ヤワラカセカイ
ヤワラカセカイ1
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桜が舞い散る4月初旬。



大学のオリエンテーションを終えて、講堂から出て来た…までは良かったんだけど。



「…どこ?ここ。」



講堂で仲良くなったお友達と出てくる予定だったんだけど、どうしても図書館に寄ってみたくて、付き合わせるのも悪いから一人で校舎内を歩いてて…


いつの間にか、知らない空間にたどり付いていた。



目の前には、大きな時計塔の様なレンガ造りの建物と、大きな木。


この木…カエデかな?いや…紅葉?


葉っぱの事よくわからないけど、そんな感じの葉っぱがついてる。


少し近づいて行ってみると、丁度木と建物の間位の所に、白いベンチがあって、誰かが二人、並んで座っていた。



良かった!表門に出る道を聞いてみよう!って近づいて行ったけど。


……だ、男子…だ。


多分、年はそんなに変わらない。
一人はサラサラヘアで、恐らく茶色いんだと思う。お日様の光で艶をもって光っている。もう一人は…ふわっとした黒い髪。

黒い髪の人の方が一回りくらい大きさが小さい気がする。
二人ともさっきまで同じ講堂内に居た男子達より大人びているというか、大学に馴染んでいる感じがしたから、ここの大学の先輩なんじゃないかな…


…と、それは良いとして。


苦手なんだよな…同年代位の男子が。


小学校の時に男子に野良犬使って追いかけられた事がきっかけで、女子中受験を決意。その後、高校卒業までずーっと避けてきた。

幼馴染みの柊(シュウ)以外の同年代の男子を。


だから、出来れば、このまま出会わなかったことにして回れ右して立ち去りたい…けど。


私達三人以外、周囲に人の姿は無い、時計塔の前。


あからさまに近づいて行った私に二人が気がつかないわけはない。
二人同時に視線が私に向いた。



その瞬間



本当に一瞬だって思うんだけど、映像が止まった気がして、鼓動だけがドキンと動いた。


サラサラヘアの背の高そうな人の方。
鼻筋がスッと通っていて、彫りは深くないけれど、いわゆる塩顔というやつだろうか。けれど二重で。
その黒目がちの目から、ポロっと涙が溢れて、鼻の頭が真っ赤になっている。

な、泣いてる……。


目元を少し掌でぬぐって。長めの袖から除く指が、妙にその人に合っていて、美形な顔立ちなのに、全体的に可愛らしい雰囲気を醸し出している気がした。



ど、どうしよう…気まずい。
でも、このまま逃げたらもっといけない気が…


「あー…!」


私が明かにフリーズして躊躇しているからだと思う。
サラサラヘアのその人はそう言いながら両手の甲で目を隠した。



そ、そりゃそうだよね、知らない人に泣いている所なんて見られたら嫌に決まってる。

よ、よし、こうなったら…

意を決して、リュックを下ろし、徐に開けて手を突っ込む。
後は猪突猛進の勢い。


「あ、あの!」


二人の目の前まで行くと、サラサラヘアの人に向かってハンカチを差し出した。


「これ、どうぞ!」
「…え?や…」
「大丈夫です、洗いたてで綺麗だし柔軟剤の香りも薄めだから!」


私の勢いに負けて「えっと…うん。」と言いながら受け取ってくれた事を確認して…


よし、逃げるぞ!


「げ、元気出してくださいね!じゃあっ!!!!」



呆然としている二人から、猛ダッシュで立ち去った。



脱出大成功!!

良かったー……って良くないじゃん!


無我夢中で走ったせいか、更に人の気配がしない林っぽい所に迷い込んだらしい。


私一体…何やってんだろう。
大学……広いよ。












「…ねえ。」
「……。」
「ちょっと、真大(まひろ)?おーい、まーくん!」
「………。」
「………。あっ!さっきの女の子、あっちからまた来た!」
「えっ!うそ、どこ?どこどこ?!」
「…嘘です。」


立ち上がって周りを見回した俺をクッと口元を腕で隠して笑う瀬名の、ふわふわな黒髪が少し春風で揺れた。


「わかりやすっ!」
「な、何が?!」


誤魔化して、ベンチに座り直したけど、相変わらず隣で楽しそうに含み笑いしてる瀬名には多分俺の今の心境なんてバレバレで。
いっつもそうやって、瀬名は俺の心ん中ぜーんぶ見透かしてさ…ずるくない?


なんて口を尖らせたら…鼻からツーッっと…


「やばっ!鼻水出る!」
「あーもう。大丈夫?真大、とりあえず戻った方がいいんじゃない?教室に…」
「今戻ったら、透くんに迷惑がかかるから…っくしゅっ!」


右手にあの子に渡されたハンカチ握ったまま、左手をポッケに手を突っ込んだけど…


「…どうしよ。ティッシュ切らした。」
「さっきの子に渡されたハンカチ使えばいいじゃん。」
「んなこと出来るわけ無いだろ!」


俺たち目指してまっしぐらに近づいて来たあの子。
大学構内で今まで見かけたことなかったし、少し幼い感じがしたから新入生?って思ったけど…。


「まーくん、何で言わなかったのよ、本当の事。」
「だってさ…あんまりにも真剣だったから。」


『これ、使ってください!』


横から当たる木漏れ日が、あの子の一生懸命な潤った瞳とボブの髪を綺麗に照らしていて……思っちゃったんだよね。


“可愛い”って。


「…すげーベタな惚れ方。」
「えっ?!」
「や、出てましたけど、『可愛かったなー』って。」
「マジで?!俺、無意識に言ってた?!」
「あー…当たり?出てたのは、『顔に』だよ?」


クッとまた瀬名が含み笑い。


「何んだよ!カマかけたな!」
「あっ!おい…絡むなよ!離せバカ!」


俺より、ガタイも背も小さい瀬名を腕でホールドして、頭をグリグリしながら笑ったけど、また鼻がむずむず。


「やっべ!鼻水垂れた。」
「お前っ!汚ねえなー!ったく。しょうがないね…」


はいっと渡された瀬名のハンカチ。


「ズビッ!」
「あー…もう。」
「ありがと!ちゃんと洗って返すから!」
「明日は薬、飲んで来るんだよ?忘れたらこんなってさ…まあ、俺は授業サボれる口実が出来て助かるけど。」



ひねくれ口を叩いてるけど、俺が心配で一緒に授業を抜けてくれたってわかってるもんね。
笑いながら心の中で感謝。


「明日はちゃんと薬飲んでくるね。」
「そうして?春は花粉、毎日飛んでんだから。」


右手に握り続けてるハンカチに、さっきの子の一生懸命な表情を重ねた。


『元気出してくださいね!』


なんか…誤解させちゃったね。
花粉症の薬飲み忘れて、目鼻が最悪の状態だったって…今度ハンカチ返す時に言わないと。


「あの子にも謝んなきゃ」
「や、そこはさ、言わないで利用するテもありますよ?
あなたが口説きたいなら、いくらでも。」
「瀬名はまたそうやってさー。」
「あなたが可愛いとか言ってるから、教えてあげてんでしょーが。」


瀬名がスマホを取りだして時間を確認しながら、画面をスライドさせる。


「大体ね他のヤツだって『可愛い』って思って目をつけてる可能性もあるんじゃない?彼氏がいるかもしれないし。」
「彼氏?!」
「…可能性の話だからさ…青ざめられても。」
「いや、あるよ!あんな可愛い子、彼氏がいる可能性高いじゃん!」
「…あの、真大?そう言っちゃなんだけど、あの子、そこまで可愛くは、な「瀬名!とにかく、ハンカチを返す為にもあの子が誰なのか情報収集しないと!行くよ!」
「…真大?おーい、まーくんてば…あーもう。」


瀬名は呆れながらもずんずん歩く俺に付いてきてくれる。


「…で?」
「…で?」
「どこ行ったらわかるの?あの子のこと。」
「…お前、筋金入りのバカだろ。いや、気がついてたけど。」


フウと一回目を細くした瀬名が、今度は俺より前を歩き出す。


「どこ行くの?」
「良いからほら、ついといで、バカさん。」


イタズラを思いついた様な目つきと口角をキュッとあげる得意気な顔に、ちょとばかし嫌な予感は感じつつ、俺は瀬名の背中を追う。



そのまま向かったのは、学生課の窓口。



「おーい、玲ちゃん、いる?」
「おっ、瀬名。どうしたんだよ?」
「ちょーっと聞きたいことあんだけどさ…」
「瀬名の頼みなら聞かなくはないけど。」


いつもはクールで、女子達にも大人気の学生課職員の牧野玲さんに、フレンドリーに話しかける瀬名。
いつの間にか仲良しになってたんだよね、この二人。


俺はそこまで話した事ないから、瀬名の後ろに立って様子みてたんだけどさ…


「この人が人捜ししててさ。」


なんて俺の背中を押すもんだから、牧野さんの切れ長の目がこっち向いちゃったじゃん。センターパートの長めのウェーブががかった前髪が、そこにかかってて口元は笑っているんだけど、何となく冷静な感じがして、思わず緊張する。
けれど、こんにちはって俺が挨拶したら、「どうも」って穏やかに笑ってくれた。



「ショートボブ位の髪の毛で…多分新入生じゃねーかなーって俺は思うんだけどさ…?」


出た!瀬名のおねだりポーズ!

少し上目遣いで牧野さんの事を見て「ちょっと調べて、教えてくんない?」って小首を傾げる。


いっつも思うんだけど、絶対自分でわかってやってるよね、“可愛い”って。
それでも、皆騙されちゃう。
普通はこんな怪しいお願い「プライバシーの事だからダメに決まってるだろ」って即却下されるはずなのに。


「いや~…困ったね。」


なんて、牧野さんも超目を細めてにやけてる。


「いくら瀬名のお願いでも、教えるわけにはいかないな…。」
「だよね。いーのよ。ダメ元で言っただけだから。」
「悪いな、力になれなくて…でも、一年生必須科目に、人間行動学があるじゃん、美澄先生の。」
「ああ、そういえば!曜日と時間は…」
「水曜日の一限。」


水曜日の一限…そこに出ればあの子に会えるかも知れないんだ…。
美澄先生…透くんの講義なら、事情を話せば出てイイって言ってくれるはずだよね!


希望の光が見えて、テンションがあがる。
そのまま牧野さんにお礼を言ってから校舎を出た。


「瀬名ー!」
「おわっ!んだよ…。」


絡みつく俺をあしらいながらも、笑顔の瀬名。
こうやっていっつも俺の味方でいてくれるもんね、瀬名は。


今日は金曜日。
来週の水曜日が凄く待ち遠しい!って、瀬名をぎゅーしながら思っていたら、俺のポケットでスマホが震えた。










なんとか大学を脱出して下宿先に帰ったのは夕方。


駅から少し歩いた所の商店街の中心部にある喫茶店の2階が私の下宿先。

フラフラと喫茶店に入っていくとコーヒーとチーズケーキを注文して、カウンター席に突っ伏した私を、喫茶店のオーナーの“涼くん”が「おかえり」と柔らかく笑った。


「広かった…大学。」
「別に広かねーだろ。普通サイズじゃね?啓江(けいこう)大学って。」
「そうなの?!大学ってどこもあんなに広いの?!柊の大学も?」
「沙香(さこ)が方向音痴が過ぎるだけだろーが…大学構内で、グーグルマップにナビって貰うってさ…。つか、行ったじゃん、学祭。」
「…だって、その時は柊が居たじゃん。」
「ああ、お前、目の前の食いもんに夢中だったしな。」


目の前で、椅子にふんぞり返ってコーヒーをズズっと啜る柊。

柊は2つ年上の幼馴染。

私が上京してくるのに当たり、両親が出した条件が、うちのお父さんの古くからの友人である、ここの喫茶店のオーナーの涼くんこと、坂井涼也さんの所に下宿すること。
柊は先にこの喫茶店に下宿している住人でもある。

177cmの身長で、足長め(見た目)、くっきり二重に大きめの高い鼻。顎も逆三角形で、日本人離れした堀の深い顔に、日常的に筋トレをして鍛えているために、引き締まっている体つきで、太めの首。


椅子の背もたれに少しもたれて、足を組んでコーヒーを啜る…

その完璧な程のイケメンぶりに、思わずうっとり。


そんな私に太めのくっきり眉を片方上げてギロリと睨んだ。


「…俺を勝手に違う世界に連れてくな。」
「え…えへへ。」


女子校の特徴だろうか、それとも私の周囲がそうだっただけだろうか。
とにかく、二次元、アイドル系の話題が大流行だった。


流行っていた…というよりも、染みついているって感じで。
そういう話をするのは当たり前な感じ。

現実の恋愛話よりも、妄想話、二次元、2.5次元の話、推し活話の方が盛り上がる。

そんな世界に居たからだろうか、柊を何人かの友達に紹介した事はあるけれど、皆、『イケメン王子』認定して、特に『柊君と付き合いたいから♡』と現実的に柊に近づいて来る子はいなくて。


私も、柊がこうしてさりげなくイケメンぶりを発揮すると、すぐ「乙ゲーの王子みたい」とヘラヘラ。


「お前、これから生きていけんの?それで。」
「んー…わからない。だって…男子って何か苦手なんだもん。話が何かよくわかんないし。」
「……またそれかよ。」


呆れる柊の前でチーズケーキを頬張った。


…これでも、中学時代の多感な時期は、少しはした方がいいのかもと、同年代の男子との交流を頑張ってないわけではなかった。


中三の夏休みに夏期講習に申し込んで行った塾。

もちろん、色々な学校の人が通っているわけで。
知り合いになった何人かと一緒にお昼を食べたけど。


………やっぱり、何となく苦手意識があって、ダメだった。


「柊は平気なんだよな。なんで?」
「合う合わないだろ、そんなの。男女関係なくさ。」
「沙香ちゃんは色々敏感なのかもな。俺も嫌われないように気をつけねーと。」
「涼くんは好き!なんか、カフェオレみたいに優しい香りだし!」
「オジサン臭が消えてるみてーだな。コーヒーに感謝だ。」


カップを拭きながらふにゃりと笑う涼くんに、柊がフウと溜息をついてから私に向き直った。


「お前さ…これから大学始まるんだし、ちょっとは男に慣れた方が良くない?」
「えー…いいよ。とりあえず、女の子の友達出来たし。」


図書館の位置もわかったから、万が一の時は、そこに逃げ込めばなんとかなりそうだし。
と、思っていたのに。柊はそれじゃあ納得できなかったらしい。


「…いや、良くねえ。」


フォークを持った手の手首をギュッと握られ、ニッと笑う柊の顔がドアップになる。


「…来いよ。俺がお前を変えてやる。」


い、イケメン!
何?
乙ゲー?!
少女漫画?!


ってちょっと待って?立たせられて、引っ張るように連れていかれてるけど…


「チーズケーキ、まだ全部食べてない!」
「あー…彼氏が出来りゃ、いっくらでもデートで食わせて貰えんだろ。来い!」
「彼氏なんて要らないってば!」
「作れ!そして、俺を二度と違う世界に連れて行くな!」


「チーズケーキはちゃんと、冷蔵庫に入れておくからね」と涼くんに見送られ、半ばズルズル引きずられながら連れて行かれた先。


「……何?この、意識高い感じのオシャレ系雑誌とかアプリに出て来そうな居酒屋」
「なんだよ、ちゃんとそういうアプリとか記事も見てんじゃん。」
「…検索してたらたまたま出て来ただけだもん。」


「帰る」と踵を返したら、ガシッと腕を掴まれた。


「帰すわけねーだろ。」


や、だからさ…台詞だけ聞くと、モロ少女漫画なんだけどね?
その飄々としたしたり顔が、どう考えても嫌な予感しか生まないんだって。


ここに来る途中で、無理矢理スカートを買わされ、着替えさせられたしさ…。



「柊~♡お待たせ!」


髪を肩下でふわっとさせた、お人形さんみたいに目がぱっちりしていて唇の赤い女の子とボーイッシュなショートの黒髪にきりりと整った美人顔の女の子が、可愛く笑いながら近づいて来る。
その後ろにも、2人ほど同じような感じの女の子。


柊が、「や、俺も今来たとこ。」って普通に話して、私をその子達の前につきだした。


「こいつ、俺の幼馴染み。合コンとか初めてだから面倒見てやって?」
「えー!そっかー。よろしく!」


な、なんだろう…目が輝いた?


その前に…合コンって言った?
い、嫌だよ?私、合コンなんて…。


「あ、あの…私は…」
「私、真壁彩月!よろしくね!」
「えっと…望月沙香です…」
「沙香ちゃん、よろしく~。私はアイコだよ!」
「は、はい…。」

ふわふわお人形の彩月さん、きりり美人なアイコさん。なんだか二人とも二次元から抜け出して来たみたい…。
そんな可愛い、綺麗のキラキラオーラに気圧されて、『帰ります』とは言えず。


柊に矛先を向けてみる。


「ちょ、ちょっと柊!どういうこと?!」
「どう言うって…合コンの女の子が足らないって言うから。」


『言うから』って…


「普通そういうのは、女の子側が何とかするんじゃ…」
「や、俺の幼馴染みで良ければって言ったら、それでイイって言うからさ。その方が手っ取り早いじゃん。
人助けだと思って、つきあえよ。」


動揺することも、卑下することもなく、いつものテンションでそう言われ。


「沙香ちゃん、今日はよろしくね!」
「行くよー!」


がっしりと両脇を彩月さんとアイコさんに固められてもはや逃げ出す術が思い当たらない。


とりあえずあきらめて、オシャレ居酒屋に足を踏み入れ、時が過ぎるのを待っていようと思ったけど。

待つこと5分位で最後に来た男子二人に、固まった。



だって、それは紛れもなく



「あれ?俺達、最後?」
「柊、お疲れー。」
「ああ、瀬名と真大、来てくれてありがと。」


昼間に出会った二人だったから。


う、うそでしょ…何この、少女漫画みたいな展開。


けれど、少女漫画であれば、イケメンとの再会に、「きゃっ!うそ〜♡」と、ここから恋が始まるのかもしれないけど、私はこの思いがけない展開にただただ、驚き慄くだけ。


そんな私の狼狽ぶりに、長年近くで私の言動を見てきた柊が気がつかないわけがない。


ニヤリとその顔が一計を案じる顔に変化して…


「……来い。」
「えっ?!」


あっさり二人の元へと献上された。


「瀬名、真大、こいつ俺の幼馴染。よろしく。沙香、二人はバイト仲間。」
「そ、そうなんだ…。あの、よろしくお願いします。」
「どうも、瀬名です。2度目まして。」
「昼間はありがとう!青木真大です!」


3人はどうやらバイト先が同じだったようで、今日は柊が二人に声をかけたらしい。


それがわかったのは良いんだけど…



「…んだよ、お前、二人と知り合いだったのかよ。まあ、同じ啓江大学だもんな。知り合いになってても不思議はねーか。」
「や、知り合い…というか…」


できれば、青木さんが泣いていた事は名誉の為に隠したい。
けれどじゃあ、関係をどう説明すればいいのやら。


「知り合いっつーかさ、今日、大学内で偶然会っただけ。」


そっか、そういえば済むことだった。
瀬名さん、凄い。


「でも、助かったよ!」
「…助かった?」
「あのね?俺がさ…」


ま、待って、青木さん!
折角瀬名さんが誤魔化してくれたんだし、柊にわざわざ正直に説明しなくてもー!


「花粉症で鼻水だけじゃなくて、涙凄くてさ。」


…………え?
か、花粉症??


「あーあ…言っちゃったよ、この人。」


青木さんの向こうで瀬名さんが呆れたようにビールを飲んでる。


「いや、だって。親切にして貰っといてさ…無理でしょ!
沙香ちゃん、ハンカチ貸してくれたんだよ?『元気出してください!』ってさ…見ず知らずの俺に!」
「『元気出してください』って…ああ…つまり、真大が花粉症で泣いてんのをこいつが本気で泣いてるって勘違いしたってわけだ…」


勘…違い…

絵に書いたように“ガーン”となって半ば放心状態の私の頭に、柊の掌がポンと乗っかった。


「ま、沙香らしいね、それ。思い込み激しいからな、お前。」


瞬間的に、青木さんと瀬名さんがそこに食い入るように視線を向ける。


「あー…っとさ。二人は何、結構イイ仲なの?」


瀬名さんの質問に間髪入れずに、柊と私、同時に口を開いた。


「それはない。」
「それはありません。」

「そうなんだ!」
「良かったー!じゃあ、ちょっと柊借りるね!」


あ、彩月さんとアイコさん…



「柊と沙香ちゃんて、何か雰囲気全然違うし、幼馴染みって言うの、不思議な感じだもんねー」


うん、それ昔からよく言われます…。

柊を連れて去って行く彩月さんとアイコさんにハハッと遅れて空笑いをしていたら、横から青木さんの黒目がちな整った顔が覗き込んで来た。


「そっか、そっか!柊とは幼馴染みなんだ。」
「はい…まあ。」
「柊に誘われて合コンとかよく来るの?」


「まさか!今日が初めてです!」と、言おうとしてハタと固まった。


こ、これは…
いわゆる乙ゲーで言う所の“分岐点”てヤツなのでは。


A:はい♡私、彼氏が中々出来なくて(上目遣い)
B:いいえ…私、こういう場って苦手なんですう♡(はにかみ)


どっち?!
どっちが正しいの??
※()内はどっちにしても出来ない


えっと…


「真大くん!ちょっといいですかあ…?」
「え?あー。う、うん…瀬名、沙香ちゃんちょっと行ってくるね!」


ああ…!
答える前に他の人の所へ行ってしまった…。
乙ゲーだったら、数分、数時間でも待ってくれるのに!


難しい…リアル男子との交流。

項垂れてがっくり肩を落としたら目の前に座ってた瀬名さんと目が合った。


ビール瓶を口にしながら、ジッと真顔で私を見てる。


「あ、あの…何か。」
「や?『へえ』って思っただけ。」


『へえ』?


何に対しての『へえ』なのか、聞く間もなく、彼もまた、他の女の子の所に連れ去られる。



ポツンとしたところで、ようやく一息。


うん、とりあえずトイレに逃げよう。



そう思って、一番奥のトイレに入って一息ついた所で、扉の外から声がし始めた。



「柊くんの幼馴染みだって言うから、超警戒してたのにねー。」
「ホント、安心した!柊くんも、そりゃ、あれは眼中ないよね。合コン連れて来られるわ。」


どうやら、彩月さんとアイコさんではない、残りの二人の女の子が隣に併設されているパウダースペースに入って来たらしい。


「っていうかさ、カッパはともかく。」


…カッパ?私?
ああ、髪型がカッパみたいな感じにボブだから?どちらかというと、座敷童に近い髪型かなって自分では思うけど…まあ、同じようなもんか。


「真大くん、超かっこよくない?」
「えー私、瀬名だな。」
「彩月とアイコと被ったらアウトって思ったけど、二人とも違う方に行ってるし。」
「だね。他の二人も確かに格好良いから。幹事の柊筆頭に、今日はハイレベルだったよね。」


ほんと、今日来てよかったよね!ってきゃあきゃあ言ってるけど…。
どうしよう。ものすごい、出にくい、トイレから。


「ああ、二人とも来てたの?お疲れー!」


彩月さんとアイコさんがやってきた。
他二人が部屋から出て行ったタイミングで、私の入っているトイレのドアがノックされる。



「沙香ちゃーん!生きてる?」
「もう!アイコ、言い方!沙香ちゃん、出にくかったでしょ。」



…もしかして、あの二人の会話を聞いてた?


そっと顔を出したら二人ともにっこり。
そのまま、何故か、アイコさんに覆い被さる様にぎゅーされる。


「大丈夫!自身持って!沙香ちゃんは実物のが可愛いから!」


じ、実物…??


「私達、柊に沙香ちゃんの画像見せて貰って、どうしても会いたいって…ね。」
「そう!一目見て、可愛いって!」


いや、どう考えても、お二人の方がお人形さんみたいで可愛いですが…
スタイルもモデルさんみたいだし。


「沙香ちゃん、雰囲気がゆるキャラみたいなんだもん!」


ああ…くまもん、ふなっしーみたいな?
それはそれでちょっと嬉しいかも。
くまモンとふなっしー大好きだから。


「あ、ありがとうございます…」


美女の『可愛い』の感覚がよくわからないまま、一足先に後にしたトイレ。



「お疲れ。」



多少ふらつきながら出て来た所で予期せぬ人が待っていた。


「瀬名…さん。」
「…どうも。」



な、何だろう…。
少し眠そうな目に、ブラウンの瞳。スッと通っている鼻筋に小ぶりの赤みがかった薄めの唇。
柊とさほど変わらない身長(160cm位の私よりだいぶ高い)なのに、整った幼顔のせいで少年のようなあどけなさ。
余裕の笑みを浮かべて小首を傾げるその姿が、ものすごく可愛い。
ここ、結構な暗がりだけど、それでも目がキラキラしてるし。


「ちょっと話があるから、こっち来て?」


席とは反対の行き止まりの方へと誘われ、恐る恐る付いていった先。


行き止まりの壁際に追い詰められて右側のすぐ耳元を瀬名さん丸っこい掌が通過。


ドンっ!


次の瞬間に壁が鈍い音をさせた。


ものすごい至近距離に、瀬名さんの可愛い顔が迫ってる。


こ、これは…世に言う、『壁ドン』ってヤツ…


想像していたのよりもだいぶ乱暴な気はするけど。
とにかく、少女漫画やドラマでしか見たこと無いヤツだ…。


「…あのさ、1つ言っておきたいんだけどね?」
「は、はい…」


あり得ない美少年(実際は20歳過ぎていると思うけど見た目年齢)の壁ドン体験に、声が勝手にうわずる。


「“俺のまーくん”に手ぇ出そうなんて、100万年早えーから。それだけは覚えとけよ。」


………………はい?
今、なんと……。


お、“俺のまーくん”…?


それは…つまり………美少年と、美青年の色恋沙汰?


うそ…そういうことなの?!



「お、お二人は付き合って…」
「や、別にそうじゃないけどさ…」


ってことは、美少年(何度も言うが、見た目年齢)の切ない片思い!萌えしかない展開だよね、それ!


「わ、私、応援します!」


頑張れ、瀬名さん!


「…本当に応援してくれんの?」
「はい。喜んで!」
「ふーん…」


あれ?
何か、今、“してやったり”な顔になった気が……


「瀬名ー?」


不意に瀬名さんの背中のもう少し向こうで青木さんの声がした。


そっちに一瞬気をとられたら、耳元に瀬名さんの顔が近づいて、静かな声で告げられた。


「…まずは、他の女共から、あの人を守ってくれます?」



『カッパはともかく、真大くんイイよね!』


…出来るかな、カッパに。
いや、弱気はダメだ。


『自身持って!沙香ちゃんはゆるキャラみたいで可愛いんだから!』


ゆるキャラが正統派美女に叶うのかはわからないけど。
美少年瀬名の恋愛成就のためだもん。


「……やります。」
「そうこなくっちゃ。」


口角をキュッとあげると、探しに来た青木さんの方へと振り返り、先に歩き出す瀬名さん。

それを追って…いざ戦場へと踏み出した。



「…とりあえず、隣に座るところからね」


席に戻った所で瀬名さんに耳打ちされて、一足先に座った青木さん(両脇に美女が座っている)の元へと近寄っていく。


「瀬名も~♡」
「ここ座って、座って?」


私、お呼びでないよね、明らかに…。

どうしよ…。



「んじゃ、“俺ら”も入れてもらいますよ?」


私の横で瀬名さんが口角をキュッとあげて、小首を傾げ微笑んだ。


……天使?


可愛いという形容詞以外にあり得るのかって程、可愛い…。



目の前の女子二人とも頬がだらしないほど緩んで



「もお、瀬名ってば♡」
「おかわりの飲み物どうするの?♡かっぱ…じゃない、沙香ちゃんも飲み物選んで!注文してあげるよ!」


私もついでに入れて貰えた。


…すごい、瀬名さん。
さすが、美少年。


というか、どう考えても、青木さんも頬が緩んだよ?
これ、脈ありなんじゃなくて?


『瀬名、やっぱ可愛い♡』
『まーくんてば…やめてよ///』


ああ…美青年と美少年の…


「おい。意識違う世界に飛ばすんじゃ無いよ。二次元女子。」
「あ、はい…すみませ…」


……ん?

瀬名さん、今、『二次元女子』って言った?というか、その前に“違う世界に…”って…言った?


当の本人は素知らぬ可愛い顔で、相変わらずくふふと目の前の三人に愛想を振りまいている。


「瀬名と真大くんて仲よさげだよね!」
「二人は普段何して遊んでるの~?」


可愛い女子が、可愛く絡む。
ここに、カッパがどう切り込めば良いんだろうか…。


出来ればもっと、青木さんと話ができたらいいんだけどな。
とりあえず、瀬名さんの隣で、目の前のゆずソーダに口をつけて目線だけあげたら、青木さんと視線がぶつかった。


あ、あれ…?
もしかして、これ、青木さんのだったかな?

私、間違えて飲んだ?


「ねー!真大くん!私もまーくんて呼んでいい?」
「はい、だめー!それは俺だけです。」
「えー瀬名ってば!仲良し!」


何かを話そうとした青木さんと私の間で三人の軽快トークが続き遮られる。
どことなく苦笑いをした青木さんが、徐に目の前のジョッキを持って立ち上がった。


「ごめん、そっち行って良い?」



そっち…?


リアル男子は、答えは待たない。
それはさっき学んだこと。


疑問は説明を受けぬまま、結果として青木さん自ら私の隣に腰を下ろした。


…ってええ?!
と、隣に青木さんが来た!


「あ、あの…あの…」
「俺、沙香ちゃんと全然話、してないよ?今日!」


何だろう…ものすごーい真剣な眼差し…。


も、もしや、私、何かやらかした??
やっぱり、このゆずサイダー青木さんのだった?!

目の前からは、つららのごとく突き刺さる女子からの視線。


「…ミッションクリア、おめでと。」


ただひとり瀬名さんが人知れず不敵な笑みを浮かべ、そう呟いた。











あの子を探して牧野さんと話した直後にバイト先で仲が良い柊から電話があって、どうしてもって頼まれて、瀬名と行ってみた合コン。


…あの子がいた。


どうやら柊の幼馴染みで、仲良さそうだけど、二人揃って「あり得ない」って否定してたし…本当に幼馴染みって事なのかな?


沙香ちゃんが席を外して少し経って、瀬名も席を立ったのに気がついた。



何となく気になって瀬名を探しにいったんだけど…。


俺たちの部屋とは反対側に二人で歩いて行くのが遠目に見えちゃって。


瀬名が沙香ちゃんにすげー接近してた。

瀬名…もしかして、沙香ちゃんの事口説いてる…とか?


混乱してたら、呼んだ俺の所に寄ってきた瀬名がポンッと背中を叩いた。


「まあ、まーくん、頑張って?」


…頑張って?
俺…頑張ってイイの?
瀬名は、それで大丈夫なの?


「あー!真大くん、帰って来た!」


今はそんな気分じゃないのにな…
でも、断れなくてそこに座ったら、目の前に瀬名と一緒に沙香ちゃんもやってきた。


困った様に固まっている沙香ちゃんに、瀬名が何か耳打ちしてる…。
何話してるんだろう。


『まーくん、頑張って?』


だけど結局考えても、俺は単純だし難しい事はわかんないから、瀬名の言葉を信じるしかないんだよね。


隣に座って間近で見た沙香ちゃんは、驚いた顔をしてパチパチと瞬きをしてる。


「沙香ちゃん、昼間はありがと。」
「えっ?!あ、はい…いえ。そんな…」


沙香ちゃんは瀬名の方をずっと気にしてそわそわ。
もしかして…沙香ちゃん、瀬名が好きになったとか?


でも…俺は俺で頑張る。


口を真一文字にしたら、瀬名と目が合った。
片眉をクッとあげて笑うと、俺が席を変えた事で明らかに不服そうにしている女の子二人に向き直す瀬名。


「ねえ、二人とも、さっきからずっと思ってたんだけど、爪、綺麗だね。」
「そ、そう?ネイルのせいじゃない?」
「だからさ。そうやって爪とか細部に気遣えるっつーのが、可愛いなって事だって。」
「やーん♡瀬名、上手いんだから~」


瀬名…相変わらず、扱い上手いよね…こういうとき。
二人とも機嫌がコロっと直って、こっちなんて気にしなくなっちゃった。


「ねえ、沙香ちゃん。」
「は、はい…」
「沙香ちゃんは一年?」
「は、はい…」
「じゃあさ、必須で透くんの人間行動学概論取るよね?」
「透…くん?」
「うん。美澄透先生。」
「ああ!はい。取ります。」


知っている話題だったせいか、沙香ちゃんはパッと少し顔が明るくなった。


「美澄先生、講義が面白いって言う話を聞いてたので楽しみなんです」
「俺も透くんの講義は面白いから寝ないかも。」
「えっと…青木さんは今、何年生なんですか?」
「俺は3年!俺はねゼミも透くんなんだ。」
「そうなんですね…。あ、そういえば語学なんですけど…」
「そっか、第二外国後、一年から選択だもんね。ガチガチ蛇頭は止めた方がいいよ」
「ガチガチ蛇頭…ってもしかして、フランス語の…」
「そう!あの髪を頭の上で丸めてるおばさん!」


…良い感じに話出来てない?これ。
沙香ちゃん、緊張が解けたのか、楽しそうにクスクス笑ってるし、瀬名の方も全く気にしなくなった。


「あの…美澄先生の講義って、B号館ですよね。」
「うん、そうだね。」
「その…どこなんですか?B号館て。」
「え?今日、俺たちが会ったとこがB号館の前だけど。」


何だろう、少し困った顔になったけど。


「…正門からだとどう行ったら良いんですかね。」


首を傾げた俺に、少し苦笑い。


「実は、今日、A号館でオリエンテーション受けたんですけど…迷いに迷ってあそこに出たので、道がわからなくて。
あの後も、結局…『西門』って書いてあるところから出ちゃったし。」


これって…さ。

本人は悩んでるんだろうから、不謹慎だったけど咄嗟に“チャンス”って思った。


「じゃあさ!来週一週間、正門で待ち合わせしない?俺、教室まで送ってってあげるよ!ハンカチ貸してくれたお礼!」
「えっ?!」
「ヤダ?」
「そ、そうじゃなくて…青木…さんが大変なんじゃ…」
「全然!ちっとも!」


半ば身を乗り出す勢いの俺に、困惑してパチパチとまた瞼が動く。
チラリと後ろを見て瀬名を気にして、んーと何かを考え込んでから顔を上げた。


「えっと…じゃあ、美澄先生の講義の時にお願いしてもいいですか?」


「ありがとうございます」って笑ってくれる沙香ちゃんとこれからもっと仲良くなれるんじゃないかって期待で胸が膨らむ。


呼び出してくれた柊に感謝だよね、これ。









特に私が活躍しないまま、青木さんが自ら隣に来てくれた。


…でも。


私を挟んでたら瀬名さんとの愛をはぐくめなくない?



「爪、綺麗だね♡(小首を傾げて甘い笑顔)」←こう見えた
「「やーん。瀬名ってば♡」」←多分女子二人にもそう見えた


瀬名さん、前に座ってる美女達と全力で戯れてるんだけど…い、いいのかな?


「沙香ちゃん、昼間はありがと。」
「えっ?!あ、はい…いえ。そんな…」


ど、どうしよう…リアル男子と一対一の会話なんてしたことないよ~(※柊は除く)


しどろもどろな私を少し覗き込む様に黒めがちの目が近づいてきたかと思ったら、フッと目尻に少し皺が出来て優しい眼差しに変化した。


「沙湖ちゃんは一年?」
「は、はい…」
「じゃあさ、必須で透くんの人間行動学概論取るよね?」


……あれ?


「ガチガチ蛇頭は止めた方がいいよ!」


何か…話しやすいかも。
私に合わせて会話してくれる青木さんの明るい雰囲気。


男子と会話するって…こんな感じだったっけ?
以前の時と違って、するすると会話が繋がっていく…。


……なんて、青木さんの楽しい雰囲気にすっかり甘えちゃったんだって思う。


「じゃあ、来週一とりあえず週間、正門で待ち合わせしない?」



まさかの反応に再びしどろもどろに逆戻り。
だって、ちょっと大学内の道をきいただけで、一週間案内してくれるなんて、そんな良い人居る?


「青木さんが大変なんじゃ…」
「全然!」


…いや、居るからこうなったんだけどさ。


「ダメ?」


青木さん……きっと、困っている人を見捨てられない性格なんだ。
私も方向音痴の極みだから助かるけど…瀬名さんに悪いのでは。


「沙香ちゃん?」


…ど、どうしよう。
で、でも、少しだけ青木さんをお借りして、瀬名さんの話が出来るように親しくなるのも必要かな、うん。
『連絡取り合おうね』と連絡先まで交換してしまった合コンを終えて、家に帰って開いたスマホ。


『今日はお疲れ!無事家に着いた?』


青木さん…面倒くさい役を買って出ただけでなく、ちゃんとこうやって連絡まで。
本当に良い人なんだろうな…。


『ハンカチ、洗って返すからね!』



そう言われて『ずっと青木さんの元に居て貰って大丈夫なんだけどな』なんて思ってしまったのは何でだろう…。


ずっと……青木さんの笑顔がぐるぐる回ってる。













『ハンカチはいつでも大丈夫ですから』


金曜の夜、俺がメッセージをしたら返信してくれた沙香ちゃん。


『水曜日よろしくお願いします。心強くて嬉しい!』


ウサギがにっこり笑いながら「ありがとうございます」って言ってるスタンプを見て


そうだ!ってひらめいた。


そのまま、俺も一緒に人間行動学概論を受けちゃえばもっと話出来るじゃん!
(「話って…授業中だよ?」←瀬名、心でツッコミ、面白いから教えない。)



ガチャ!


「透くんおはよう!」


コンコン!


「…うん、青木君、週明けから色々タイミングがおかしいよね。」


俺が勢いよく透くんの研究室に入っていったら、びっくりした透くんのなで肩がびくっと揺れて


「この人のバカ加減は週明けとか関係ないから。」


瀬名が俺の後ろで含み笑い。
でも、そんなこと気にしてる場合じゃないもんね。


「ねえ、透くん、いい?!」


瀬名が、眉を下げつつ笑って、小首を傾げる。


「真大、お言葉ですけど、そこまで頑張らなくてもお昼誘うとかね?他にも手はあると思うけど。」
「え?何々、女絡み?
なんだよー青木君が俺の魅力に負けて人間行動学に目覚めたのかと思ったのに。」
「も、もちろん透くんの授業、面白いから好きだよ!
それにほら、 振り向いて貰えるかどうか色々試すの!ね?立派な人間行動学でしょ?!」
「あら、真大にしては理にかなった事言ってるじゃない。」
「瀬名…そこで加担しないでよ。」


透くんが困った表情になると、瀬名は楽しそうに笑って口元を腕で隠した。


「まあ…聴講するだけならいいんじゃねーかな。俺も知らんぷりしてればいい話だし。」
「やった、ありがとう、透くん!良かったね、瀬名!」
「はっ?俺も?!」
「え?出ないの?俺一人じゃ寂しいじゃん。」
「えー…めんどくせーよ。」
「透くん、今週から二人で出るから!」
「…うん、聞いちゃいないよね、俺の話は。透くん、よろしくお願いします。」
「相変わらず仲良しだなー!二人とも。ま、適当に受けてて?」


本が乱雑に積まれた机を少し気にしながら、椅子から透くんが立ち上がった。


「その代わりさ…二人とも俺の研究の…」


ガチャッ


「おはようございます、美澄先生…って、あら。」



透くんが何か言おうとしたところで、助手の松江さんが入って来た。



俺達の構図を見て、めがねの少し切長の目が二三度瞬き。
それから、口がへの字になって、眉間に皺が寄った。


「……先生、まさか、生徒さんをサンプルに次回の論文を書こうなどと思っていませんよね。」


また透くんが少しビクッと肩を揺らす。


「え?そうなの?透くん。」
「や、青木君、行動が面白れーからさ…」
「美澄先生!」


ツカツカとヒールを鳴らしながらやってきた松江さんは、更に口を尖らせる。


「先生はそんなことしなくても、立派な論文がいくらでも書けるじゃないですか!」
「や…まあ、そうなんだけどさ。どうせ書くなら面白れーのを書きたいわけ、俺は。」
「だからって…」


これ…最近ずっとのやり取りだけど、透くん、ちょっと松江さんが怒ると楽しそう?
瀬名も同じように思ったのか、俺を肘で小突いて、「お邪魔になるから行きましょ」と言った。


二人の争いからそっと遠ざかり、部屋を出る。



「透くんと松江さんて良いコンビだよね。」
「まぁ、透くんが唯一、助手として研究室に残るのを認めた人だからね。」


「とりあえず良かったね、真大。」と微笑む瀬名。


「…ごめん、一緒に出ることにしちゃって」
「何を今さら」


フハッて楽しそうに吹き出してるけど…。


『まぁ、頑張って?』


ずっと、合コンの日の事が引っ掛かってるから。
もし瀬名も沙香ちゃんの事を気に入ってるのに俺に遠慮して…とかだったら嫌だもん。
そこはやっぱり平等にしないとさ…


パシッと頭を軽くはたかれた。


「真大はね、余計な事考えなくていーの。
あの子と話してみてやっぱ良かったんでしょ?」
「うん…まぁ。」
「だったら頑張んなさいよ。誰かに先越されるよ?」


…それは絶対ヤダけどさ。
でも、それは他のヤツであって、瀬名なら話は別なのに。


「まぁ、概論出るのも面倒くさいけど…ね。もしかしたら…。」
「え?」


何かを企む様な笑顔に変化した瀬名に、首をかしげたら


「あー…とにかくね?
せっかく透くんに許可を貰えたんだし頑張んなさいよ?」


今度は肩をぽんっと叩かれた。





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