彼がくれたのは、優しさと恋心――司書志望の地味系派遣女子、クールな弁護士にこっそり愛されてました

3.おにぎり

 私を取り巻いていた幸せな世界が、あっけなく崩れた。

 生まれてからずっと暮らしていた大好きな家は、出ていかなくてはならない。
 婚約者の怜士は、香奈ちゃんと浮気。
 香奈ちゃんが私に残業を押し付けたのは、計算づくだろう。

 雨宮先生が、怜士が勤める花菱商事の担当になったのは、つい先月のことだ。まさかこの一ヵ月の間に、香奈ちゃんは怜士に近づき、部屋に泊まるほどの仲になったというの?

 私と怜士が一年半かけてじっくり作り上げてきた関係は、一体何だったの? こんなにあっけなく終わるなんて。
 嘘だと信じたい。
 けれど二人が一緒の部屋にいるという決定的な場面に居合わせてしまった私には、そうすることはできない。

 ひどい顔――。

 月曜の朝。泣きはらした目は腫れ、眠れなかったせいでくまができている。
 出勤してもくまは消えず、なんとか隠さなければと、私は仕事の合間にお手洗いの鏡の前で、ファンデーションをくまの上に重ねた。
 その時、足音がして振り向いた。

「あ、野崎さん。おはようございますー」

 目が合った瞬間、香奈ちゃんは満面の笑みだ。私が言葉を返せずにいると、彼女は続けた。

「なんか、一昨日は驚かせちゃったみたいで。でも謝りませんよ。怜士さんの気持ちが変わったのって、私のせいだけじゃないと思うし。野崎さん、派遣だし地味だし、合わなかったんですよ、花菱商事の怜士さんには」

 ああ、この子は。どうしてこんなひどいことが言えるんだろう?
 私は逃げるようにお手洗いを出た。情けなくて、悔しくて、でも何も言えなかった。
 うつむいたまま、なかば走ってオフィスエリアに戻ろうとした途中。

「おっと」

 不意に聞こえた声に顔を上げると、そこにいたのは雨宮先生だ。ぶつかりそうになってしまった。

「すみません!」

 私はとっさに頭を下げた。
 雨宮先生は私の顔を見た。泣きはらした目を見られた気がして、慌てて顔をそらす。

「気をつけて」

 それだけ言って、先生は通り過ぎていった。
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