未完成の恋ですが。~俺様建築士と描く未来の設計図~
 自動販売機が、鈍い音をたててペットボトルのお茶を取り出し口に落とした。黒川は軍手を外してから腰をかがめ、2本のそれを両手に持ち上げる。

 「あっちにベンチあるから」

 顎で示された方向へ目をやると、建物の片隅に木製のベンチがあった。無言でついていき、並んで腰を下ろす。黒川は、ひとり分以上の間隔をあけて座ったあと、莉央にペットボトルを差し出した。

 「ありがとな。助かった、マジで」

 軽い口調は、会議のときとはまったく違う。

 莉央が手伝ったのは、建って間もない施設の植栽作業だった。花壇に土を入れ、花を植え、数本の若木を敷地の要所に植える。
 職員たちが黒川に「ここでいいですか?」と指示を仰いでいた様子から、植栽計画も含めて、この建物全体が彼の”作品”なのだとわかる。

 黒川は、帽子を取って頭の後ろで手を組み、ぐっと背中を反らせて空を見上げた。

 「予算が限られてるから、植え込みはできるだけ自分たちでやろうって話になって。でも、人も足りないっていう。まあ、建築あるあるなんだけどな」

 「じゃあ、黒川さんも今日はボランティアで?」

 「そ」

 短く答えた黒川は、肩をすくめたあと、唇の端だけで少し笑った。休日だからだろうか。わずかにのびた無精ひげに、黒川の無防備さが(のぞ)いている。
 莉央は、ベンチのそばに植えられた細木に目を向けた。腰高で、まだ頼りない枝ぶりだが、いずれは育って、柔らかい木陰をこのベンチにもたらすのだろう。

 ――彼は、時の流れまで設計している。

 そのことに、莉央はあらためて胸を打たれた。

 黒川の損得を考えない責任感と、人が過ごす空間への細やかな想像力、そしてなにより、建物に込める情熱。
 彼への尊敬は、かすかな好意へと変わりつつあった。

 「で、そっちは?」

 「そっち?」

 不意をつかれて、首を傾げる。

 「なんで俺の関わった建物を見て回ってんの」

 「あ……それは」

 莉央は、この施設に居合わせたわけを黒川に告げていたことを思い出した。一言では表しにくい、複数の感情が入り混じっている。言葉に迷っていると、彼はさらに尋ねた。

 「どこ、見てきた?」

 「えっと、宮ケ崎の地域交流センターと、ひだまりデイケアと、原田町にある資源ステーションです」

 「ふうん。で、どうだった?」

 感想を求められ、莉央はさらに迷った。自分の言葉が、黒川の気分を損ねてしまわないとも限らない。けれど、黒川をごまかすことはできはしない。したくなかった。莉央を見つめる目は、あの、まっすぐな目だ。

 「目的も、使いかたも違う建物ばかりでしたけど……」

 いったん言葉を区切って、莉央は伏せていた視線をしっかりと黒川の瞳に向けた。

 「どこも”そこにいる人たち”に寄り添っているんだなと感じました。設計とか建物って、もっと無機質なものかと思ってたんですけど、黒川さんの作るものは、”そこにいる人たち”と一緒に息をして、一緒に生きている……そんな風に思いました」

 黒川は何も言わなかった。ただ、ペットボトルのふたをゆっくりとひねって開けると、数回、水を口に含んだ。水が黒川の喉をとおるたびに、日焼けした首筋にくっきりと浮かんだ喉ぼとけが、上下に動く。

 (言い過ぎた? 出過ぎた感想だった?)

 長い沈黙に不安が募る。やがて黒川が口をひらいた。

 「役所の担当、今度もまた変なのを送りこんできたのかと思ったけど……案外いいじゃん。行動力あるし、真面目で、観察眼もするどい」

 莉央は、うなだれかけた頭をハッと上げた。褒められたのだと理解して、胸がじわりと熱くなる。

 「次の打ち合わせ、期待してる」

 黒川が笑顔を向けた。

 「期待はずれだったら……泣かすけど」

 莉央は思わず吹き出してしまった。そんなセリフが黒川から返ってくるとは思わず、肩が震える。

 「脅しですか?」

 笑いながら言い返す。

 「エールだよ、俺なりの」

 黒川が冗談めかして茶化した。自然に、声を出して笑いあう。

 (黒川さん……)

 彼の笑顔に胸が高鳴ると同時に、この人と、子どもたちの心に届くような図書館を作りたい――莉央は心からそう思った。
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