦りが入り混じった閉塞感で、足下から崩れるような絶望が彼女を追い詰めていく。
やはり、過失だったとは思えない。
最初から広い実験台で作業をしていれば、メイドは施錠などしなかったはずだ。入り口からでも話し声が聞こえただろうし、実験室の中に人が居るのもわかっただろう。
ブレットはわざと、小部屋で作業しようとした――?
恐ろしい想像が頭をかすめ、クレアは両腕を抱え込む。そんなはずはないと思うが、ブレットの弁明があまりにもっともらしく、余計に疑惑が深まっていく。
香水を作ろうと言ったのも、作業日時を決めたのもブレットだ。
メイドが施錠する時刻だって知っていただろうし、最初から閉じ込められるとわかっていたなら、ブレットがこれほど冷静なのも納得できる。
なんのためにと思うが、理由らしい理由はひとつしかない。ブレットはクレアとの結婚を望んでいると言ったし、ふたりきりになりたいというのは自然な感情だ。
それでアクシデントまで起こすというのは、いくら愛情表現が人それぞれだとはいえ、行動が極端というか、斜め上の発想すぎる。ある意味ブレットらしいとは思うけれど、クレアには許容できないし、恐怖すら感じてしまうほどだ。
「怯えなくても、大丈夫だ」
クレアの気持ちを知ってか知らずか、ブレットは穏やかな声で、震える彼女の背中をさすった。
「さぁゆっくりと深呼吸して。この部屋に漂うオレンジの香りは、不安や緊張をほぐしてくれる。まさに今のクレアに必要なアロマだ」
ブレットに言われるまま、クレアはゆっくりと静かに息を吸い、時間を掛けて吐き出した。フレッシュなオレンジの香りが全身に染み渡っていく。
「少し、落ち着いてきました」
クレアから強ばりが消えたのを見届けると、ブレットは実験台に向かって作業を始めた。どうやらハーブティーを入れてくれるつもりらしい。
二種類のハーブを計量してティーポットに入れ、沸かし立てのお湯を入れる。香りが逃げないように蓋をして蒸らし、温めておいたティーカップに注いでくれる。
「ラベンダーとペパーミントをブレンドしてある。精神を安定させてくれるはずだ」
「ありがとうございます」
湯気の立つティーカップを受け取り、クレアはそっと口を付けた。上品な華やかさの中に、スッキリした清涼感があり、とても芳しい香りがする。
「美味しい、です」
「よかった」
ブレットは心底安堵した様子で、じっとクレアを見つめる。
「少々、話をしても良いか?」
「はい」
クレアがティーカップを置いて居住まいを正すと、ブレットはおもむろに口を開く。
「僕はクレアを愛している」
直球の言葉を受けて、クレアの頬は朱に染まった。どう答えればいいかわからず、ただ目を瞬かせているしかない。ブレットは彼女の返事を待っているようではなく、ひたすら話を続ける。
「クレアと過ごしてきた日々は、かけがえのない宝物だ。いつだってクレアは僕を理解し、寄り添おうとしてくれた。無味乾燥で単調になりがちな僕の人生に彩りを与え、人と触れ合う喜びや心を通わせる幸福を教えてくれたんだよ」
ブレットの力強い主張を聞いていると、彼は寂しかったのだろうかと思ってしまう。
公務があるとはいえ、自らの興味の赴くまま、知的探究心を満足させているブレットは、充実した毎日を送っているようにしか見えなかったのだ。
「申し訳ありません。私は誤解していたのかもしれません。てっきりブレット兄様は、孤独を楽しんでおられるのだと」
「楽しんでいるよ」
ブレットは即答したが、にっこり笑って付け加える。
「クレアと結婚したとしても、孤独を否定するつもりはない。そういう意味では寂しい思いをさせてしまうかもしれないが、その分一緒に過ごせる時は大事にしたいと思っている。僕は側に居る時間の長さよりも、クレアと分かち合う幸せな瞬間のほうが、ずっと重要だと考えているからね」
「ブレット兄様のお気持ちは、とても嬉しいですけれど」
「僕を選ぶことはできない?」
「そうか、もう昼なんだな」
「どういうことです?」
「いや何、僕はいつもランチを下町の食堂で取るんだよ。気分転換も兼ねてね」
それとこれとなんの関係があるのかと思うが、クレアは黙ってブレットの口元を凝視する。
「この部屋は危険な薬品が多いし、メイドに施錠するよう言ってあるんだ」
「なぜ、ご自分でお閉めにならないのです?」
「鍵を掛け忘れてしまうことが多いので、頼むことにしたんだよ。今日は必要なかったんだが、うっかりしていた」
ブレットはハハハと笑うけれど、彼に限ってそんなミスをするだろうか?
いつだって先の先まで読み切るブレットらしくなく、クレアはどうも納得がいかなかった。しかし兄相手に疑いを口にすることはできず、ましてや問いただすことなどできるはずもない。
「中から扉は開かないのですか?」
「開ける必要がないからね」
「そんなことはないでしょう。今日みたいなことがあったら」
「僕はむしろ閉じ込められたいくらいだよ。公務に忙殺されるより、一日中ここにいるほうがいいからね」
ブレットの明るい笑顔を見ると、やはり彼に負担を掛けているのだなと思う。アイザックやセシルももちろんサポートはしているが、ブレットが担う部分は大きく責任も重い。
この状況に対する文句のひとつも言いたかったのだが、ブレットの心労を思うと、あまり非難することもできなかった。かといって不安が胸を締め付け、息苦しささえ感じてしまう。
さっきまでなんともなかったのに、いざ閉じ込められていると知っただけで、ここまで身体に変化が起きるのは不思議なものだ。
「一体どうしたら」
「僕に用事がある者がいたら、そのうち呼びに来るだろう。心配する必要はない」
ブレットが軽くクレアの肩を叩いたが、彼女は顔を上げることもできない。
「そんな悠長な……。助けを求めようとは思わないのですか?」
「大声を出しても無駄だからね」
「どうして」
「さっきも言ったが、ここには外部からの音が入ってこない。当然こちらの音も聞こえない。余計な体力は使わないほうがいいよ」
ブレットの言葉が、改めてクレアをゾッとさせる。
心地よかった静寂が不気味なものに変わり、恐れと焦りが入り混じった閉塞感で、足下から崩れるような絶望が彼女を追い詰めていく。
やはり、過失だったとは思えない。
最初から広い実験台で作業をしていれば、メイドは施錠などしなかったはずだ。入り口からでも話し声が聞こえただろうし、実験室の中に人が居るのもわかっただろう。
ブレットはわざと、小部屋で作業しようとした――?
恐ろしい想像が頭をかすめ、クレアは両腕を抱え込む。そんなはずはないと思うが、ブレットの弁明があまりにもっともらしく、余計に疑惑が深まっていく。
香水を作ろうと言ったのも、作業日時を決めたのもブレットだ。
メイドが施錠する時刻だって知っていただろうし、最初から閉じ込められるとわかっていたなら、ブレットがこれほど冷静なのも納得できる。
なんのためにと思うが、理由らしい理由はひとつしかない。ブレットはクレアとの結婚を望んでいると言ったし、ふたりきりになりたいというのは自然な感情だ。
それでアクシデントまで起こすというのは、いくら愛情表現が人それぞれだとはいえ、行動が極端というか、斜め上の発想すぎる。ある意味ブレットらしいとは思うけれど、クレアには許容できないし、恐怖すら感じてしまうほどだ。
「怯えなくても、大丈夫だ」
クレアの気持ちを知ってか知らずか、ブレットは穏やかな声で、震える彼女の背中をさすった。
「さぁゆっくりと深呼吸して。この部屋に漂うオレンジの香りは、不安や緊張をほぐしてくれる。まさに今のクレアに必要なアロマだ」
ブレットに言われるまま、クレアはゆっくりと静かに息を吸い、時間を掛けて吐き出した。フレッシュなオレンジの香りが全身に染み渡っていく。
「少し、落ち着いてきました」
クレアから強ばりが消えたのを見届けると、ブレットは実験台に向かって作業を始めた。どうやらハーブティーを入れてくれるつもりらしい。
二種類のハーブを計量してティーポットに入れ、沸かし立てのお湯を入れる。香りが逃げないように蓋をして蒸らし、温めておいたティーカップに注いでくれる。
「ラベンダーとペパーミントをブレンドしてある。精神を安定させてくれるはずだ」
「ありがとうございます」
湯気の立つティーカップを受け取り、クレアはそっと口を付けた。上品な華やかさの中に、スッキリした清涼感があり、とても芳しい香りがする。
「美味しい、です」
「よかった」
ブレットは心底安堵した様子で、じっとクレアを見つめる。
「少々、話をしても良いか?」
「はい」
クレアがティーカップを置いて居住まいを正すと、ブレットはおもむろに口を開く。
「僕はクレアを愛している」
直球の言葉を受けて、クレアの頬は朱に染まった。どう答えればいいかわからず、ただ目を瞬かせているしかない。ブレットは彼女の返事を待っているようではなく、ひたすら話を続ける。
「クレアと過ごしてきた日々は、かけがえのない宝物だ。いつだってクレアは僕を理解し、寄り添おうとしてくれた。無味乾燥で単調になりがちな僕の人生に彩りを与え、人と触れ合う喜びや心を通わせる幸福を教えてくれたんだよ」
ブレットの力強い主張を聞いていると、彼は寂しかったのだろうかと思ってしまう。
公務があるとはいえ、自らの興味の赴くまま、知的探究心を満足させているブレットは、充実した毎日を送っているようにしか見えなかったのだ。
「申し訳ありません。私は誤解していたのかもしれません。てっきりブレット兄様は、孤独を楽しんでおられるのだと」
「楽しんでいるよ」
ブレットは即答したが、にっこり笑って付け加える。
「クレアと結婚したとしても、孤独を否定するつもりはない。そういう意味では寂しい思いをさせてしまうかもしれないが、その分一緒に過ごせる時は大事にしたいと思っている。僕は側に居る時間の長さよりも、クレアと分かち合う幸せな瞬間のほうが、ずっと重要だと考えているからね」
「ブレット兄様のお気持ちは、とても嬉しいですけれど」
「僕を選ぶことはできない?」