逃げたいニセモノ令嬢と逃したくない義弟と婚約者。





「レイラ」

「…」

「レイラ」

「…」

「レイラ、大丈夫か?」

「あ」



そうだ。私は今、レイラ様だった。
伯爵様に心配そうに顔を覗かれて、初めて伯爵様が私を呼んでいたことに気がつく。

つい先ほどまで行われていた言い争いに気を取られて、自分の役割をすっかり忘れてしまっていた。



「…だ、大丈夫、で…あ、だよ」



突然のことに思わず、レイラ様ではなく、リリーとしてして伯爵様に応えそうになってしまうが、何とかそれを堪える。
不自然極まりないことは重々承知だが、こればかりは仕方がない。

明らかにおかしい私を見て伯爵様は「セオドアの態度に動転しているんだな。可哀想に」と、本当に心配そうにしていた。
全く違う解釈をしているが有り難い。レイラ様のこととなると伯爵様には変なフィルターがかかるようだ。もちろんそれは奥方様にもだ。



「レイラ?いい?アナタはセオドアの姉さんなの。だからこそ、敬語は使わないし、砕けた口調で喋るのよ。前みたいにね」

「…う、うん」



ふわりと微笑む奥方様に私も何とか微笑む。
引き攣った笑みのまま、セオドア様の方へと視線を向ければ、セオドア様はこちらを見たくない、と言わんばかりに視線を下へと落としていた。



「レイラ、あの頃のようにセオドアを〝セオドア〟と呼んであげなさい。きっとセオドアも喜ぶだろう」



セオドア様を見たまま固まってしまった私に伯爵様が優しくそう言う。
善意からの伯爵様の言葉に私は心の中で頭を抱えた。
今、セオドア様のことをレイラ様として〝セオドア〟と呼ぶなど火に油を注ぐ行為ではないか。

本当は微笑むだけ微笑んで、ここにいるレイラは何もしたくない。しかしそんなレイラは伯爵夫妻には望まれていなかった。

私はもう伯爵夫妻の理想のレイラ・アルトワなのだ。
そうでなければ、フローレス男爵家は伯爵家から支援を受けることができず、お父様とお母様は変わらぬ苦労をし続けなければならない。
男爵家の為にも私は夫妻の望み通りに動くしかない。



「…セオドア。気分を害してしまってごめんね。これからは姉と弟として仲良くしよう?」



私の左隣に座るセオドア様にレイラ様らしさを意識して、奥方様みたいにふわりと笑ってみる。
するとセオドア様はこちらを一切見ることなく、ただただ不満げに小さく頷いた。
アルトワ夫妻が見ている以上、セオドア様もそうするしかないようだった。




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