世界でいちばん長い夜
 急に過去のことを問われ、私は一生懸命その日のことを思い出す。
 特にいつもと何も変わったことはなかったような気がするけど……
 私は土屋さんが特別な感情を抱く出来事があったか思い出せず、首を傾げたままだ。

 土屋さんは、苦笑いを浮かべると、その日何があったのかを話してくれた。

「こっちの着任日が四月一日だから俺、引っ越しの荷物受け入れのために一日早くこっちにやって来たんだけど、荷物がその日に届かなくて」

 土屋さんの言葉で、その時のことを思い出した。
 土屋さんは本社でも業務多忙だったため、引っ越しの手続きが間に合わず、荷物が予定していた日に届かなかったのだ。

 翌日になって荷物が届くとのことで、朝、着任の挨拶を済ませた後、荷受けのため午前中席を外していた。
 その間、前任者から土屋さんに業務を引き継ぐ予定だった会社からいろいろな問い合わせの連絡を受けたけれど、引っ越しの手続きに集中してもらおうと、その処理を私が一手に引き受けたのだった。

 前任者がきちんとマニュアルを作成してくれていたおかげで、前任者へ問い合わせをすることもなく、折り返しの連絡で事なきを得た。
 土屋さんも引っ越してきたばかりで、こちらの土地勘がまだないはずだ。
 日用品や食事などの買い物もしばらくは困るだろうと、私は午前中の報告も兼ねて、会社周辺のスーパーやドラッグストア、飲食店などを書いたメモを一緒に土屋さんの机の上に置いておいた。

「あの日の藤田さんの何気ない気遣いで、俺は藤田さんのことが好きになったんだ」

 思いがけない告白に、私は再び言葉を失った。
 土屋さんが、私のことを好き……?
 本当に? これは現実の出来事なの?

 土屋さんは言葉が出ない私に対して笑顔を向けているけど、その瞳に野性の雄を宿していることに気付かない訳はない。

「さあ、夜は長いんだ。明日は休みだし、寝かせるつもりはないから」

 世界でいちばん長い夜が、今始まる。


  ー終ー

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